そして彼女は現れた
その時。またガラガラと重い音をたてて、教室前方の引き戸が開いた。其処には髪の長い女性が佇んでいた。
「あのぉ…」
彼女が少し窺うような声を出したその瞬間、
「あぁどうぞ!どうぞどうぞ!よく来てくれました!まあまずかけて、かけてかけて!」
キイチローが手を差し伸べ、教室内に招く。こいつ、今の今まで俺の隣に座ってなかったっけ。
「あ、はい…」
彼女は更に遠慮がちになって言った。そりゃそうだ。多分自分と同じく、少なからず緊張しながらも決心して入って来たのだろう。そこにいきなりあのハイテンションな応対。かえって引いてしまっているのだ。そうに違いない。
「よく来たね。君、名前は?何学部?」
「あ、私は…小堀江美といいます。教育学部です。」
「エミちゃんか…いい名前だ。俺はキイチロー、よろしく!」
本人には悪いが、「エミ」とはまあよくある名前だ。それに対してよくもまあ取って付けたように「いい名前だ」なんてペラペラと…。鈴木は半ば呆れ、半ば尊敬し…でもやっぱり呆れた。彼女の態度には、もうあまり緊張感は感じられない。ヤツに対する戸惑い、が第一の感情だろう。
「…また、君は。何回同じことをするんだキイチロー」
呆れかえった顔の豊田さんが割って入る。少し騒がしく抵抗しつつも引き剥がされるキイチロー。小堀さんは、かなり戸惑った表情でその光景を見つめていた。そして思い出したように、周りを見渡し始めた。それはそうだ。入って来た途端キイチローで、全く周りを見る機会がなかった訳だから。
そしてふと、鈴木と目が合った。鈴木は会釈し、彼女も少し笑顔で返した。豊田さんの説明を、真面目な顔をして聞いている彼女は、長い黒髪をさらっと下ろし、カーディガンをふわっと羽織り、長めのスカートからぼわっとしたブーツが覗いていた。少し太めの眉、大きめの目、すっと通った鼻筋。誰もが振り向く様な派手な美貌ではないが、よくよく見てみるとなかなか美人だ。今流行りの「アムラー」とは逆の雰囲気だが、鈴木はその方が好きなタイプだった。
「ちぇっ、お近づきになりたかったのに…。」
キイチローがぼやいている。
「当たり前だ、あんなテンションで迫ったら。」
「えー、誰だってあんなべっぴんさんとは知り合いになりたいだろう、ケンちゃん?」
「…その呼び方はよせ。」
そんな親しくもなってないのに、その馴れ馴れしい呼び方は何だ。大体その呼び方は、子供の頃の呼び名なので嫌いだ。それはさて置き、彼が「べっぴん」と言葉にしたことで、二人とも同じ感想を持っていたことが分かり、そのイメージは一層強まった気がした。
「…呼び方はさて置き、そう思うだろう?あんな美人さん…」
「…声が大きい!本人に聞こえるだろう?」
「褒めてるからいいんじゃない?…あ、ひょっとして、好みじゃなかった?」
「いや…。美人だとは、思うけど…」
一体自分は何を言ってるのだろう。鈴木はかぶりを振った。どうもこの男と話していると、こいつのペースに乗せられる。
「…けど?けど、何よ?」
「…だから。だからって、いきなり本人にそんなこと話さないだろ?」
「そう?美しいものがそこにあれば感動し、口に出し、伝える。何も間違ってない。」
「…お前、ラテン系か?」
彼は実は少しその血が入っているのか、と一瞬思わせる顔立ちだった。
「そうなの?」
突然、後ろから声がして驚かされた。いつの間にか小堀さんが真後ろまで来ていたのだ。
「実は君、ラテン系なの?」
「オー、実はソーナンデース。」
完全に嘘だ。何だそのコントよりもわざとらしいカタコトは。しかし彼女は、
「そうなんだ、ハハ。」
と軽く笑う。これは嘘だと分かったということか。それともまだ本当だと信じているのか。ちょっと判別のつかない雰囲気であった。
「…それで、エミちゃんはどうしてここに?」
「………漫画が描きたいから。」
キイチローの全く同じ問いに対し、彼女は奇しくも全く同じ答えを返した。
「なんだ!全く同じ理由か。気が合うなあ、ケンちゃ…いや、鈴木っち。」
ケンちゃんと呼ばれかけて睨んだ鈴木に気付き、一瞬で呼び方を変えた。にしても、「ち」って。
「何?キイチローくんと同じ理由なの?」
「いや、こちらの鈴木っちと同じなんだよ、エミッチ。」
…だから、「ち」って何だよ。
「そうなんだ…。」
「エミッチ」はこちらをまじまじと見つめた。あんまりまっすぐ見るので、鈴木はポリポリと頬を掻いた。
「で、キミは?キイチローくん。」
「俺?俺はだな…」