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第2話




 あたしは大学生時代に付き合った彼氏の実家に遊びに行く時より多くのドキドキを感じていた。

妹に勧められるまま、春らしい明るい色の小花柄のワンピースを纏い、少しでも清楚に見えるようにナチュラルメイクを施した。

 手土産には前日、会社を定時ダッシュで上がり、電車で往復1時間半かけて有名パティスリーのフランス洋菓子詰合せを用意した。



 少しでも良い印象を持ってくれますように。

 数年前に行った縁結びの神社の女神様に祈りを捧げながら、迎えに来たユウジにとびきり優しく微笑んだ。決死の覚悟で投げ込んだ5,000円分の働きはしてくれよ、と思いながら。




 初めて見たユウジの家の感想は”窓の小さい家だなぁ”ということだった。高い位置に幅の広い長細い窓や開閉式の小さい窓があったりして、部屋の中が見えるような箇所に窓はなかった。

 防犯上の都合で近年では窓の小さい家が多いことも知ってるし、通りに面している場合はずっとカーテンの閉まった家や反射シールを貼っているのをよく見かける。

 ただ、少しそのイメージから閉鎖的な家庭であるのかと不安に思った。



 「ただいまー、ユカリ連れてきたよ」


 「おかえりー、上がってもらってー」



 なんだか間延びしたユウジの声とお母さんらしい人の声を聞きながらあたしは首を傾けた。

 来客があって、招待をした人というのは玄関ホールまで顔を見に来るものではないのだろうか。そうでなくても、がやがやと声が聞こえているリビングらしき所から、顔くらいひょっこり覗いても良いのではないだろうか。手が離せないくらい忙しいと考えて良いのだろうか。

 何となく不安だ。だって今日は跡取りである、長男ユウジの結婚相手(予定)が挨拶に来る日なのだから。もしかしたら将来、あたしが看る方々なのかもしれないのだから。



 「どうぞ」



 ユウジは当たり前のようにスリッパを用意し、並ぶ靴の最後尾にパンプスを揃えたあたしの背をやさしく押してエスコートしてくれた。

 そして、すぐにリビングに行くのかと思いきや、二階へ続く階段を登ってひとつの部屋に入っていった。



 なんだか予想と違うことが多く、あたしは戸惑っていた。

 すぐに渡す予定だった洋菓子はいつまで持っていればいいのか。



 「どうした?」



 不思議そうに首を傾けるユウジにゆるく首を振り、あたしは初めてユウジの部屋に足を踏み入れた。

部屋は整然としていた。建て替えの時に多く物を処分したと言っていた通り、すっきりとしていて家具も新しかった。



 ユウジがベッドに腰掛けたので、あたしはラグの上に座った。

 目の前のローテーブルの上にはノートパソコン、リモコン類、ユウジのトワレ、メモ紙とペンが置かれていた。



 「綺麗にしてるね」



 あたしの部屋よりよっぽど綺麗だ。

 女の子の部屋は物が多い。メイク道具やアクセサリー、小物など整理や纏めるのにテクニックがいるものが多いのだ。しかもそれらはどんどん増える。



 「昨日、頑張って掃除したんだよ」



 ユウジは照れ臭そうに笑った。

 少しそのまま32型の薄型テレビを見たり、DVDコレクションを眺めながら仕事の話や、テレビ番組の話なんかをしていたけど、なんとなくそわそわと落ち着きのないユウジにあたしは言った。

 さっき、ちらりと確認した時間は17時だった。必要であればユウジの母親に早々に挨拶をして料理なんかを手伝った方が良い。最初から悪印象なんて望むところではない。




 「ユウジのご家族にご挨拶しないでいいの?」



 明らかにユウジの顔が引き攣った。

 なんだか嫌な予感がして、あたしはさらに言葉を紡いだ。



 「あたしのこと、反対されてるとか?

・・・実は、何も言ってないとか?」



 ユウジの口がもごりと一瞬動いたのを見て、言葉を待つことにする。ここで辛抱強く待つことが大切だ。やきもきしても、気持ちばかり競ってもしょうがない。

 たぶん、”少し”変わっている理由の説明があると思う。ユウジは迎えに来た瞬間からそわそわし、何度か口が動きかけた。口数も少ない。

 まだ早いから。なんて言われ、ユウジの家にもいろいろ都合があるだろうからと川沿いをドライブ、散歩までしてしまった。その時分からやたらと会話が途切れて、気持ちの悪い散歩だった。



 


 あたしの問い掛けから、さらに気持ちの悪い空気が流れる。

 どうしようとあたしは途方に暮れた。ユウジはもじもじと口を開いては閉じ、なかなか話そうとはしない。お菓子だけを置いて今日は帰った方がいいのかと思う程、ユウジの顔は違和感で満載だ。



 コンコンとノックがされて、緊張が走りまくっていたあたしと挙動不審なユウジは飛び上がった。

 ベッドに座っていたユウジがスプリングで飛び上がるのはわかるが、ラグに座っていたあたしまで5センチくらい飛び上がった。そのままドアが開かなくて良かった。恥ずかしくて身悶えてしまう。



 「なんだよ」



 ユウジは空気が変わったことに少し安堵の色を浮かべながら立ち上がり、ドアの向こうに消えた。

 ぼそぼそ、ひそひそと話し声がするが、内容がわかるほどの音量ではない。訪問者は女性であるということしかわからなかった。話し方から、ユウジは責められているようだった。相手の少し荒げた声に、ユウジは怒られている時に弁明するような、相手を宥める時のような話し方をしていた。




 やっぱり、歓迎されていないのだと気落ちした。

 訪問時に顔を出さなかったユウジの家族、ユウジの部屋に入ってからの世間話とも思えるのらりくらりとした話し、失礼かもしれないけどお茶も出てこない事。なんとなく全てが腑に落ちた気がした。




 ユウジは第二子で長男だ。長子の特徴と二男の特徴を併せ持つ。長子で長女であるあたしからすれば少々厄介な性格の持ち主である。やたらと生真面目で堅実、リアリストの長子の部分があるかと思えば、自由奔放で気ままで甘えた、自分に対して甘い考えを持つ部分もある。

 そんなユウジが結婚を決意したのだ。本気であると、とうとうあたしと身を固める決意をしたのだと、思わずにはいられなかった。




 あたしは気合を入れて着たワンピースを握りしめた。

 なんだか、すごく惨めな気持ちになったのだ。

 付き合って5年。正直、5年も付き合っていれば結婚を期待したのも一度や二度ではない。友人や会社の同僚の結婚式に出席する度に、出産で休職や退職をする人たちを密かに羨んでいた。産休明けで戻ってきた同僚に「子育てにはすっごく体力がいるし、高齢出産はリスクが高くなるから早くした方がいいよ!」なんていう大きなお世話なことを言われ、親や親戚にももっと辛辣な言葉で同様のことを言われ、結婚に対して焦燥の気持ちは常にあった。というよりは、そんなこと分かっている。あたしだって結婚したいし、子供だって欲しい。だけど、それはあたしひとりでできることじゃないじゃないか!相手が必要なんだ!と叫びだしたいのを必死に堪えていた。



 だけど、そんなこと言うのは悔しくて、”海外旅行とか、子供がいたら当分難しいし”だの”結婚したら、今みたいに自分の好きなようにお金が使えなくなるし”だの”まだ、あたしには家庭を持つ自信がない”だのそれはそれは様々な理由をつけて笑顔で余計なお世話な発言をかわしてきた。

 そんなこんなで結婚についてあまり考えないようにしてきた。ユウジのプロポーズですら反応が鈍った程に。



 マジで笑えない。

 武装を解いた瞬間、または休戦・終戦の宣言を聞いた後に背後の敵から攻撃されたような気持ちになる。

 なぜ28歳にもなる男が、家族から結婚を反対されているのだろうか。ユリが言ったように、ユウジは溺愛されているのだろうか。またはユウジの家は今時あり得ないような古風な環境で、幼いころからの許嫁がいたりするのだろうか。




 まだユウジと母親だか姉だか許嫁だかとの口論は続いている。

 ぼそぼそとした声色のみで何を話しているかは聞こえない。非常に気になるけど、ドアに近づいて聞き耳を立てるわけにはいかないのが悔やまれる。そうすれば問題は解決しそうなのに。



 さらに待つこと5分。

 なかなか終わりそうにない話に、これは出直した方が良いのではないかと思い至って、鞄を手繰り寄せた。気を紛らわすために携帯電話をパカリと開いてみる。全く気は紛れないけど、手持無沙汰ではなくなってなんとなく落ち着く。もう、早く帰ってベッドの上でゴロゴロしながら落ち込みたい。いつもより何割増しかのメイクをバシャバシャと根こそぎ落として、くたびれたTシャツとハーフパンツに着替えたい。もちろんノーブラで!



 「ユカリ」



 急に呼ばれて、反射的に肩が跳ねる。

 振り返るとユウジが仁王立ちしている。表情も真剣だ。

 ・・・これはもしかしたら、もしかしなくても、お別れコース?



 「何?」



 平静を装う自分が痛々しい。無理やり上げた口角が震えて引き攣るのを感じる。



 「あの、さ、」


 「あ、あたし、もう今日は帰った方がいいんじゃない?

ほら、なんか、忙しそうだし・・・・」



 何かを言いかけたユウジの言葉をぶった切って、あたしは鞄を持って立ち上がる。

 さすがに今日、結婚の話から別れ話に転じるのは非常につらい。ユウジは早くケリをつけたいだろうけど、今日は勘弁してもらおう。今日のあたしは非常に取り乱すこと間違いない。だってユウジを愛しているし、暴れて残念な女になるのも御免こうむる。最後くらい、聞き分けの良い素直な女になって、ユウジには「前の彼女、いい子だったんだけどさ・・・」って残念な顔して言ってもらいたい。



 「ちょ、何、言って・・・」


 「帰る。

今日は、帰る。ひとりで帰れる」



 明らかにユウジが取り乱し始める。

 ドアの前での攻防戦が始まった。あたしの進行方向にユウジが体を揺らして立ち塞がる。あたしはバスケットの重心を低くしたドリブルさながらにかいくぐろうとする。さらにたまに踏み込んでひょいっとフェイント。ユウジはディフェンダーさながらに重心を低く足踏みをしながら、ひょろりと長い腕を張り、あたしを止めようとする。耳の奥で某バスケット漫画の声援が聞こえる。あのコーチが、あたしをつぶらな目で見ている_____!



 「ま、ま、待て!」



 とうとうユウジがドアに張り付いた。

 軽くトランス状態だったあたしは、我に返ってユウジを見た。

 ユウジは息が上がっている。肺と気管支が壊れたのではないかと思うくらいの、ひゅう、ひゅこー、ひゅう、ひゅこーとした哀れな息遣いだ。電車通勤のあたしと車通勤のユウジの運動量の差は体力に直結している。



 あたしは息を整えながらドアから一歩離れ、腕を組んでユウジを睨んだ。あたしの睨みは非常に恐ろしいと自分でもわかっている。あたしの瞳は、本来あまり大きくなく、コンタクトレンズと化粧の力によるものだ。少し、まぶたに力を加えればどこぞのチンピラのような凶悪な目つきになるのだ。



 ユウジは、そんなあたしを見て息を飲んだ。

 そして、おもむろにポロシャツの裾に手を掛け、インナーシャツごと脱いだ。目を見張るあたしを無視し、さらにカチャカチャと金属音を立ててベルトを外し、下着ごとデニムを脱ぎ捨てた。




 そして、あたかもあたしが悪代官で、ユウジはしょっ引かれた無罪の気の弱い平民さながら土下座をした。とても大袈裟に。お約束通り、靴下は履いたままで。但し、その靴下がくるぶしソックスなのが残念極まりない。










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