広隆兄さん
「結婚してください」
さらり、と。風になびく髪と同じように、他愛も無い事のように。
高泉佳澄はその美しい顔に満面の笑みを浮かべ、目の前に座る男に契約の言葉を伝えた。
そこからたっぷりと十二秒。
それだけの間を空けて、美しい彼女の前に座るどこにでも居そうな男は口を開けて全ての感情を現し、言葉を漏らした。
「……はい?」
疑問である。
そんな彼を見て、佳澄は面白そうにふふっと笑う。そんな顔がまた一段と可愛いのは置いておく。彼にとっては佳澄が可愛いなんてことは常識の一つであり不変の真理である。なので今はそれよりも耳を疑うような言葉の方が先決だった。
「結婚してください、広隆兄さん」
佳澄はもう一度、間違いの無いようにゆっくりと伝えてくる。そうして、熟れた唇から漏れた言葉は、間違いなく桐野広隆に伝えられた。
―――
佳澄と広隆は、別に兄妹というわけではない。確かに佳澄は広隆のことを「広隆兄さん」と呼んでいるが、その「兄さん」は「お隣のお兄さん」の「兄さん」である。
二人の間にある年の差は12歳。
美少女小学生が前の住まいで誘拐犯だかストーカーだかに狙われた末引っ越してくる、というのを広隆は噂で聞いたことがあった。あまりその噂に広隆が興味を持たなかったのは、今までの自分に全く関係の無かった世界だからだろう。
噂の通り、広隆の隣に越してきた佳澄は、とてつもない美少女であり、その姿をはじめて目にした時の衝撃を、広隆は忘れる事ができない。佳澄の父親母親を見ればそのルーツは解るのだが、娘である佳澄は当事8歳とはいえ、度を越えた可愛さを持っていた。
今でもはっきりと覚えている、八月。
隣に越して来たと、佳澄の家族が全員で挨拶に来た時、広隆は大学生で、夏休みということで家でだらだらと惰眠をむさぼっていた。
初めて会った佳澄とその家族に、ああ、美形って言うのはこういうことか。と深く納得した。
佳澄は例えるなら、まるでドラマや小説に出てくる病弱で本の好きな可憐な少女のように見えた。
さらさらで癖のない、光に当たっても黒い髪の毛は眉の辺りで切りそろえられ、市松人形のようだ、と広隆は一目で思った。だが、くっきりと入った二重の線と、すっと通った鼻筋。市松人形にはない少し彫りの深い顔立ちは、なんとなく沖縄の方の顔っぽいなと考えたが、肌が真っ白なのを見てその考えは捨てた。
佳澄は最初、とても大人しい子どもだった。
広隆を初めて見た時には、さっと親の後ろに隠れた。今考えると、もしかしたら前住んでいた場所でトラウマでも出来ていたのかもしれない。
だが、それも少しの間の事で。
広隆は友人に誘われて初めたボランティアで、子どもとのキャンプやアウトドアをこなすことがあった。そこまで熱心に活動していたわけではなかったが、その時は特に子どもの扱いに自信があった。
割り箸鉄砲を作り、マジックを見せ、手遊びを教え、シャボン玉で遊ぶ。
そのほかにも手練手管の技の数々を惜しみなく使い、人見知りの子どもを手懐けることはそれはそれは楽しかった。
幸いにもロリコンの素質は無かったらしく(あったら恐らく今頃塀の中だろう)、家族同士の仲が良くなると、両家族の信頼のもと(広隆の家族は少し不安そうだった) 引っ越して来たばかりのためか仕事が忙しい佳澄の両親に代わり、夏休みで暇な広隆が面倒を見ることが増えた。
広隆も広隆であまり他人に懐かない佳澄が、自分には遠慮がちだがかわいらしい態度をとるのに優越感を感じたし、自分よりも大層位の高い姉しか居なかったため、可愛い妹が出来たような気分であった。そのため、佳澄を大分甘やかしていた自覚もある。
なにより、佳澄は見た目が可愛かったために、連れて歩く気分の良さもひとしおだ。
面倒をおかけしています、と、佳澄の両親からはお金を渡されるようになり、それなら、と仮にも大学生であった広隆は佳澄の家庭教師をすることにした。
広隆の家族は、こんなかわいい子を家に一人にはできない! と佳澄を諸手を広げて受け入れた。俺が佳澄の家に行けばいいだろ、と広隆は言ってみたが、あんたが危ないでしょ! と姉と母親からは真心をぶつけられ、広隆は泣いた。
気がつけば朝から晩まで佳澄が家にいることが珍しくなくなり、泊まることも多くなった。
最初は大丈夫です、そこまでご迷惑をおかけできません、と断っていた佳澄とその両親は、お節介やきで面食いなうちの両親に、防犯のためと押しきられた。
気がつけば広隆の家には佳澄の部屋が用意され、広隆は一日二回ほど「ロリコンは即追放」と母親と姉から言葉を投げかけられた。何故そんなにも信頼がなかったのか。
でもまあ、大学生の男が面倒にも思わず、小学生にあれやこれとこまめに世話をするのは確かに怪しかったかもしれないと今なら思う。だがそれは家族を見てもらうと解ると思うのだが、面食いの血だろう。お前ら自分を棚に上げやがって、と今でも納得はしていない。
広隆は期間限定とはいえ、家に多くいるようになった佳澄を本物の家族のように扱ったし、いろんな所へ夏休みを利用して連れていった。
夏休みが終わり、佳澄の両親の仕事が落ち着いてからも、広隆は家庭教師を続け、広隆の家の佳澄の部屋は残されたままで、家族同士の深い親交は問題なく続けられた。
環境が変わったためか、佳澄は徐々に内向的な性格から社交的にと魅力的に成長していった。
広隆はそれを父親的目線で少し寂しいと思うも、就職活動や大学の卒業、慣れない仕事に追われそれどころではなくなった。
だが大学を卒業してからは家庭教師もやめ、さすがに関わりが無くなるかと思いきや。実家から仕事に行っていると、晩御飯のときに佳澄がいたり、空いた時間に勉強を教えたり、休みの日にはご飯ににいったりと、本当の兄妹のような付き合いが続いた。
そのため、これからもずっと兄妹のように付き合っていくんだと、少なくともずっと広隆はそう思っていた。
だが、佳澄が進学校である女子高に入学したあたりで、広隆が実家を出ることになった。
姉が結婚して婿養子もらい、広隆の両親と同居することになったらしい。
いろいろ事情があったらしいが、28歳になった広隆としても家を出る良い機会だった。独り暮らし程度の資金は十分貯まっていたため、そそくさと家を探した。
後ろから彼女はいないの結婚か同棲の予定は? とつつかれた気がしないでもないが気が付かないふりをする。
そうして会社からは少し遠くなるが、金額的にも十分なマンションを見つけ、早々に独り暮らしを始めた。
電車で一時間もないほどの距離しかない実家とマンションだが、それでも自然と足は遠のき、今となっては年に一度帰るか帰らないかだ。
佳澄の部屋が残り、広隆の部屋が義兄の部屋になったという事実から実家での広隆の扱われ方を汲み取って頂きたい。家族からは薄情だなんだのは言われたが、もうそんな歳でもない。
そうすると佳澄とも会うことは少なくなり、メールアドレスは知っているものの、距離が出来た。だが実家を出た事で他の家族とも同じように距離が出来ていたので、あまり気にはならなかった。ただ実の妹ではないので、その溝は他の家族よりも実際は少し深いのだけれど。
そうして現在。あまり表示されることのなかったメールアドレスから、広隆に一通のメールが届いた。
佳澄からの連絡で、大学を卒業し、大手化粧品メーカーに就職したとのことだった。そして初任給がでたから二人で一緒に食事をしましょうというお誘い。恐らく近所づきあいのお礼だろう。いい子に育って……と広隆はホロリとなる。
実の妹ならば卒業の時も就職活動の時も連絡できたのだろうが、佳澄が年頃になるに連れて広隆は距離感を計りかねていた。誕生日や成人の祝いなどはしていたけれど。
誰気取りの目線か、と言われると微妙なところだが、兄をぎりぎり行き過ぎた父親目線がこんな感じかもしれない。
就職祝いには、ブランド物の品の良い時計を選び、久しぶりに会う佳澄を楽しみにしていた。
まあ、問題がなければまた綺麗になっているだろう佳澄に緊張しなかったわけではない。最近は忙しさと面倒にかまけて帰省はしておらず、会うのは二年ぶりぐらいのはずだ。
待ち合わせは五分前に行ってみたが、そこには既に微妙な空間が出来上がっていた。
人の多い所で佳澄を見つけるのはとても簡単で、周囲の目線の集まっている方へ行けば間違いない。一般人でありながら、さながら芸能人のようなオーラを出している佳澄は人目を集めるのには十分すぎる。
「佳澄!」
広隆が呼ぶと、携帯電話を見つめていた佳澄は満面の笑みで広隆に手を振った。目線が広隆に一気に集まるという体験を久しぶりにした。
こんな稀有なはずの体験をこれまで何度繰り返してきただろうか。小声で呟かれる広隆へのガッカリ感にももう慣れた。うるせえ。
五月半ば。まだ半そでになるには少し早く、佳澄は薄手で花柄カーディガンを着ており、その下はエメラルドグリーンのワンピースだった。いつも間違いなく可愛い佳澄は、その日もかなり可愛い。
「広隆兄さん、お久しぶりです。今日はありがとうございます。忙しいのに」
小学生の時から丁寧な言葉を使っていた佳澄は、いつになっても広隆の前で敬語を崩さない。実の妹よりも少しだけ他人。そんな感覚が少し寂しく思う。
「いいよ。可愛い佳澄のためだ。俺だって会いたかったし」
まるで口説き文句のような台詞だが、間違いなく妹に向けられるような類の甘さである。そんなに広隆は女性慣れしていないし、こんな言葉を普通に言えるようなら広隆はもう結婚できていただろう。
シスコン丸出しな広隆の言葉に佳澄も安心したように笑う。会話だけなら歳の離れた恋人同士だが、実際はただの兄妹の会話だ。広隆は可愛い佳澄を見て心底デレデレする。
「広隆兄さん、今日は一日遊んでくださるんですか?」
名目上は食事だけだったが、待ち合わせ時間から見ても一日遊ぶ事は十分に予想していた。広隆は甘く笑い、佳澄に頷いてみせる。
「もちろん。佳澄、アクション映画好きだったよな? 時間があったら行かねえ?」
「はい!」
趣味なんてわかりきった間柄である。デートもこんなにスマートに行けば広隆は結婚以下略。残念ながらシスコン力の高い彼の魅力は妹にしか発揮されない。
映画もその後のお茶も、滞りなく楽しい時間を過ごし、夜は佳澄の予約していた店に入った。こじゃれた店だけれど固くもない、広隆の好みにも合うようなワインの美味しい店。内装からいってもそんなに高い場所ではないだろう。佳澄の細やかな気配りが良く解る場所だった。
「広隆兄さん。今日はお付き合いありがとうございました」
「こちらこそ。久しぶりに映画なんて見て楽しんだよ」
コース料理が目の前に並べられ、佳澄が取り分けてくれる。綺麗に盛り付けられた皿を渡され、女の子だなあ、と広隆は感心した。
「私もすごく楽しかったです。広隆兄さん、まるで子どもみたいでしたね」
「……言うな」
佳澄の趣味に合わせたつもりが、映画を食い入るように見つめてのめり込んだのは広隆だった。二時間もあればこれくらい、と思って買ったジュースは映画の終わった時半分も減っておらず、急いで飲んで気分を悪くしたのは記憶に新しい。
「良いじゃないですか。いつまでもピーターパンのようで」
「それは悪意のある言い回しだろ!」
「あらまあ。そう感じるのならそうかもしれませんね」
「否定すらしない……だと?」
昔は引っ込み思案だった佳澄も、大きくなってからは憎まれ口も言うようになって……と成長を感じずにはいられない。それでも可愛いと思う気持ちが一切ブレず変わらないのが彼がシスコンたる所以だろう。
「……広隆兄さん」
話に花が咲き、不意に会話が止まった。そのタイミングで急に、佳澄が深刻そうな顔をした。その顔に広隆はぎくりとする。佳澄がその顔をする時は、広隆が痛い目を見るときである。
おにいさん、こわいお話をききました。……ごめんなさい、お風呂にいっしょに、入ってもらえませんか。
ごめんなさいごめんなさい、おにいさん……いっしょに寝てほしいんです。
おにいさん、だいすきです。おにいさんが迷惑じゃなかったら、私、おにいさんのおよめさんになりたいです。
おおよそわがまま盛りの子どもが深刻な顔をして言って来るような内容じゃなく、全部が全部可愛らしくて、広隆にすれば涙が鼻血とともにこみ上げてきそうな感動的な思い出である。
……ただし、上の二つでは家から追放されかけ(何もして無いのに。姉と母が結局やってた)、一番下のものでは広隆は姉に殺されかけた。嫉妬で。
広隆は誓えるが、佳澄に邪な気持ちを抱いた事は一切無い。
歳が離れていることもそうであるし、どれだけ佳澄が綺麗に成長しても広隆からすれば可愛い妹で、分類は家族だ。
34歳で結婚していないのは面食いと鈍さが祟った結果ではあるものの、恋人を作った経験だって何度もある。
佳澄も佳澄で、小学生中学年ほどまでは広隆にすりこみ的な憧れの思いは抱いていたらしいものの、成長してからはそんなそぶりの一切を広隆に見せていない。
広隆は息を飲み込み、佳澄の言葉を促した。わがままを言わない佳澄からのお願い……ある程度なら広隆は受け入れてしまいそうだ。
「広隆兄さん。結婚してください」
だが、彼女は簡単にある程度を越えた。そして話は冒頭に戻る。
控えめな笑いと同じくして伝えられた二度目のプロポーズに、広隆はようやく頭が動き始めた。
「それは……どういうこと?」
訂正。頭は動いていないらしい。動揺は深い。
これが恋人同士の会話であれば広隆もここまでの動揺はなかっただろう。
だが、どれだけ美人で血が繋がってなかろうが目の前にいるのは間違いなく広隆が妹として可愛がってきた少女だ。彼女の年齢が22とはいえ、一回りも歳が離れていると広隆にとっては少女と言ってもなんら問題がないと思っている。
説明を要求した広隆に、佳澄はため息を吐いた。え、コレって俺が悪いの? 解らない俺が悪いの? と広隆は思うもののそれを口に出す事は出来ない。
「私と契約して夫婦になってよ! ということですかね……これより他の言い方が思いつかないのですが」
裏声で茶化すように某名作アニメを意識した台詞を佳澄が言い、広隆は動揺を一瞬忘れて吹き出した。現実逃避でもあっただろう。
だが、逃避も出来るのは相手が居ない時だけだ。目の前の彼女は逃してくれる気は一切無いらしい。くっきりと線の入った二重の目が広隆を逃がさないように捕らえる。
「いやいやいやいや! 急に可笑しいだろ! 何がどうしてそうなった! 言い方とか伝え方の問題じゃなく!」
こじゃれた店でツッコミのような広隆の声が響く。気が付けば二人は周囲の視線を独り占めだった。広隆に批判的な視線が刺さる。
今の広隆に送られる視線は、目を見張るような美女からの逆プロポーズに呆然とする甲斐性無し、といった所か。凡男に厳しい世の中だ。
「仕方ありませんね。一から説明させて頂きます」
「最初からそうしてくれ……」
説明どうこうの問題で無い事には、残念ながら広隆は気が付く事が出来なかった。
佳澄の説明によると、彼女が就職をして一ヶ月。言い寄る男は数知れず。断り難い上司からも粉をかけられ、人間関係は非常に面倒なところまできているらしい。恋人がいると言ってみても信じてもらえず、気が付けば実家まで押しかけられる始末。
「もう、一ヶ月でこれだと限界を感じまして……」
家族に迷惑をかけたいわけでも無いのに、降りかかる面倒に就職してからのたった一月で疲弊してしまったらしい。
そんな話を聞くと確かに可愛い妹の苦労を考えると、広隆としてもどうにかしてやりたい気持ちになる。だが、
「だからこれはもういっそ、結婚してしまえば良いかもしれないと……」
そこまで飛ぶ意味は一切! そう一切解らない。
「どう考えても思考飛ばしすぎだろ! 夢も希望もないな!」
「ですけど……恋人で効き目が無ければこれはもう、旦那様しかないような気がしてきません……?」
佳澄の表情は疲れきっていた。顔が良いというのも考え物である。
そんな顔を見てしまうと広隆は弱い。弱すぎて声も大分勢いがなくなってしまう。しかし、ここで間違えると妹と結婚する変態になってしまう。一回りも歳が違うのに、ロリコンになってしまう。本来の意味とは違うが、広隆からすれば佳澄はいつまでたっても小さな女の子なのだ。
「いや……もっと、こう、さあ。佳澄の両親もうちの両親もそんなこと許さないだろうし……」
特にうちの家族だ。運がよくても殺されそうだ。
「いえ、広乃お姉さんとおばさまには『うちの愚図でよければ!』と言われましたし、両親にも安心されました」
おじさんとおばさんもそれでいいのか!? っつーかうちの家族がひどすぎる!
「根回し済み!?」
「というか、『それならもう、うちの愚図でももらってよ』と最初に言っていただきまして」
「元凶か!!」
あいつら俺をだしに佳澄と親族になるつもりか! 節操が無さすぎる……
「もちろん、無理にとは言いません。ただ、広隆お兄さんもいい年になり、彼女もないないの。しかもタイプじゃない会社のご令嬢様との婚約話が出てきて困っていると聞きました」
個人情報! 俺の個人情報筒抜け!
広隆は家族と言う壁の薄さを思い知った。一応全部事実である。そこまで家族に話した覚えも無いのに何故知っている。
結婚願望がないわけでもないはずだが、最近は彼女もおらず、姉も結婚していて子どももいるので親から急かされることもなく、仕事が楽しくなってきているため、少々他人事になっていたことは否めない。
そんなとき会社の上司からうちの娘が君の事を気になっていてねえ、と言われて興味をもったものの、残念ながら上司の娘は広隆の好みとは縁遠かった。上からボン・レス・ハムと名づけられそうな見事な三段腹を広隆は受け入れる事が出来ず、断る理由を必死に探していたのも事実だ。
確かに断るにはもってこいの話だが、だからといって妹と結婚できるかといえば答えは否だ。それならどれだけ断りにくくでもボン・レス・ハムと対決する。
「いや、だからといってそんな簡単に結婚とか……」
「じゃあ解りました。同居でいいです」
「はい?」
否定の言葉をだした広隆に、佳澄は仕方がないというように妥協してやるとでも言いたげに食い下がった。予想外の言葉に、広隆はやはり間抜けに口を開けることしか出来なかった。
「同居しましょう、同居。私は会社に結婚前提で彼と同居していると言いますから、広隆兄さんもそのように言うという事でどうでしょう」
「え、いや、ちょ」
「実はですね、家をもう相談して考えてきたのですよ。広隆兄さん、仕事先少し遠いのでしょう? 2LDKの駅近で、広隆兄さんの仕事先からも近い良いところがあるんです。少し高いですけど、二人で割るならそう高いマンションではないので――」
あまり喋らない大人しいイメージだった妹が目の前でめまぐるしく話す所を見て、広隆は混乱していた。話についていけないなんて今更だ。
だが、兄としてここで負けてはならぬと気をしっかりと持つ。
「佳澄! いい加減に――」
「……広隆にいさん……ダメですか……?」
うるりと。
昔と変わらぬそろえられた黒の前髪から覗く大きな目が、水気を含みこちらを向くので。
妹に負けるのは、兄の役目だとばかりに、広隆は敗北した。