1-5 兄との話
ドアをノックする音が建物内に響き渡る。
商館として機能はしているものの、もともとは富豪の屋敷だったものだ。
父親が払い下げられていたのを偶然見つけて買い取ったのだという。
「どちら様でしょう」
屋敷の中から声が聞こえてくる。
声から緊張が伝わる。無理もない、こんな夜更けの訪ね人などそうはいないのだから。
「俺だ。ヴァロだよ、イルゴ」
そういうと扉がゆっくりと開いた。
「坊ちゃまじゃありませんか。こんな夜更けにどうなされたのです?」
出てきたのは執事のイルゴ。父の代から執事として働いてくれている。
「兄貴はいるか?すぐに会いたい」
「書斎のほうに」
ヴァロには六つ年のはなれた兄がいた。
ヴァロの父は物心つくころには、流行病にかかって亡くなったと聞いている。
母親も父の後を追うように亡くなったという。
気がつけば六つも年の離れた兄と二人だけだったし、それが当然だと思っていた。
兄は一人で、父の残した商会を継ぐ傍らで、ヴァロを父親の代わりに育ててくれた。
そのあと父から引き継いだ商会を、数年で騎士団領内でも有数の大商会にした。
若い商人たちの間では、すでに生きた伝説として語り草になっている。
今ではその卓越した手腕により、騎士団領のギルドの取りまとめ役の一人として推薦されているという噂だ。
ヴァロは兄のことが嫌いではない。むしろその逆だ。尊敬してるし、誇らしいとも思う。
「ヴァロ様をお連れしました」
「入りなさい。こんな夜更けに珍しいな」
部屋に入った瞬間、ヴァロは兄の脇にいる男に釘付けになった。全身黒で覆われた服装。
ひどく整った顔立ちをしているが、どこか大理石を思わせる。
異質な存在感。騎士団にもこれほどの存在感を持つ男はいない。
「ああ、紹介してなかったな。秘書兼用心棒のオルカだ。
お前が聖都に行って少ししてから私が雇った。最近なにかと物騒でね」
紹介を受け、黒ずくめの男が軽く会釈をする。
ヴァロは兄の説明でふと我に返った。
のまれていた・・・この自分が?
ヴァロは頭に沸いた考えを即座に否定した。
いくつか釈然としないものはあったが、そこをつっこんでいる余裕はない。
「兄貴・・・頼みが・・・」
ヴァロが言い切る前に、ケイオスはフィアの前まで歩いてきていた。
フィアの前で立ち止まると仰々しく会釈した。
「こんばんは、はじめましてヴァロの兄のケイオスです」
そういってケイオスは右の手を差し出してきた。
フィアは慣れていないのか、おずおずと手を差し出す。
その手をケイオスは満面の笑みで握り返す。
「ヴァロ、このお嬢さんは?」
「名前はフィア。事情はわけあって話せ・・・」
「彼女が例の魔女か。顔立ちを別にすればそこらの少年少女とかわらないな」
ヴァロが言い終わる前にケイオスがその言葉を発する。
ヴァロは突然のことに目を白黒させた。
「なんで・・・」
「単なる推測さ。その様子だと図星だな。商人の情報網をなめるなよ。
このフゲンガルデンのことならば大概のことはわかるぞ。
たとえば騎士団内の色恋沙汰から、人員の配置まで。ここの流通の一部は自分が取り仕切ってるからな」
「・・・やっぱ兄貴はすげえな」
「・・・しかし、ずいぶんと思い切ったことをしたものだ」
「すまない」
「何を謝る必要がある。お前は自分の胸に恥じることはしていないのだろう?」
その問いにヴァロはうなずく。
「なら胸をはっているといい。私も伊達に商人を名乗ってはいない。
私のことは心配するな。明日の朝までには城壁の外に出られる手筈をととのえておく。
今日のところはうちの空き部屋を使うといい」
ケイオスが目配せすると背後にいた執事らしき男が部屋から退出した。
「助かるよ」
「まさか商人にただ働きさせるつもりじゃないよな」
にこやかな笑みで意地の悪いことをいう。
要するに必ず戻って来いという意味なのだろう。
「つけておいてくれ」
「もちろん利子つきでな」
いたずらっぽく答えてくる実の兄にヴァロは顔を引きつらせた。
「今日は疲れただろう。明日のためにも休むといい。それとその臭いどうにかしろ。
城壁越えるとかする前に、それだと目立って仕方がない」
兄の言うとおりである。
下水を移動して来たため、ヴァロたちの服には悪臭がこびりついていた。
「入浴室は一階な。フィアちゃんと順番に入れよ」
「あのな・・・」
もはや反論する気にもなれなかった。
「服も用意しておく」
「すまない」
「これだからこの世の中面白い」
「兄馬鹿とは知りませんでしたよ」
あきれ果てたようなものいいでオルカが答える。
「また何か企んでますね?」
「企んでいるのは自分ではないよ」
「弟さんの背後に何かあると?」
「・・・まあ今回はあいつの意思でやったことだろうな。むしろ問題は・・・」
ケイオスは少し考えるようなそぶりをみせた。
「今回は少しばかりやっかいなことになりそうだ」
「・・・顔が笑ってますよ」
主の気まぐれはいつものことだ。オルカはその点はあきらめている。
彼の瞳が鋭さを帯びた光を帯びる。
「壁越えの手配はランドスにまかせる。今後情報はすべて私を通せ」
「御意」
黒ずくめの男は静かに頷き、書斎を後にした。
「・・・月食が近いか・・・」
窓から見える月を見ながらケイオスは一人つぶやいた。
兄ケイオスの用意した部屋はヴァロが思ったよりも豪華な部屋だった。
来賓用に用意された部屋らしい。かなり改装されていて、以前住んでいたときの面影がない。
兄ケイオスの配慮でヴァロとフィアの部屋は分けられた。
ケイオスの配慮にヴァロは少し感謝した。
月明かりの照らす窓際でヴァロはソファーに横たわりながら、ヴァロは今後のことを考えていた。
用意されたベットは上等過ぎてヴァロにとって居心地の悪いものだった。
魔女の味方をするということは騎士団の敵になるということでもある。それは騎士団領内では
まして立場のある人間の肉親がその脱走を手引きしたなどと知れれば大問題にも発展しかねない。
兄貴に頼りすぎるのは気が引けるが、今回はしかたないそうヴァロは自分に言い聞かせた。
まどろみに落ちようとしていたとき、胸のポケットから声が聞こえてくる。
「あんたも苦労してんのねぇ」
「しかし、坊ちゃまってねー、意外」
鳥の姿をした魔女がヴァロを茶化してくる。
「昔はな・・・。親がいなくなってからも変わらず仕え続けてくれてる」
「ごめんなさい少し言い過ぎた」
「もう気にしてない」
ヴィヴィはヴァロの兄貴というものに興味があり、ヴァロのポケットから部屋の様子をのぞいていた。
確かにケイオスと呼ばれるそれと目があったような気がした。
普通の人間がこちらの存在を気づくわけがない。
いくらなんでも考えすぎだろうとヴィヴィはその可能性を打ち消した。
「しかし、同じ兄弟とは思えなかったわ、異母兄弟とかじゃないのよね」
「それは俺の容姿に対する嫌味と受け取ってよいのかな」
「あんた・・・苦労してんのね」
「悪かった。・・・同情はやめてくれ」
どうやらやぶへびだったようだ。たまらずヴァロは額に手をやった。
「たしか城壁を越えた後、魔女の修道院があるといってたな」
ヴァロは居心地の悪さに話題を変えた。
ヴァロがフィアを助けたいといったあと、ヴィヴィが提案してきたことでもある。
「とりあえず北の山脈の麓を目指して。あそこに大魔女の修道院がある」
「安全なんだろうな」
「たどり着くまでは分からないけど、たどり着ければ魔女にとっては世界一番安全な場所なんじゃない?
とりあえずここ三百年の間では襲撃とかはなかったはずだしね」
人間側の教会から、魔女側からは大魔女の加護が受けられる場所。
教会の異端審問官『狩人』も魔女たちの派閥争いからも無縁の場所になる。
とりあえずフィアも安心してあずけられそうだ。
「ほんとは私が一緒にいってあげられればいいんだけどね」
「ヴィヴィは管理者っていうくらいだ、このフゲンガルデンからは動けないんじゃないのか?」
「そうなのよ・・・」
「ところで前から気になっていたんだが、はぐれ魔女っていうのは?」
「・・・すごく稀な存在ね。組織から抜け出た存在」
「なるほどな、それではぐれ魔女というんだな」
「そう。はぐれる連中はだいたい二種類。結社に追われた魔女と結社を必要としない魔女。
大体狩人の標的になるのは前者の集団に追われるほう。ただたいていの魔女は結社を抜ける
ことは大概死を意味するから、どんな手段を使ってでもでもその結社に残ろうとするけどね」
「死を・・・まさか」
「そのまさか。だって自分たちの集団の事情を知ってる元同胞を生かしておくと思う?
自分たちの研究成果、拠点、構成メンバーそれらはすべて秘匿しなくてはならない重要なものよ。
あなたたちもそうでしょ」
一流の職人はその土地の権力者に囲われてる。ガラス、陶器、錬金術など。
ヴァロの騎士団のなかにもそれらを管理する部門があり、厳重に管理されている。
もし外にその製法の出回ることがあれば、固有性は失われることになる。
つまり、人の流出を認めれば、他の場所でも生産が可能になるということだ。
そのため職人と呼ばれる人間の移動には極端な制限がかせられている。
そういったシステムが魔女の社会にもあること自体驚きだった。
しかしふと疑問がよぎる。
「・・・あんたらの社会では同族殺しは禁忌だったはず・・・」
そのシステムが成り立つためには信頼される処刑人が不可欠となる。
同族殺しができないという禁忌があるなら魔女以外のものが処分にあたるということ。
それはつまり・・・。
会話の流れでヴァロは一つの結論に達した。
「ご明察。分かったなら決して口にはださないこと」
鳥の形をした人形が人差し指で口をふさぐそぶりをしめした。
思い当たるふしならいくつかあった。
異端審問官の装備は魔法を帯びた道具をいくつか使用している。
師いわく、毒をもって毒を制する。魔法使いには魔法をもって対処する。
対魔法戦の訓練を受けた当時はその武器がどこから出てきたものか不思議だった。
「物騒な話だ」
「ああ、待って、今のなし。
・・・なんかいろいろ口を滑らせちゃったなぁ」
ヴァロはその言葉に思わず噴出した。
「お前さ、そういうところ、意外と人間くさいよな」
偽りのない正直な感想だ。
その言葉に今度はヴィヴィが吹き出した。
おかしなことを言ったつもりはない。ヴァロは不思議そうにヴィヴィを見つめた。
「わらってごめん。なんか人間扱いされたのは久しぶりで新鮮だったのよ」
ふたりとあうまではヴァロは魔女と化け物を同一視していた節がある。
彼女たちには人間としての感情も、知性も、人格もある。
ヴァロは師の言っていた魔女と必要以上に関わるなといっていた意味が分かった気がした。
ではフィアは?
暗い廃屋で、たった一人、仲間に見捨てられ・・・。
あの時自分にかけられた言葉は今でも忘れない。
「なんで殺してくれなかったの?」
彼女は仲間から死を宣告されていたのだ。そしてすべてに絶望し、自ら死を望んだ。
ただし、あの時ヴァロの手をとった彼女の行動も彼女の意思だ。
自分はこの少女に何をしてやれるだろう。
「ちょっとヴァロ、聞いてる?」
ヴィヴィの声にヴァロは現実に引き戻された。
「ああ」
「最悪フィアを捨てた連中がフィアを狙ってくる。あなたはこれからその覚悟もしなくちゃならない」
「仮にフィアが連中に捕まった場合はどうなる?」
「また違うどこかに捨てられて、今度は本物の狩人がやってくるのでしょうね」
狩人の構成メンバーまではわからないが、ヴァロみたいな例外は極めて稀なケースだろう。
他の狩人が差し向けられた場合、彼女の生存確率は極めてゼロに近い。
彼らはためらいなく手にした剣を振り下ろすだろう。
彼らは魔女狩りのプロであり、標的の前での躊躇は死を意味することを知っているのだから。
「最後に一つ、あんたはなぜ俺に協力してくれてるんだ?」
フィアを助けたいヴァロの勝手にしていることだ。
なんだかんだ言いつつも、彼女は自分のわがままにつきあってくれている。
「・・・なんかあんた疫病神に見えてきたわ」
「魔女から疫病神というのも光栄な話だ」
ヴァロがそう言って笑いかけると、彼女はそっぽを向いてしまった。
表情は読み取れないが、照れていることはなんとなく分かった。
ヴァロは笑いをかろうじてかみころしながら、
奇妙な関係も悪くないかもしれないと少しだけヴァロは思った。
翌朝ヴァロは目を見張った。
浮浪者と変わらない容姿だったフィアの姿が、
まるでどこぞの貴族の令嬢のような姿になっている
波うちながらなびく金髪も、緑の瞳の色もまるで人形のよう。
どこぞの貴族の娘と言われても違和感がない。
ケイオスはフィア用に旅用の服を用意してくれたのだ。
騎士団の独房にいれられていたフィアの服からは、すでに異臭がただよっていた。
さらに城を出る際に下水を通ったため、その異臭は兄の商館につくまでに
ひどいものになっていた。
「あれではレディに失礼だろう」
ケイオスのその言葉が鶴の一声になったようだ。
商館には幸いなことに客人用の入浴施設があった。
彼女の纏うやわらかな香りが周囲にただよう。
「まあ、うちの持っていた服もあるが、もとがよかったからな」
フィアはヴァロの前に歩いてくる。
「・・・どうかな」
ヴァロの顔を覗き込むように聞いてくる様子は、一言で言えば可憐であった。
「見違えたよ、すごく似合ってる」
ヴァロは心底そう思った。
「よかった」
フィアはほっとしたように胸をなでおろす。
自分にも子供ができたらこんな感じになるのだろうか。
「しかし、たまたまうちの商会にあった服が彼女にあってよかった」
「高いんじゃないのか?」
「気にするな。どこぞの貴族から出た古着だ。
今まで品物がいいから、処分しようにも処分できなかった代物だ。
こんなかわいいお嬢さんに使ってもらえるならその服も本望だろうさ」
ケイオスのいう通りかもしれない。
「お前のは俺の昔の使い古しだけどな」
意地の悪い笑顔でケイオスはヴァロに視線を投げる。
使いまわしとはいえ、生地は上等なものだ。
古着屋で買おうとすればかなりの値がつくかもしれない。
「本当にすまない」
「・・・なんか調子狂うな」
いつもとは違った弟の反応にどうやら肩透かしをくらったようだ。
「あとこれな」
ケイオスが大きなバックを手渡してきた。
「そのバックには旅に必要なものを入れといた。何もないよりはずっとましだろ」
「助かる」
「それじゃ、またな」
ヴァロが聖都に赴くときと同じ言葉を兄は投げかけてくれた。
「ああ、またな」
そういうとヴァロは裏口のほうへ振り返った。
ケイオスの計らいで外には馬車が待機していた。
外はまだ薄暗い。まだ日は出ていないのだろう。
「フィア、行くぞ」
「待って」
フィアは振り返るとケイオスに何か言おうとする。
慣れていないのか言葉にフィアは言葉を詰まらせる。
「あ、あの・・・ありがとうございました」
フィアの言葉にケイオスが微笑み、仰々しく一礼した。
「良い旅路を」