(第七篇)ステージフライト
ミャンマー入国翌日の、路上歩きの一日
英国統治時代の面影は首都ヤンゴンの街のそこここに残ってはいた。大通りには枝葉が繁茂する丈高い街路樹が、近代都市ふうに整然と立ち並んでいた。けれど、そんな大樹の葉蔭の下の道端には、今その時のミャンマーの実際が息づいていた。街路樹を日傘代わりにしたモヒンガー(麺)などの屋台や茶店、また衣料や食器などの生活用品を商う露店が賑わっていた。
ダウンタウンの裏通りに、屋台の茶店だけがいくつも集まる一画があった。広場のあちこちの丈高く太い幹の常緑樹が、繁茂した枝葉を互いに連ね重ねて、樹影とともに店上に天然のシェードを張る、といったおもむきだった。風がいっとき枝葉を揺らすと、木の実や枯れ葉が、客たちの頭やテーブルの上に落ちてきたりした。テーブルはどの店も、プラスチックの低い脚の小さなちゃぶ台ふうのもので、そのそばに、これもプラスチックの風呂椅子のような小椅子がセッティングされていた。そして客たちは「スリー・イン・ワン」と名づけられた、砂糖と粉ミルクが一緒に袋に入ったインスタント・コーヒーや、煮出し紅茶を飲んでいた。
わたしから五メートルぐらい離れたべつの店に、中年と若年層が入り交じる六人の、ロンジー(民族衣装の腰巻き)姿の地元の男たちがやってきてテーブルを囲んだ。彼らのうちのボスといったふうの一人が、輪ゴムを巻いて束ねたふうの十センチくらいの厚みの札束を、むき出しのまま七、八束も紙袋から取り出してテーブルの上に置いた。異国のツーリストにとっては、「あれっ」と誰もが目を引かれるであろう一光景だった。男たちの背中と背中の隙間に垣間見る札のサイズや色が、ドル紙幣のそれではないことは、テーブルを隔ててはいても見てとれた。その大きめの札は、地元のチャット紙幣のように思えた。ならば、ドル稼ぎの合法、あるいは非合法の闇の両替にでも使うのかもしれない──。いずれにせよ、それがチャット紙幣ならば、国境を一歩出れば紙屑も同然のものだった。
彼らはいつもの仕事前の朝のミーティングといったかんじで、周りを気にするふうもなく、十分、二十分と話し込んでいた。その間、札束はなんの覆いもなく、裸のままに衆目に晒され続けていた。が、すぐ間近に接するテーブルの客たちでさえ、おおっぴらには男たちのほうに顔を向けたり、ことさらに札束をチラ見する目つきの者は見あたらなかった。地元の他の客たちにとっては、見慣れた場景の一コマのようでもあったが、あるいはなにかの警戒心ゆえの、見て見ぬふりなのかもしれなかった。やがて配られた札束を手にした者たちが席を立ち、何処かへと散って行った。
広場の真ん中あたりに植わる、ひときわ丈高い大木の、幅広の葉叢を透かして、午前の青い空と白い雲がまだらにチラつき見えていた。洩れくる南国の日差しは、真っ昼間のキツさはなく、街歩きするにまだイイ感じの柔らかさだった。
辺りは夕暮れて、市庁舎やビルの窓明かりが夕闇に照り映え始めた。ライトアップされた、ほぼ五十メートルの高さのスーレー・パゴダ(仏塔)も、こころなしか昼間よりもアリガタミを増して見えるかのようだった。
いま客がわたし一人だけの路傍の茶店前の並木には、電飾がほどこされていた。二杯目のコーヒーを飲んだ。まもなく、ちょうど舞台の上手から、といったふうに欧米人らしき若い女がやってきて、低い椅子に腰を下ろした。女はカーキ色のショートパンツに白いTシャツを着ていた。彼女はテーブルに伏せられた湯呑みを立て、薬罐のお茶を注ぎ、二杯、三杯とたて続けに飲んだ。その湯呑みは、先客が帰った後、洗われもせず、残りしずくを切っただけのものだった。彼女は知ってか知らずか、まったく気にするふうもなかった。
ほどなくして、生野菜が添えられた、まぜ飯のようなものが彼女のテーブルに運ばれてきた。彼女は箸を器用に使って生野菜をつまみ、おいしそうに食べていた。彼女の視界に入っているはずの屋台の横で、店の少年がバケツの溜め水で皿や野菜を洗っていた。彼女はそれほど日焼けしていなかったが、バックパッカーのように見えた。でなければ、こんな茶店で食事するはずがなかった。
次に、この一場の場面展開をうながすかのように、今度は幼児を小脇に抱えた地元の中年の物乞い女がやってきた。そして、食事中の欧米女のかたわらに立ち、カネを乞うた。彼女は顔を上げ、「ノウ」と首を横に振った。つけこみようのない、しごく明確な「ノウ」。さすがに欧米人らしく、シビアなエゴが言い放つ、「アドリブはなしね」といったふうの、きっぱりとした口調だった。
物乞い女はすぐに欧米女のそばを離れ、コーヒーを飲むわたしの前にきた。そして片方の掌を上に向けて差し出し、「マニー」といった。女はくすんだ茶色のブラウスの裾を、色褪せたチェック柄のタメイン(腰巻き)の上に出して着ていた。前抱きにされた幼児は女の胸に頬をあてて眠っていた。女は椅子に腰掛けるわたしを見下ろしていた。わたしは、夜空やビルの窓明かり、通りを行き交う車のヘッドライトや騒音を背景にして立つ女をどれほどか見上げていた。わたしの台詞も、欧米女と同様に「ノウ」のはずだった。こんなシーンはインドでイヤというほど実習済みのことだった。だが、どういうわけか、そのとき「ノウ」、この一言が口をついて出てこなかった。ステージフライトという言い回しがあった。わたしはあがってしまった。女の面差しが、わたしの目の中で、物乞い女から母親へ、そしてただの女の顔へと様変わりしていった──いや、そんな潤色たっぷりなシーンの展開はまったくなかった。目の前の女は能面のように終始無表情で、わたしもまたただの呆け面をして、つかのま見つめあっただけのことのはずだった。
物乞い女は、あきらめたようにわたしに背中を向けた。そして一歩二歩と立ち去りかけた。とっさに、わたしは、「ああ、ちょっと、あのう」と、間の抜けた日本語で女の背中に声をかけた。女は振り向いた。わたしはポケットからチャット紙幣を一枚取り出し、腕を伸ばして女に示した。女はわたしのほうへ歩み寄った。女は、すべての役柄から降りたような、誰でもなく、何でもないといったかんじの、穏やかな表情をしていた。女は無言でその紙幣を受け取った。そして、一場の路上パフォーマンスを終えて、といったふうに、ゆっくりとした足取りでスーレー・パゴダのほうへ歩いて行った。「……役者失格だな。もっと稽古に励まないと」と、わたしは物乞い女の後ろ姿を見やりながらそう思った。




