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前編

 凪国(なぎこく)に多大な迷惑をかけた--いや、そんな言葉では語り尽くす事の出来ない馬鹿国家。

 今はもう亡き煉国(れんこく)という国があった。

 そこの大本の悪である王と上層部は滅んだ。


 けれど、全ての膿を出し尽くすには、まだ時間がかかった。



 それは、その膿を出す始まりの物語。




 始まりは、煉国には隠された姫君が居たと分かった事から始まる。



「煉国の、姫ですか」


 これはまた困った存在が現れたと、凪国国王--萩波(しゅうは)だけではなく、上層部一同が頭を悩ませた。

 彼女は、煉国国王の側室の姫だった。

 側室は煉国国王が戯れに手を付け、そして惨殺した女性だった。

 元は、彼女の夫君を狙っていたらしいが、妻である女性を守ろうとして死んでしまい、その八つ当たり対象として女性を側室にして散々弄んだと言う。


 そして最後は殺された彼女は、最後まで娘の事を心配していた。

 娘は、ごく平凡な娘だった。

 しかし、恐ろしく美しく妖艶な少女だった。


 彼女は王にとって『最高の道具』として見出され、塔に閉じ込められて生活していたという。そこで姫君としての教養を身につけさせ、そして高値で売り払うつもりだった事は容易に理解出来たし、既にそんな話が進んでいたらしい。

 煉国が崩壊して、それも無くなったが。


 で、その彼女は、元々は王宮内で生活していたという。

 それがどうして塔に閉じ込められたかと言うと、彼女は『後宮』に捕らえられた寵姫達の解放を王と兄に申し出たのだという。

 それが無理ならば、せめて寵姫達の関係者達の解放を--と。


 それが逆鱗に触れ、彼女は幽閉された。


 彼女は、寵姫達が王達に弄ばれている中で、ただ一神、勇敢にそれを申し出た。

 だから彼女を知っている者達は、寵姫達の中には実は多かった。


 そして、もう彼女は殺されていると思っていた。


 だから、生きていた事を知り、凪国に保護された元寵姫達の中で彼女を知る者達は喜んだ。


 彼女は、あの腐りきった国の中で唯一染まらずに居た、奇跡の様な存在だった。



 だからこそ、彼女は煉国の存続を願う者達によって利用されてしまった。


 せめて、先に凪国が彼女を保護していれば。



 彼女を保護したのは、煉国の貴族達。

 彼らは、煉国が凪国に服従を誓う証として、またお詫びの印と、今後の二国間の良好な関係を繋ぐ絆として、彼女を--煉国の王女を差し出してきたのだ。

 それも、凪国国王の妃として。


 既に王妃が居るにも関わらず。


 いや、煉国の貴族達からすれば、田舎出身の少女より、腐っていても王だった男の娘である自国の王女の方が王妃になってしかるべきもの。

 それがダメだとしても、側室にと言ってきたのだ。


 確かに、勝利した国の王が負けた国の王女を『後宮』に入れる、または正妃にするというのはよくある事だ。


 そして、二つの国を結ぶ、または属国とした国の抵抗を封じる要として、婚姻はかなり有効な手段である。


 更に彼等は狡猾だった。

 煉国は愚かだった。

 けれど、今後二度と同じ過ちを繰り返さぬように、そして凪国に服従する証として自国の王女を凪国国王の妃として差し出す--それに賛成する派閥を周辺国に作り上げたのである。


 しかも、各国に少なからず居る選民主義の貴族達を上手に取り込み、彼等に意見を述べさせるのだ。


 教養高く血筋も正しい高貴な姫君こそ、やはり大国の正妃に相応しい--と。



 煉国で被害を受けた自国の王都の再建、そして煉国に囚われていた元寵姫達とその関係者達の治療に勤しんでいた凪国は、完全に出遅れてしまった。


 そうして、煉国王女は凪国にやってくる。

 王とお見合いし、そのまま『後宮』に収められる為に。




 噂という物は恐ろしい。

 それは、多くの者達を経ていく度に変化し、歪められていく。


 ただ、それが果竪(かじゅ)の耳にまで届いたのは、ある意味おかしな事だった。



 果竪の所に届いた噂はこうだった。



『煉国で王女が見つかった。聡明で気高く、元寵姫達やその関係者達を守ろうとして幽閉されてしまった心優しい姫君だそうだ』

『凪国国王は煉国王女の境遇に酷く同情している』

『煉国は凪国に服従するらしい。で、その証として煉国王女を差し出すそうだ』

『凪国国王と煉国王女の婚姻。これ以上ない、二国間の絆になるだろう。二つの国の発展と、あと煉国が決して裏切らないという証でもあるな』

『もちろん、煉国王女ともなれば、正妃だろうな』

『となると、今の王妃様は』

『側室に格下げだろう。それか、神殿入りか』



 要約すると、『煉国でとても美しい姫君が見つかり、凪国国王はその姫君を正妃に迎えようとしている。そして、現在の王妃は廃される』というものだった。



 果竪はそれを聞いた時、こう思った。


 ああ、だから私は何もしなくて良かったのか--と。




 煉国の大事件から、一年と三ヶ月。

 そして、果竪が煉国の国王にかけられた呪いから目覚めて一年が経過していた。


 果竪は、煉国が崩壊して数日後から記憶が無かった。

 目覚めた時、既に三ヶ月経過していた。


 周囲からは、ずっと眠っていたのだと言う--呪いで。


 それから、果竪の状況は一変した。



 それまで、果竪は王宮内なら誰か側に居れば比較的自由に歩けたし、王都にも時々だが降りる事が出来た。

 けれど、それが出来なくなった。

 最初の半年なんて、『後宮』の中のさらに奥--『奥宮』からも出られなかった。それでも、半年かけて、何とか『後宮内』をお付きの者達が居れば歩けるようになった。


 そして、『王妃の勉強』。


 それまで--煉国での事件より前、小梅が亡くなった後から減りだしてはいたが、果竪が目覚めてからは『王妃に必要な勉強』そのものが殆ど行われなくなった。教える相手が居ないからだ。


 今までは上層部が交代で勉強を見てくれていた。

 ただそれには色々と理由があった。


 煉国の侵略で被害を受けた自国の立て直し。

 煉国に囚われていた元寵姫達やその関係者達の治療。

 煉国の国土の維持。

 そして、煉国の国民達の生活を守り維持する。


 自国の事以外に、煉国の事まで面倒を見なくてはならなくなった凪国上層部の忙しさは更に輪を掛けたものとなった。

 元々、いくつもの仕事を掛け持ちして、休みなく仕事していた上層部だが、それ以上に忙しくなった。


 とうてい、それ以外に時間を割ける暇すらなくなった。


 だから、果竪にとって講師となる者達が居なくなってしまった。

 もちろん、講師が居なくても勉強は出来る。

 けれど、果竪は『後宮』から出る事が出来ない。書物があるのは、『後宮』の外。そこから持ってきてと言うには、神手が足りなさすぎる。


 果竪に出来る事と言えば、それこそ三食昼寝付きの生活だけだった。

 とはいえ、国民の税金で生活しているのに、その仕事をしない王妃。


 どんだけ無能で役立たずな王妃なのか。



 本来であれば有り得ない。

 王妃の仕事をしないで日々を過ごす王妃なんて。

 そればかりか、本来の王妃の仕事は侍女長である明燐(めいりん)が行っている。


 書類仕事、他国からの客神達の相手など、様々。


 だからこそ、余計に明燐が王妃と間違われるのだが、本来の王妃が仕事をするどころか教育すら満足に受けられていないとなれば、どうしようもない。


 しかも、王や上層部と違って、元々の能力値が低すぎるのだ。だから、彼等みたいに少しの時間だけで一神前としてやっていく事さえ出来ない。


 そんなわけで、日々自分の無能っぷりと役立たずっぷりで悩んでいた果竪は、自分が王妃から下ろされて新たな王妃が即位するという話を聞いて、まず感じたのは『納得』だった。


 そう、果竪は『納得』した。



 なのに、どうしてこう心が痛いのか。

 苦しい……苦しくてたまらない。


 というか、煉国の王女はたいそう美しく、聡明で心優しい方だと聞く。一国の王妃に相応しい能力の方だと聞く。


 しかも、煉国の今後の為に、自ら凪国国王の『後宮』に入る健気な方だと聞く。


 噂では、これ以上ないぐらい王妃に相応しく、そして二国間の絆としては彼女以外有り得ないのだと言う。



 それを聞く度に、果竪は心が苦しかった。



 自分は何も出来ない。

 させて貰えないという言葉も浮かんだけど、果竪が望めば色々とやりようがある。

 だから結局は、自分が何も出来ないのだ。


 ただ、果竪がそうなったのは、周囲をあまりにも気遣いすぎたのも要因の一つだった。


 そうして気付けば、果竪は外に出られないまま、何も出来ないまま一年もの時を過ごしていた。


 そして行き着いた先は、王妃の退位。


 良いではないか。

 役立たずな王妃が居なくなるのだから。

 喜ばしいではないか。

 新たな優秀で美しい王妃が来るのだから。


 それに、それに--。



 果竪は、自分が泣いている事に気付いた。



 涙がボロボロと流れていく。



 往生際が悪い。

 自分勝手で愚か過ぎる。



 笑って、祝福出来なくてどうする。



 果竪はもやもやする自分の中の気持ちをもてあました。

 それは次第に、更に大きくなっていった。




 そして、果竪は萩波と大喧嘩をしてしまった。





 いつもは静かな『奥宮』に、怒鳴り声が響き渡る。


「だから、もういいって言ってるでしょうっ!」

「よくないでしょう、果竪」


 いつもなら有り得ない事態に、『奥宮』の灯は灯され、騒ぎを聞きつけた侍女達が騒ぎを見守る。それだけではどうにもならず、事態の収拾の為に宰相--明睡(めいすい)と筆頭書記長官である朱詩(しゅし)も呼ばれたが、彼等も手をこまねいてるしかなかった。


 それほど、果竪の怒りは強かった。


「ですから、何にそんなに怒っているのか教えて下さい」


 癇癪を起こす子どもをたしなめる母の様に接する夫--萩波に、果竪はカチンときた。そうだ、いつだって萩波は余裕があって、大神で、自分とは全然違う。

 いつも果竪が萩波を困らせるのだ。


 そう、いつだって果竪が萩波の悩みの種になるのだ。


 それはいつも果竪が心に抱えている罪悪感。


 果竪が居なければ、萩波は自由で居られた。

 果竪が居なければ、萩波は好きな女性を妻に迎えられただろうる


 果竪が居なければ、彼は唯一の場所を好きでもない少女に明け渡して後悔する事なんて無かった。



 煉国の王女との公式な場での出会いはまだだけど、非公式では既にその姿を目にしている。萩波は、煉国の王女に。



 凪国国王陛下は、煉国の王女殿下に惹かれていたそうですよ--



 果竪は、グッと拳を握りしめ、強く萩波を睨み付けた。



「出てって!」

「果竪」

「今は萩波の顔なんて見たくないのっ! 萩波が出てかないなら私が出てくっ」



 そう叫んだ所で、果竪は何かに促されるようにして萩波の顔を見た。そして、後悔した。


 全ての色を無くした様な萩波は、それでも何処か辛そうな顔をしていた。


 萩波を傷つけた。



 あれほど身体の中を駆け巡っていた怒りが、急速に勢いを無くしていく。そして、燃えさかる炎はあっという間に種火ぐらいの小ささにまで鎮火してしまった。


「……では私が出て行きます。ですから、果竪はここに居て下さい」

「しゅ、萩波」

「萩波、あの」


 明睡と朱詩が何処か慌てた様に萩波に駆け寄る。けれど、彼等に視線すら向けずに、萩波は踵を返してその場を立ち去っていった。


 後に残された侍女達が固まる中、一神--侍女長である明燐だけが果竪に近づいてくる。


「果竪、もう遅いですから今日は休みましょう」

「め、明燐、私」

「大丈夫ですわ。萩波も大神ですもの。それに、少し休んだ方が互いに冷静になれると思いますから」


 少し時間を置いた方が良い--そう優しく言葉をかける明燐に、果竪は萩波の去った扉を不安げに見つめたのだった。




 部屋の灯が消され、一神寝台に潜り込んだ果竪は後悔していた。


 どうして、あんな事を言ってしまったのだろう。


 確かに色々とイライラしていたし、腹が立った。

 でも、あんな風に冷静さを失ったまま怒鳴りつけるなんて。


 萩波は王という仕事を頑張ってこなしている。そんな大変な仕事を終えて戻って来た萩波に、果竪は出て行けと叫んだ。


 今頃萩波はどうしているだろう?


 基本的に、王と王妃の私室や寝室は別になっているから、今頃は萩波も王の寝室で休んでいるだろう。

 果竪はどこか落ち着かない気持ちをもてあましたまま、チクタクと時計の音を聞いていた。


 朝になったら、朝になったら謝ろう。

 けれど、まだ時刻は夜中。


 チクタクという時計の針の音がもどかしい。


 眠れない、眠れない--。


 ゴロゴロと寝台の上を転がっても、羊の数を数えても果竪は眠れなかった。


 それどころか、罪悪感が大きさを増していく。それが果竪の身体を突き破ろうと蠢く。


「……」


 今頃はもう萩波も寝ているだろう。

 明日も萩波は朝早い。

 こんな時間に休んでいる相手の所に行くなんて非常識だけど--。


 果竪は、寝台から降りると部屋の扉へと向かった。




 辿り着いた先--王の寝室には、誰も居なかった。

 鍵は予め合鍵を渡されていたからそれで部屋に入ったが、目当ての相手は居ない。


 もしかして、何か仕事が入ったのだろうか?


 果竪は少し待ったが、萩波が戻ってくる事は無かった。


「やっぱり……明日出直そう」


 そう思い、果竪は部屋を出ようとした。

 その時--果竪は寝台横のテーブルの上に置かれている巻物を目に留めた。


 悪いと思いながら、それを手にして中身を見る。

 そこに書かれていたのは。


 煉国王女との見合いの釣書--。


 いや、見合いの釣書と言うよりは、『後宮入り』を願う書状だった。


「……」


 果竪はその巻物をテーブルの上に戻すと、部屋からそっと出て行った。そしてそのまま、果竪は自室に戻らず宮殿を抜け出す。


 警備がどの様に配置されているか、果竪には分かっていた。

 王妃という立場上、それを知るのは当然の事だった。


 果竪は頭が悪いけれど、それでも大事な部分はきちんと頭に入れていた。


 だから、果竪は警備の目をかいくぐり、『奥宮』の敷地内から出ることが出来た。そうして『後宮内』を彷徨きながら、果竪はこみ上げるもやもや感を必死に発散させようとしていた。



 なんで。


 その言葉しか無かった。


 どうして、こんなに腹立たしいのか。

 こんなに、苦しくてモヤモヤするのか。


 果竪は分からなかった。



 そして気付いた時、果竪は『後宮』の外にまで出てしまい--。



「見つけた」



 侵入者に襲われた。



「きゃっ--」


 口を塞がれ、物陰に引きずり込まれて、地面に押し倒される。

 そのまま、ギラリと光る刃が掲げられたけれど、それを振り下ろされる事は無かった。


「ちっ……」


 果竪の全身を見まわすと、侵入者が舌打ちする。


「どうしたっ?!」

「早くしろっ! 見回りが来るっ」

「ダメだ、下手に手を出せばこちらに返ってくる」


 何が?とは言えなかった。


「……忌々しい……神力が使用出来ないと言うのに……なんとおぞましい、そして穢れた妄執か……だが」


 男が、果竪の顎を掴む。そして強引に口を開かせた。


「まあ、依頼者は手段は選ぶなと言った。別に殺さなくても、いくらでもやりようはあるがな」


 そう言うと、男は果竪の口に薬品を流し込んだ。

 それは酷く甘く--不快な甘さだった。ぐらぐらと、目眩がする。


「依頼者からの伝言だ。無能で役立たずのクズのくせして、王妃など生意気な。せいぜい、長く苦しめば良い--だってさ。ああ、感謝しろよ? 殺す場合なら、四肢を動けなくしてから失血死させるつもりだったんだから」


 そう言うと、侵入者達は果竪を放ってその場から立ち去る。

 残され、意識を失っていく果竪の耳に、侵入者を知らせる笛の音が遠くに聞こえ、そして意識は闇に閉ざされた。





 目が覚めたのは、夜明けに近い時刻だった。

 肌寒さに目を覚ました果竪は、しばらくぼんやりと空を見上げていた。が、間もなくそれまでの記憶が蘇り、慌てて飛び起きた。


 急いで身体をまさぐるが、どうやら怪我はないようだ。


 あと、生きている--。


「……助かった、の?」


 侵入者は明らかに果竪を狙っていた。果竪を殺そうとしていた。にも関わらず、生きている。


 その時、果竪は男達に何か飲まされた事を思い出した。


 あれは、何だろうか?


 毒、にしては身体は何ともなっていない。

 痛みも痺れもない。

 いや、もしかしたら遅効性かもしれない。


 果竪はヨロヨロと起き上がろうとして、ふと下半身の違和感に気付く。


「……え?」


 なんだか、股に挟まっている様な……。


 思わず、手を股の部分に当てた果竪は--暫し固まった。そして、解凍されるや否や、慌ててそれを確認した。


「……は?」


 果竪は自分の下半身の変化に、呆然とした。


 そこには、有り得ないものが。

 女なら有り得ないものが、ついていた。


「……っ!」


 果竪は


 男になっていた。




 誰にも気付かれずに部屋に戻った果竪は、鏡の前に立った。

 外見は全く変わっていない。

 けれど、服を脱いだ果竪の股には、男にしかついていないそれがあった。

 まあ--萩波とか、他の上層部男性陣に比べると、とても弱々しい感じのそれだが……それでも、確かにそれは男の証だった。


 胸は基本的に無いので、全く変わっていない。

 ただ、喉元に喉仏が小さくあるのが確認できた。ただ、これも触らないと気付かないが。


「……どうし、て」


 原因は一つしか無い。

 あの侵入者達が果竪に飲ませた薬だ。


 たぶん、あれは性別を転換させる効果を持つ物だろう。そういう類いのものは、大戦時代にも出回っていた。解毒薬があればまだ良いが、ない物も多かった。


 勝手に性別を変えられる。

 犯罪に使われる事も多々あり、現在は使用禁止になっている薬物である。


 何故、そんなものを--。


 そこで果竪は、男達の言葉を思い出した。


 あれらは、果竪に依頼者の言葉を伝えた。


 長く苦しめと言っていた。


 果竪が男になる事で苦しむ。


 そんな理由はただ一つしか無い。


 果竪は王妃では居られなくなる--。



 王妃という仕事には色々あるが、その中で最も大切な仕事は『世継ぎを産む』事である。けれど、果竪が男になってしまえば、そんな事は無理だ。


 まあ、国によっては男を正妃にしていたり、側室達を男で固めている所もあるようだが--。

 うちの国王--夫は異性愛者である。

 いや、元々の妻が男にさせられたという事で、そこら辺を考慮して王妃で居させてくれるかもしれないが--。


 果竪はゆるゆると首を横に振った。


 現在、凪国国王には煉国王女の『後宮』入りが打診されている。男になってしまった無能で役立たずの王妃と、れっきとした女性で美しく気高い血筋も正しい王女様。周囲がどちらをとるかなんて、目に見えている。


 誰だって、王女様を新たな王妃にと望むだろう。

 ただでさえ役立たずで無能な王妃など、これ幸いにと王妃から引きずり下ろされる筈だ。


「……良かったじゃない」


 果竪はぽつりと呟いた。


 これで、萩波達の悩みは解決する。

 萩波は優しいから、果竪を見捨てられない、切り捨てられない。でもこれで、萩波は本当に心から望む相手を正妃に出来る。そして、凪国と煉国は結ばれ、煉国の民達も安心して生活出来る。祖国の愚かな暴挙に怯えていた煉国の民達が前を向いて生きていける。


 その為には、果竪は邪魔だ。


「……萩波達に」


 萩波達に言おう--。

 自分が男になった事を。


 けれど、果竪はそれについて思い悩む。


 自分が男になったと言えば、全て済むだろう。

 そう--少しでも早く言うべきだ。

 そうすれば、全て丸く収まる。


 確かに、萩波達は戸惑うだろうけど、既に煉国王女の『後宮』入りの打診は来ているのだし、そう問題は無い筈だ。


 仕方ない--


 そう言って、王妃廃位の手続きは済まされるだろう。


 何をどうすれば正しいのか、果竪には分かっていた。

 それをする事は簡単だった。


 なのに、いざゆかん--と思うと、足がすくむ。


 果竪は自分の身体をマジマジと鏡で見る。


 下半身にそれがある以外は、なんら変わらない。

 けれど、果竪は自分が今まで以上に醜く見えた。


「……本当に、醜いな、私は」


 鏡に手を触れ、そのままずるずると床に座り込む。



 醜い。

 醜くて仕方ない。


 こんな自分、今すぐ消えて無くなりたい。

 みんなに、知られたくない。

 萩波に、知られたくない。



 こんな身体も。

 こんな気持ちも。


 こんな風になってもなお、彼等の側に居たいと願う、自分も。





 その後、ネガティブな考えに押し潰されかけていた果竪は、改めて状況を整理する事に決めた。果竪はウジウジ考える方だけど、一度思い切ればそれなりに切り替えは上手だった。



 とりあえず、果竪はこの身体をみんなに知られたくない。

 でも、この身体で王妃を続けたいと我が儘を言ってみんなに迷惑を掛けたくは無かった。


 それに、煉国王女の事もある。



「リミットは……王女が来るまで」



 あの侵入者達の依頼者が誰かは分からない。けれど、たぶん果竪が王妃でいる事に不満を持つ者だろう。そして、その相手が煉国王女の『後宮』入りを歓迎しているかは分からないが、それを利用して果竪を王妃から引きずり下ろす事ぐらいはやってのける。


 そもそも、向こうは果竪に性別転換の薬を飲ませた。そして果竪が男に変わった事は今頃知っているだろう。だから、煉国王女が『後宮』入りする際に、仕掛けてくるかもしれない。言い逃れが出来ない様……大勢の前で、王妃が男になってしまった事を暴露するぐらい簡単にやってのけるだろう。


 そもそも、煉国王女が『後宮』入りするとなれば、凪国上層部はもとより、国の上位の貴族達も歓迎の宴などに出席する。そこで暴露すれば、それはそれは面白い事になるだろう。



 侵入者に薬を飲まされたと訴えても、どうなるか。

 薬に解毒薬がなければ、一緒男のまま。

 そうなれば、子どもは産めない。

 誰がどう見ても産めないとなれば、王妃は別の女性に--となるだろう。いや、王妃はそのままで側室をという話もあるが、煉国王女が『後宮』入りするのだから、絶対そちらが王妃に相応しいとなる。


 果竪の存在はどう見たって邪魔にしかならない。


 それこそ、今言うか後でバレるかの違いしか無い。



 また、神によっては、相手を特定して薬を突き止め、解毒薬を調達するなり解決方法を探るなりする者も居るが、果竪にはそこまでする気力が無かった。



 どう頑張ったって、果竪にはそんな力は無い。

 それに、そもそもそこまでする程の価値が自分にはあるだろうか。


 女に戻った所で、男で居る時と何の違いがあるだろうか。



 果竪は考えた。



「……このままでも、良いかもしれない」



 その選択をするという事は、王妃を辞めることに繋がる。そう分かっていても、果竪の思いはそちらに傾いた。



 ただ、それを周囲に伝えるだけの勇気はまだ出ない。



 どうせなら、誰にも知られずにどこか遠くに行ってしまいたいぐらいだ。



「……それも良いかも」



 果竪は天啓を得た様に呟いた。

 そうだ。

 それも良いかもしれない。


 王妃でありながら、勝手に姿を消すなんて王妃失格だ。

 でも、そもそも自分は王妃としての仕事は何一つしていないし、居ても居なくても良いような存在だ。

 で、新たな王妃候補が来る予定だ。


 となれば、むしろ自分が消える事ですんなりと新しい優秀な王妃が決まるかもしれない。



 果竪はそれが正しい事のように思えた。

 いや、絶対の真実だと思った。



 そう--そうすれば、みんなが幸せになれる。



 それは若いゆえの傲慢な考えではない。けれど、自分の価値を余りにも見誤る者に特有の傲慢さだった。


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