1-1 日常
そこは海と山に囲まれた大陸有数の大都市である。
また他の大陸の玄関でもあるため、古くから海上交通の要所としても知られ、
北のニール山脈を裾野に広がる肥沃な大地は人々にたくさんの恵みを約束している。
マールス騎士団領フゲンガルデン、小高い丘にたつ城壁に囲まれた都市である。
丘の上には城が居住区を見下ろすように立っており、城を取り囲むように居住区がたちならぶ。
「ですから、対応が遅いといったではありませんか」
執務室にその声が響いた。
執務室というのは騎士団内において長官職にあるものが、城内でそれぞれに与えられる部屋である。
その管理は各個人に委ねられているが、贔屓目に見てもあまり整理されてるとはいいがたい。
ヴァロ=グリフは不快感をあらわにして、その長官に詰め寄っていた。
「何度もいわせるな。
うちの者には連中へのへの対応できる人間がいない。そのことは君も承知のうえだろう」
太い声の主は騎士団領特別警備長官ノーム。
肩幅は広く、がっちりとした体型で、口元には白髭を蓄えている。
その姿は見るものが見れば威厳すら覚えるものだ。
主にこの騎士団領内全体の警備等の役割を取り仕切っている。
鬼のノームとして騎士団の若手の間からは恐れられているらしい。
その彼が一人の団員に一方的に追及されているのは実に珍妙な光景であった。
「ノーム長官、あれから一週間ですよ。上層部はいくらなんでも対応が遅すぎます」
ヴァロの剣幕は衰えることを知らない。
「ヴァロ、納得はしていないだろうが、ここは抑えろ。
前例のないことではある。上の連中も考えあぐねているんだろうよ。
上のほうへは伝えておくが・・・あまり期待はするなよ」
上司の煮え切らない言葉にヴァロはまた口を開きかけたが、かろうじて言葉を飲み込んだ。
ヴァロは一礼するとその場を後にした。
ヴァロ=グリフ。大陸でも有数の規模の騎士団、マールス騎士団に所属し、
見た目からは痩躯の引きまった体つきをしている。見る人からみれば訓練を受けていることがわかる。
顔に険がなければ、かなり整った顔立ちをしているのではなかろうか。
ヴァロが憤慨していたのは彼自身の処遇のためではなく、彼の捕らえてきた一人の少女に対しての処遇についてだった。
食堂で無理を言って作ってもらった朝食を受け取ると、ヴァロは当の少女の収容されている
拘置所へと足を向けた。
いつもどおり見張り役の青年に挨拶をするとヴァロはその中へと入った。
そこには一人の少女がいた。
拘置所といっても元は騎士団員用の懲罰房である。
拘束するにあたって少女を一人、囚人と同じ牢に閉じ込めておくのも体面的にどうかということで、
今回に限り、懲罰房が拘置施設として使われることになったのである。
「ほら、朝食だ」
ヴァロの手の差し出す先には魔女と呼ばれる一人の少女がいた。
歴史の表舞台に魔女というものが出てきたのは、今から五世紀前にさかのぼる。
第三魔王クファトス=ルゥーが自分の持てる力を娘たちに分け与えたのが起源とされる。
第三魔王が討伐されたあと、どういうことか教会は魔女たちを公式に認めなくなる。
魔女は公式には認められなくなったが、その存在が消えたわけではない。
現在に至るまで影では少なからず事件などが起きている。
ヴァロはその事件への対応ができる数少ない人間の一人だった。
今回の一件もそのためにヴァロが対応に当てられた。
発端は通報は住民からだった。聞けば森の廃屋に夜になると鬼火が出るという。
ヴァロはその一報を聞きつけ、廃屋に向かった。
廃屋の外から部屋の隅に女がいることを確認する。
部屋の片隅にはご丁寧に魔法を使った炎が焚いてある。
ヴァロは一息に部屋に飛び込み、すぐさま剣を首元に当てた。
「お前は何者だ?」
「魔女よ」
そう彼女は簡潔に言い放った。
その少女はぼろぼろの服を纏い、髪は乱れ、ひどく濁った目をしていた。
浮浪者と見間違えられても仕方があるまい。
魔女ならば、すぐにこの場で殺さなくてはならない。
ただ本人が魔女であるということを名乗っているだけで、彼女が魔女である証拠はどこにもない。
魔女は教会の規定では存在しない、ゆえにその存在は葬らなくてはならない。
ヴァロが師から魔女を狩る上でそう教えられた。
その一方で人と魔女を判別する明確な基準は存在しないのも事実である。
厳密に言えば、魔法が使えるか否かなのだが、
しかしそれがより一層人の心を疑心暗鬼にさせた。
教会の目が行き届かない辺境では飢饉や災害を魔女のせいにし、
魔女の疑いのあるものすべてが殺されたことがあるという。
ようするにただの私刑である。
その事実を知るヴァロは混乱した。
自分が殺そうとしているものはただの少女ではないのか。
その疑問にたどりついたとき、ヴァロはその少女を殺せなくなった。
これがこの事件の顛末である。
運んでくる食事には手をつけていることに少し安堵しつつ、
ヴァロはその少女の姿を確認する。
見つけたときと同じように、部屋の隅で足を抱えひっそりと座っている。
ぼろぼろの服はみつけたときのままだ。
もう何日も体を洗っていないのだろう、牢獄からは異臭に近い臭いがしていた。
年頃の娘のはずだ。
その事実がヴァロの心を苦しめる。
「ここにおいておく」
そう言うとヴァロはその牢獄を後にした。
マールス騎士団特殊治安対策課。そこがヴァロの所属する部署の名前だ。
警備長官直属の部署で、十名がその任に当てられている。
おもに騎士団領内のトラブルの解決を担当している。
三人以上は常に騎士団領内のどこかを飛び回っている。
ただ騎士団領は平穏そのもので、何でも屋といってもいいかもしれない。
周囲からは騎士団きっての暗殺部隊とか、秘密工作部隊だとか
散々といわれているらしいと友人から聞いた。
ヴァロから言わせれば、実態は変人たちの集まりなのだが。
職場ではヴァロが同情的な意見が多数だった。
「もう一週間。まだ上のほうは何も決めてないとか、ヴァロさんのいらだつのもわかります」
「だなぁ」
現在対策課の室内にはヴァロを含めて四人の人間がいた。
「しかし、この時期に密入国者か。しかも少女っていうのはなんかいわくありげだな」
少女は表向き身元不明の密入国者ということになっている。
ヴァロが捕らえてきた相手が魔女だということは、騎士団の中でも限られた人間しか知らない。
また自分もこの騎士団の中で唯一の魔物処理担当の人間であることも知られていない。
「ええ。いろいろとあたってみたのですが、少女の身元は特定できませんでした」
付近の村々には最近女が行方不明になったものもおらおらず、
またその少女を知るものはだれもいないという。
ならばこの少女はどこからきたのか?
状況を調べれば調べるほどわけがわからなくなる。
何の目的で、どうしてここにいるのか。何度問いただしたかわからない。
しかし、ヴァロの問いかけに少女は一向に何も答えようとしない。
「謎だらけの事件だな。当人はまだ何もしゃべらないのか?」
「会話すらしてくれません、文字通りお手上げですよ」
「ミステリー!陰謀の臭いがしますぅ」
「リオ、お前は何でもかんでも陰謀と結び付けすぎ」
そういってエイソンは書類でリオの頭を軽く小突いた。
ここで笑いが起こった。
「ヴァロ君、少女の世話、なんなら私が代わりましょうか?」
申し出たのは特殊治安対策課の唯一の女性モニカ女史である。
騎士団において女性は比較的少ない。主にこの部署の取りまとめ役とノーム長官の秘書をしている。
美人で頭もよいため、あこがれる男性があとをたたない。
「まあ、元はといえば自分の引き受けた事件ですし・・・。気遣いだけ受け取っておきます」
願ってもない提案だが、騎士団員とはいえ一般の女性に魔女の給仕を頼むのはさすがに気が引けた。
「なんだよ、ヴァロばっかり」
「それじゃ、エイソンさんにはヴァロさんの抜けた分まで働いてもらいますね」
その一言に周囲の空気が凍りつく。
「は・・・」
「今日の午後から騎士団領周辺の見回り、それとは別に住民からの案件を三件お願いします
詳細はあとで書類にして机の上に置いときます」
エイソンはその言葉に口をあんぐりとあけて聞き入っていた。
その姿は普段の彼を知るものならば、想像もできないに違いない。
「リオ君も逃げようとしちゃだめですよ」
「・・・ごめんなさい」
背後でおそるおそるこの場から去ろうとしていたリオは不意に呼び止められる。
職場は逃げることのできない魔窟と化した。
「ヴァロさんも復帰したら、仕事できない分、がんばってもらいますからね」
・・・笑みが怖い。口答えしたらどんな言葉が返ってくるのか想像がつかない。
「・・・はい」
蛇ににらまれた蛙のようだと思いながらも、
ヴァロはその場で返事をすることしかできなかった。
モンガス卿から呼び出しがあったのはその日の夕方のことだ。