第5話
浪花食い倒れ歳時記:梅の屋・五月(皐月)の章
―― 薫風の力、豆御飯と「鰆」の幽庵、そして初夏の約束 ――
五月は、大阪の街が「生命の咆哮」に包まれる月。
東横堀川を泳ぐ鯉のぼりが風を孕んで踊り、道修町の路地裏からは、初夏の力強い日差しを浴びた子供たちの歓声が聞こえてきます。
この時期の梅の屋の厨房は、一年のうちで最も「緑」が鮮やかに輝く場所。
指南の第一は、土からの贈り物、一番獲りの「碓井豌豆」との語らいにございます。
大阪近郊の畑から届くこの豆は、鞘を割れば 中から宝石のような真珠色の粒が溢れ出します。
「梅子、五月の豆御飯は、豆を炊き込んではいけません。豆の『色』と『香り』、そして『弾ける音』を殺さないのが、大阪の板前の心意気だよ」
源蔵の教えは、何よりも素材への敬意。
まず、真昆布の出汁だけでお米を炊き上げ、豆は別の鍋で、ほんの少しの塩を加えた出汁でさっと色鮮やかに茹で上げます。
炊き上がった真っ白な御飯の上に、この鮮緑の豆を混ぜ合わせる。
その瞬間、立ち上る湯気は、まるで新緑の森の香りを凝縮したような、清々しい喜びに満ち溢れるのです。
指南の第二は、海の薫風「鰆」の幽庵焼き。
春から初夏にかけての鰆は、その名の通り「魚」に「春」と書く、この季節の王。
「五月の料理は、風を喰らうこと。鰆の身に、柑橘の香りを移し、焼き上げる。それが皐月の空を飛ぶ鳥のような、軽やかな旨みを生むのです」
お菊の指南に従い、醤油、酒、みりんに、たっぷりの柚子や酸橘の絞り汁を加えた「幽庵地」に、鰆を漬け込みます。
松子が炭を熾し、竹子が絶妙な間合いで鰆を返す。
焼き上がる鰆の表面が黄金色に輝き、柑橘の爽やかな香りが厨房を満たすとき、それは食欲を呼び覚ます「初夏のファンファーレ」となります。
豆御飯の素朴な甘みと、鰆の洗練された香ばしさ。
この二つが合わさるとき、梅の屋の膳は、大阪の街に吹く薫風そのものとなるのです。
指南の第三は、清めるための「菖蒲」の精神。
五月は、邪気を払い、健やかな成長を願う月。
「料理は、ただお腹を満たすものではありません。その人の心に、真っ直ぐな菖蒲のような強さを植え付けるものでなくてはならない」
お菊の言葉を胸に、私は料理の盛り付けに、一工夫を凝らします。
笹の葉を敷き、その上に力強く、しかし気品高く料理を並べる。
それは、五月の空に真っ直ぐ伸びる竹のように、食べる人の背筋を正すための演出。
「さあ、これを食べて、夏への準備を整えてください」
その一言を添えて差し出す膳は、浪花の商売人たちの心を整える「心の仕度」にございます。




