第8話:渡辺庄屋の遭遇と、湯島に舞う島猫
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渡辺庄屋の屋敷で出会ったのは、別室の浪人や支援者たちを納得させるべく呼び出された怪人・豊臣秀綱! マリア観音像とアーシュアンの頭脳によって秀綱を心服させ、アーシュアンは正式に四郎の「最高参謀」へ。そして秀綱が影武者を申し出たことで明かされる四郎の本名「益田時貞」と打ち明けられる真実……! 湯島の島猫たちに囲まれた甘い決起前夜をお楽しみください!
一、 渡辺庄屋の怪人・豊臣秀綱
教良木と松島町での奇跡を経て、アーシュアン(林宇軒)と四郎が次に向かったのは、上天草の豪商として知られる「渡辺庄屋」の屋敷であった。天草全土の蜂起に向けて軍資金と物資の調達を交渉するためである。
重厚な長屋門をくぐり、通された豪華絢爛な客間。高級な畳の匂いと古材の香りが漂う室内には、ピンと冷たい緊張感が張り詰めていた。
透かし彫りの襖で仕切られた隣の別室からは、天草各地から集まった血気盛んな浪人衆や地元の支援者たちの、重苦しく不穏な議論の声が微かに漏れ聞こえてくる。
その客間の上座で、肘掛けに大きく体重を預け、尊大な態度で二人を見下ろしていた小柄な男がいた。渡辺庄屋の当主が、難色を示す別室の浪人たちを説得し、納得させるための“切り札”として招聘した怪人――豊臣秀綱である。
「ふん……噂に聞く天草四郎と、その連れの異国人か。百姓どもの噂など当てにはならんと思っていたが、随分と小汚いお連れ様だな」
冷たい目で見下ろす秀綱の背丈は、なんと隣に立つ四郎と寸分違わぬ小柄さだった。小太りでずんぐりとした冴えないツラ構えをしている。だがその細い瞳の奥には、恐ろしいほどの切れ者たる商魂と野気がギラギラと輝いていた。
「俺は太閤秀吉公の血を引く端くれ、豊臣秀綱だ。渡辺庄屋の親父殿に頼まれてな、この天草の蜂起に金を張る価値があるかどうか、別室に集まった泥臭い浪人どもを代表して見極めに来てやったのさ。……で? 金も力もないガキんちょと異国の流れ者が、俺たちをどう納得させるんだ?」
偉そうに鼻で笑う秀綱に対し、四郎は静かに懐から包みを取り出した。金性寺で慈しみ、手ぬぐいで拭き清めたあの小さなマリア観音像である。そしてアーシュアンは、道中で整えた緻密な兵糧・軍資金の予測書状を差し出した。
「なっ……なんだこの観音像の神気は……!? それにこの緻密すぎる補給計算の書状……! 異国の知恵者よ、これを貴様が書いたのか!?」
「ああ。補給ルートの最適化とリスク管理の試算だ」
アーシュアンが冷たく応じると、秀綱はそのマリア観音像と試算資料をバッとその手に受け取った。
そのまま勢いよく立ち上がると、別室との仕切り襖をバンと勢いよく開け放ち、中に集まっていた浪人や支援者たちに向かって朗々と声を張り上げたのだった。
「野郎ども、これを見ろ! 奇跡の聖像と、この完璧なる兵糧の算術! これで幕府と戦えるぞ!!」
秀綱の圧倒的な叫びと手に掲げられた証に、別室の浪人や支援者たちは息を呑み、一瞬の静寂ののち「おおおおっ……!」「これならば勝てる!」「四郎様万歳!」と地鳴りのような歓声を上げた。不信感は一瞬で吹き飛び、一座は熱狂のもとで固く一致団結したのだった。
秀綱は満足そうにニヤリと笑うと、二人に向き直った。
「見たか! 異国の知恵者……四郎様から聞いたぞ、いや『林』殿とお呼びしよう! 貴様、今日から四郎様の『最高参謀』として腕を振るえ! そして四郎様、あんたのその神聖な美貌と凛とした威厳は本物だ。民を動かす最高の看板だよ!」
二、 打ち明けられた真実と、「時貞」への名直し
座を仕切り直し、二人に膝を乗り出した秀綱は、アーシュアンと四郎の顔を交互に見つめた。
「そこで提案だ。天草四郎ってのはな、一人である必要はねぇんだよ」
「……一人である必要がない、とはどういうことですか?」
四郎が首を傾げると、秀綱は自分の胸をドンと叩いた。
「俺と四郎様は、背格好も身長もぴったり同じだ。頭巾をかぶり、羽織を引っかけて遠目に立てば、誰がどう見ても『天草四郎』に見える。俺が裏で軍資金や補給を回し、時には東の陣で影武者として顔を隠して立つ。四郎様は西の陣で民に慈悲を与えればいい。場面に応じて役割を分担するのさ!」
(なるほど……! 負荷分散と代理サーバーの構築か!)
アーシュアンはエンジニアとしての直感で膝を打った。幕府軍に『四郎が複数いる!?』と錯覚させれば情報戦で圧倒できるし、物流や資金の管理も秀綱が引き受けてくれれば、四郎の負担が一気に減る。
「ヘッ、話が早くて助かるぜ参謀殿! ……それにさ」
秀綱は不敵に笑うと、四郎に向かって優しく声を落とした。
「俺が四郎として表に立ってやれば、あんたはその間、重い大将の仮面を脱いで『ただの女の子』に戻れるだろう?」
その言葉に、四郎はハッと息を呑み、肩を震わせた。
驚くアーシュアンの視線を感じた四郎は、ぎゅっと着物の袖を握りしめ、意を決したように静かに口を開いた。
「……アーシュアン。今まで隠していて、ごめんなさい。……私の本当の名前は、益田時貞といいます。父たちや民の希望になるために、男の着物を纏い、神童『天草四郎』として立ってきました……」
消え入るような声で打ち明けられた真実。アーシュアンは心の中で深く頷きつつ、納得と感嘆の混じった温かい目で見つめ返した。
(……やっぱりそうだったのか。本名は益田時貞……!)
これまで間近で接してきた彼女の華奢なシルエット、儚くも美しい佇まい、そして背負わされた重圧の正体が、すべて一筋の光のように美しく繋がった。
「そうか……益田時貞。すごく綺麗で、いい名前だ」
「よし決まりだ!」と秀綱がパンと手を叩いた。
「仲間内や民の前では『四郎様』で通すが、林参謀と二人きりの時は、本名の『時貞』に戻りな。重荷は俺たちで分担するんだからよ!」
屋敷を後にする夕暮れの道中、アーシュアンは隣を歩く彼女をそっと見つめ、語りかけた。
「……これからは、二人の時は『時貞』って呼ぶよ。いいかい、時貞」
彼女は頬をポッと朱に染め、嬉しそうに頷いた。
「……うん、ありがとう、アーシュアン。『時貞』って呼ばれるの……すごく嬉しい」
三、 湯島(談合島)の秘密会議と「時貞」の素顔
秀綱の協力を得た二人は、天草と島原の中間に浮かぶ孤島――「湯島」へと渡った。別名「談合島」。天草・島原全土の領主やリーダーたちが密かに集まり、一斉蜂起の作戦を練る運命の島である。
潮の匂いと波音が包み込む入り組んだ入江の隠れ家。そこで開かれた極秘会議では、秀綱が軍事プロデューサーとして軍資金と兵糧の配分を鮮やかに仕切り、参謀たるアーシュアンがシステムで計算した最適な補給ルートを提示した。各郷のリーダーたちの士気は最高潮に達した。
会議が終わり、秀綱が影武者として残務処理を引き受けてくれた夕刻。
アーシュアンは港の近くの閑静な石段で、ぽつんと座り込んでいる彼女の姿を見つけた。
波が静かに打ち寄せる小さな港。その周りには、人懐っこい湯島の「島猫」たちが数匹集まり、彼女の裾や膝に体をすりすりと擦り寄せて毛づくろいをしている。
「お疲れ様、時貞」
アーシュアンが優しく声をかけると、彼女は肩を小さく跳ねさせ、パッと振り返った。
茜色の夕陽を浴びて頬を赤く染めた彼女の瞳には、大将としての威厳ではなく、一人の可憐な少女の素顔が浮かんでいた。
「……あ、アーシュアン。……うん、お疲れ様」
アーシュアンは隣に腰を下ろし、膝に乗ってきた茶トラの猫を撫でながら笑いかけた。
「秀綱が引き受けてくれてる間はさ、大将の重荷を下ろして『時貞』でいていいんだよ。誰にも気兼ねしなくていいんだから」
四、 島の夕映えと、決起前夜の甘き誓い
「時貞」と呼ばれた彼女は、恥ずかしそうに目を細め、足元の白猫を愛おしそうに撫でた。
「……ありがとう、アーシュアン。みんなの前では……『四郎様』として凛としていなきゃいけないけれど……アーシュアンに『時貞』って呼ばれると、なんだか本当の自分に戻れた気がして……胸の奥がすごく温かくなるの」
海からの冷たい風が吹き抜け、二人の胸元に下げられた「対の長玉ペンダント」が着物の下でかすかに淡い緑の光を明滅させた。
「これから……天草と島原の全島が立ち上がる。正直、すごく怖いよ。わたしなんかにみんなの命が背負えるのかなって……」
時貞がぽつりと漏らした不安に、アーシュアンはそっと彼女の小さな手を包み込んだ。
繊細で、少し冷たい指先。だがその内側には、確かに熱い鼓動が宿っている。
「大丈夫だよ、時貞。君は一人じゃない。秀綱もいる、僕もいる。僕のシステムと現代の知識……そして何より僕の命をかけて、絶対に時貞とみんなを守ってみせる。歴史の悲劇なんて、僕らが変えてみせるよ」
「アーシュアン……」
時貞は手から伝わる温もりに目を潤ませると、そっとアーシュアンの肩に自分の小さな頭を預けた。膝の上では島猫が幸せそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
黄金色に染まる湯島の海を見つめながら、二人は決起の前夜、言葉にならない固い絆と愛おしさを静かに確かめ合うのだった。
やがてすっかり日が落ち、潮風が冷たさを増すと、二人は猫たちに名残惜しく別れを告げ、港のすぐそばにある極密の隠れ屋――その一室へと戻った。
行灯の柔らかな光が仄暗い室内を照らす中、二人きりで机をはさみ、明日の一斉蜂起に向けた最終の作戦図を静かに広げ直していた。
――その時だった。
ドンドンッ! ガチャリ!
「四郎様! 参謀殿! 各郷の若い衆が挨拶を申し上げたいと――ッ!?」
突然、控えの間の戸が無造作に開きかけ、一揆軍の若い兵士が勢いよく顔を覗かせようとした!
「っ……!?」
心臓が跳ね上がるような衝撃。時貞は男装の頭巾を外したままであり、しなやかな黒髪を下ろした可憐な少女の姿でアーシュアンと手を重ね合わせている。もし見られれば、「天草四郎は少女だった」という絶対の秘密が暴露し、一揆軍の結束が一瞬で崩壊してしまう!
(しまっ……!)
アーシュアンは瞬時に体を動かした。間髪入れずに時貞の細い肩を引き寄せ、自らの背中で彼女の華奢な身体と顔を完全に覆い隠すように、力強くその腕の中に抱きかかえた。
ドクン、と胸の中で時貞の息が止まる音がした。至近距離から漂う髪の甘い香り。薄い着物越しに伝わる少女の体温と、狂おしいほどの鼓動。
アーシュアンは抱きしめたまま、咄嗟に低く冷徹な声を部屋中に張り上げた。
「――入るな! 無礼者!」
「ひっ……!?」
戸を半開きにした兵士が、アーシュアンの凄まじい威圧感に気押されて足を止めた。アーシュアンは時貞を強く胸に抱いたまま、背中越しに鋭い視線を投げかける。
「今は四郎様と『明日の一斉蜂起に向けた極密の霊視』を行っている最中だ! 神聖な儀式を邪魔する者は、デウスの加護を失うぞ。下がれ!」
「も、申し訳ございません、参謀殿! 四郎様の霊視のお邪魔を……っ! すぐに下がります!!」
青ざめた兵士は慌てて頭を下げ、戸をバタンと勢いよく閉めて走り去っていった。
静まり返った室内。
アーシュアンの腕の中で、時貞は真っ赤になった顔を彼の胸に埋めたまま、トクトクと激しく打つお互いの鼓動を感じていた。背中に回されたアーシュアンの力強い腕の温もりが、肌を通して直に伝わってくる。
「あ、アーシュアン……息が……止まるかと思いました……」
「……僕もだ。心臓が口から飛び出るかと思った……」
ふっと胸をなでおろし、抱きしめていた腕の力を少し緩めると、至近距離で二人の瞳が吸い寄せられるように交差した。
戸一枚を隔てた冷汗もののサスペンスを乗り越えたことで、重なり合った指先に、秘密を共有する甘く痺れるような熱が伝わっていくのだった――。
第8話をお読みいただき、ありがとうございました!
秀綱の「影武者」提案をきっかけに、ついに明かされた四郎の真実――「益田時貞」という本名と少女としての素顔。アーシュアンがそれを受け入れ、最高参謀として彼女を支える覚悟を新たにする姿を描きました!湯島の島猫たちに囲まれた甘い夜を経て、次回第9話はいよいよ全島一斉蜂起へとなだれ込みます。ぜひ応援よろしくお願いします!




