エピソード006:管轄外の攻防戦
2025/07/02 本エピソードを含め、第一章を大幅に加筆修正しました。
旧市街第7区。異常な魔力反応を示すマンホールの前で、俺とクラウディアは立ち尽くしていた。地面の至る所からスライムが湧き出し、足の踏み場もない。鼻をつくのは、湿ったカビの匂いと、魔力がオゾンに変わる独特の匂いだ。
「……ダメだこりゃ」
クラウディアが、魔力検知器の針が振り切れているのを見ながら、吐き捨てた。
「このマンホール、市の台帳に記載がないわ。完全に管轄外。これ以上は、あたしたち設備管理課の仕事じゃない」
彼女はそう言って、さっさと踵を返そうとする。役人の鑑のような、完璧な責任回避ムーブだ。
「待て」
俺は、その腕を掴んだ。
「ここで原因を特定しないと、俺の残業が無限に増えるんだ。それは、お前も同じだろう」
「……だとしても、どうしろって言うのよ。この錆び付いた蓋、素手で開けろって? 庁舎に応援を頼んでも、管轄外の作業なんて誰もやりたがらないわよ」
クラウディアの言う通り、八方塞がりだった。俺たちが途方に暮れて、スライムまみれの道端で口論を続けていると、「あの……」と、か細い声がした。
振り返ると、そこにはキウィタス魔術相談所の制服に身を包んだ、フェリクラ・ミヌタが立っていた。
「フェリクラさん? どうしてここに」
「被害状況の現地確認と、住民の方への聞き取り調査を命じられまして……。でも、このスライムでは、どこにも進めなくて……」
彼女は、自分の足元に群がるスライムを見て、困り果てた顔をしている。
その時、一台の古びたトラックが、器用にスライムを避けながら俺たちのすぐそばに停まった。荷台には「ガイウス清掃」と書かれている。
「よう、役人さんたち。こんなところで油売って、サボりかい?」
運転席から降りてきたのは、ツナギ姿の人の良さそうな中年男、ガイウスさんだった。
俺が藁にもすがる思いで事情を説明すると、ガイウスさんは「ああ、やっぱりな」と頷き、巨大な鉄製のバールで、いとも簡単に錆び付いた蓋をこじ開けてしまった。
ゴウッ、と湿った生暖かい空気が、地下から吹き上げてくる。
蓋の下には、螺旋階段が暗闇の中へと続いていた。それは、庁舎の誰の記憶にも、どの資料にも存在しない、未知の地下空間への入り口だった。
「……おいおい、マジかよ」
クラウディアが、魔力式の懐中電灯で下を照らしながら、呆然と呟く。
「俺が行く」
俺は、覚悟を決めて言った。
「これ以上、面倒事を先延ばしにしたくないんでな」
「馬鹿じゃないの!? 何があるか分からないのよ!」
クラウディアが本気で止めようとするが、俺の切実な目に、彼女は何も言えなくなった。
「わ、わたくしも行きます!」
フェリクラが、震える声で、しかしはっきりとそう言った。
「被害報告の窓口として、原因を突き止めるのは、わたくしの責任でもありますから」
「あんたみたいな事務員が行ってどうするのよ。足手まといになるだけよ」
クラウディアが冷たく言い放つが、フェリクラは怯まなかった。
「シルスさんがお一人で行くよりは、マシです!」
その言葉に、俺もクラウディアも、そしてガイウスさんも、少しだけ驚いて彼女を見た。
「……ったく、しょうがねえな」
ガイウスさんが、頭をガシガシと掻きながら言った。
「役人さんたちだけを、こんな気味の悪い場所に行かせるわけにもいかねえだろ。俺も付き合うぜ。地上のことは、若い衆に任せておく」
こうして、省エネ公務員の俺と、口の悪い技術屋と、融通の利かない受付嬢と、人の良い清掃業者の四人からなる、即席の調査隊が結成された。俺たちは互いに顔を見合わせ、意を決して暗い螺旋階段を一段、また一段と降りていく。俺たちの姿が闇に消えていくのを、路上のスライムだけが見ていた。
シルスです。ついに、地下迷宮に足を踏み入れることになりました。
メンバーは、俺と、口の悪い同僚と、融通の効かない受付嬢と、頼れる現場のプロ。なんだか、冒険者パーティみたいですね。まあ、報酬は残業代だけでしょうけど。
次回、俺たちは地下で信じられないものを発見します。
果たして、俺の胃はもつのか。そして、定時で帰れる日は来るのか。
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