第9話
浪花食い倒れ歳時記:梅の屋・九月(長月)の章
―― 観月の宴、里芋の「衣かつぎ」と菊菜の薫り、そして人生の余韻 ――
九月は、大阪の街が「静かなる歓喜」に浸る月。
「梅子ちゃん、見てな。今夜の月は、淀川の水を銀色に染めるほど立派なもんだぜ」
信吉が秋の収穫を知らせる便りとともに、山から掘り出したばかりの、泥のついた里芋を届けてくれます。
この時期の梅の屋の厨房は、夏の激しさを終え、素材の持つ「素朴な力」を最大限に引き出す、修道院のような静謐な場所。
指南の第一は、月への捧げ物、浪花の「衣かつぎ」にございます。
九月の里芋は、まだ皮が薄く、中身は驚くほど白くねっとりとしています。
「梅子、九月の料理は、飾りを捨てること。里芋を皮のまま蒸し上げ、その皮を少しだけ剥いて、白く輝く身を月に見立てる。これこそが、自然への最高の礼儀だよ」
源蔵の教えの通り、私は一滴の出汁も使わず、ただ清らかな水の湯気だけで里芋を蒸し上げます。
皮を指でつるりと剥けば、中から現れるのは、中秋の名月そのもののような清廉な白。
そこに、道修町の薬種から作った特製の「胡麻塩」をひと振り。
口に運べば、土の濃厚な香りと、里芋の淡雪のような甘みが溶け合い、身体の奥底から力が湧いてくる。
これこそが、飽食を極めた大阪人が最後に辿り着く、原点の味にございます。
指南の第二は、秋風を纏う「菊菜(春菊)のお浸し」。
九月、大阪の食卓に彩りを添えるのは、香りの強い菊菜。
「九月の料理は、香りを食べること。菊菜の独特の苦味は、夏の疲れを追い出し、秋を受け入れるための『心の門』を開くのです」
お菊の指南に従い、私たちは菊菜をさっと熱湯にくぐらせ、すぐに冷水で締めて緑を定着させます。
そこに、信吉が江戸から持ち帰った「極薄の削り節」を天盛りし、最高級の真昆布出汁を注ぐ。
シャキシャキとした歯応えと、鼻を抜ける清涼な香り。
それが里芋の重厚な旨みと出会うとき、梅の屋の膳の上には、秋の夜風が吹き抜けるような、完璧な調和が生まれるのです。
指南の第三は、人生を慈しむ「観月の盛り付け」。
九月十五日、十五夜の夜。
「料理は、ただの食べ物ではありません。過ぎ去った日々を懐かしみ、今この瞬間に生きている喜びを噛み締めるための、人生の余韻なのです」
お菊の教え通り、私たちは三方にススキを飾り、月明かりの届く縁側に、里芋と菊菜、そして「紅生姜」の天ぷらを並べます。
この紅生姜の赤は、秋の夕焼けの最後の残り火。
「さあ、この一皿と共に、今夜はゆっくりと月を眺めてください」
その一言と共に差し出す膳は、忙しなく働く商売人たちの心を一時停止させ、永遠の静寂へと誘う、時の贈り物にございます。




