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(第六篇)夜市

 夕立ちが止んだ。夜市は一気に夕闇を色濃くしていった。簡易テントの天井やパラソルに吊り下げられた裸電球が、衣服や日用品、フードなどの商品にスポットライトをあてていた。いったんは驟雨に散った人たちがまた広場に集まって来ていた。

 長髪の地元タイの若者がワゴンの中のビデオをあさっていた。若者は赤地に黒一色で、チェ・ゲバラの髭面がネガの図像にプリントされたTシャツを着ていた。客寄せの大型のポータブルテレビが、白いキャミソールとピンクのホットパンツをステージ衣装にしたタイの女性歌手が、艶めかしく腰をグラインドさせながらタイポップスらしきを歌い踊るのを映していた。その画面を、派手なチェックのシャツを着てハーフパンツを穿いた老男が惚けたように突っ立って身じろぎもせずに眺めていた。曲が終わり彼と目が合うと、老男は「あんたもな」そんな感じに異国のツーリストの彼に向かってニヤリとした。リサイタルなのか女性歌手は次ぎの曲を歌い始めた。その画面の下で折りたたみ椅子に脚を組んで腰掛けた店主のオヤジが、サンダルばきの足首をブラブラさせて、雨上がりの夜空を仰ぎ見ながら煙草を吹かしていた。


 市場の敷地の隅っこ、シャッターが下りた建物の軒先で姉弟らしき子供が二人、シートの切れ端の上に古漫画本を十冊ほど並べて売っていた。彼らは五才と三才ぐらいに見えた。ともに裸足だった。少女はTシャツに短パンだったが、男児はブカブカの青地に花柄の女物のシャツを着ていた。その裾が膝下まで垂れて、パジャマのように見えた。彼らの様子にはどこかしら大人の企みの影が潜むと感じられなくもなかった。が、とりあえず二人は快活だった。幼き店主の少女は、さしあたり必要もありそうにないのに古本を何度も並べかえてみたり、はしゃぎまわる男児の相手をしたりですこぶる多忙にしていた。

 風船の長い糸の端を片手に握ったヨチヨチ歩きの男の子が、二人の店の前をパタパタと通り過ぎて、両親らしきとともに市場の外へ出て行った。はしゃいでいた男児は身動きを止めて、夜市を行き交う大人の背丈よりも高くの中空にゆらめきながら流れて行く、白い風船を目で追った。風船には東南アジアでも子供たちに人気のドラエモンの絵が描かれていた。

 彼は道端にしゃがんで、その日の長い道歩きの足休めをしながら、なんとなく少女たちを見ていた。

 

 マーケット内に出入りする人々が、足繁く彼らのささやかな露店の前を通った。けれど足を止めるものはなかった。彼が見始めて二十分も経ったころ、子供連れの中年の夫婦らしきが、ようやく御来店といったふうに立ち止まった。男が膝を屈して、なにか短く少女に話しかけたようだった。彼の背中越しに、少女がちょっと生真面目な顔付きで二度ほどうなづくのが見えた。男はタイのアッパークラスのシンボル的な身づくろいをしていた。白い長袖のカッターシャツに黒の長ズボン、腰のベルトにはケータイのポーチ、そして革靴を履いていた。

 男はただのヒヤカシの客ではなかった。彼は商品の古漫画本を一冊手に取ると、傍らの自分の子供らしき、店主の彼女と同年齢くらいの少女に無造作に手渡した。そして革財布から二十バーツ(約六十円)紙幣を出し、幼き店主に支払った。少女は丁重にタイ・スタイルのワイ(合掌)をしてのち、代金を受け取ってニコリとした。彼らから三歩くらい離れて脇に立つ、男の妻らしき女は無言だった。終始無表情にその様子を見ていた。

 彼らが去ったあと、少女は「待ったかいがあった。ネバって良かった」そんな感じでとてもうれしそうだった。少女は短パンのポケットからもう一枚の二十バーツ紙幣を取り出すと、今の入金と二枚重ね合わせて愛おしむようにそのシワを伸ばした。そしてそれを二つ折りに畳んでまたポケットに入れた。少女はその一連のまったく同じ仕草を、男児相手に「わたしが売ったんだから」とでもいうように得意満面で二度、三度と繰り返した。午後八時過ぎ、今のところ少女の本日の売上げは漫画本二冊、四十バーツ(約百二十円)のようだった。

 夜市はまだまだ続くふうで繁く人が行き交っていた。彼は立ち上がり、敷地を出て宿へと向かった。


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