人口減少、少子高齢社会は決して悪いことではないと思っている
最近、中学生向けの参考書を書店で購入して読んでいる。中学生レベルの知識、学力という言葉が時々悪口で使われるのを目にするのだが、今の自分はそもそも中学生レベル云々をクリアしているのだろうかと疑問が芽生えたためである。思い返せば、自分が勉強で一番苦しんだのは中学校時代だったのだ。義務教育を舐めてはいけない。
さて、中学地理を改めて勉強していた時のことである。ロシア連邦の国土面積は日本の約45倍であり、人口は2020年時点でおよそ1億4600万人という記述を見つけて驚愕した。日本にはロシア連邦の45分の1の土地しかないのに、そのロシア連邦と同じ位の数の人間がひしめき合っているということになる。二郎系ラーメンもかくやという無茶な盛り付けではないか。
もちろん、広大なシベリア地方にはそもそも人間が生活できない土地もある。よって、土地面積だけで単純な比較は出来ないのだろうが、その点を考慮しても日本には人間が多すぎるという感覚はそれほど的外れではないと思う。
思えば、子供の頃の家族旅行で車渋滞に巻き込まれた時、社会人になって通勤ラッシュの満員電車に押し込められた時、人類は粛清されるべきだという考えがよく頭によぎったものだ。映画「アヴェンジャーズ」シリーズを観た時はラスボスのサノスを応援していたし、シリーズ最高傑作はインフィニティー・ウォーだという評価は譲れないのである。
直近の国勢調査によって把握されている日本の人口は約1億3000万人であるが、江戸時代末期の人口は推定で約3500万人であったという。大政奉還が行われたのが西暦1867年であるから、200年も待たずに日本の人口は約4倍に膨れ上がったことになる。医療や科学技術の発達、食料問題の解決、ここ80年は戦争をしていないということを考慮したとしても、人口が増えすぎている。最近何かと話題になる外国人の移住など、これを前にすれば瑣末な問題に過ぎないと思える。
戦後のベビーブームなどで人口は増えていったわけだが、その背景には戦後の復興期における社会の要請が強く働いていたと考えて良いだろう。身も蓋もない言い方だが、労働力を確保するために人間を増やす必要があったということである。農林水産業や製造業、建設業においては、体力のある働き手(=若者)が重宝され、地方から東京に働きに出てくる人間も多かったようだ。
その後、主産業がサービス業や小売業などに移行すると、従来ほどには現場での労働力が必要とされなくなる。さらに情報技術などの発達により、事務系の仕事、いわゆるホワイトカラーの職場においても人間の役割は減っていくこととなった。AIの登場によりその速度は増すばかりだ。もはや人間にしか出来ない労働は芸術や芸能くらいかとも思われたが、その方面にも生成AIの進出がある。
今後、人間が労働力として求められる機会は減り続け、いずれ完全に不要となる日も来るだろうと考える。だから子供を産むべきではないと言いたいわけではない。そもそも、労働力のために人間の数を増やすという発想が人間の尊厳を無視した蛮行だったのだ。人は労働のために生きているわけではないし、役に立つから生きることを許されているわけではない。生きることに目的などない。
これまでの右肩上がりの人口増加が不自然な状況だったのであり、現在の少子高齢社会、それに伴う人口減少は社会があるべき形に戻りつつあると評価することはできないだろうか。
問題があるとすれば、これまでに構築されてきた社会制度が現在の社会状況とマッチしていないことだと思う。そのことが世代間の負担の不公平といった社会の歪みを生んでいるのだろう。終わり




