エピソード004:緊急対策会議という名の犯人探し
路面電車が全線不通になってから一時間後、俺は合同庁舎の薄暗い小会議室に座っていた。
テーブルには、今回の騒動に関わる各部署の代表者たちが、一様に険しい顔で集まっている。市民安全課、設備管理課、交通局、そして被害報告の窓口であるキウィタス魔術相談所。その末席に、フェリクラ・ミヌタが緊張した面持ちで座っているのを、俺は視界の隅に捉えていた。
これは、緊急対策会議という名の、壮大な犯人探しゲームの始まりだった。
「――そもそも、スライムの駆除を怠っていた市民安全課に第一の責任があるのではないかね!」
口火を切ったのは、交通局の恰幅のいい局長だった。その脂ぎった指が、まっすぐに俺の上司、ルキウス課長を指さす。
「なっ……! 我々は報告に基づき適切に処理している! 問題は、異常な量の魔力を漏れさせている設備管理課の方にある!」
課長は顔を真っ赤にして反論し、設備管理課の席に座る、作業着姿の女性、クラウディア・リグーラを睨みつけた。
「ほう。うちのせいだと?」
クラウディアは腕を組み、面白くなさそうに眉をひそめる。「あんたたちが提出する発生報告の位置情報がいつも大雑把だから特定が遅れるんだろうが」
「なんだと!」「事実だろ」
ああ、始まった。責任の押し付け合い。不毛な水掛け論。
すると、交通局長が新たなターゲットを見つけたかのように、その矛先をフェリクラに向けた。
「それに、魔術相談所の対応も問題だ! 市民からの被害報告を右から左へ流すだけで、危機意識が足りないのではないか? だから被害が拡大したんだ!」
名指しされたフェリクラは、びくりと肩を震わせ、顔を青ざめさせた。
「そ、そんなことは……わたくしたちは、マニュアルに沿って、適切に……」
「マニュアル通りだから問題ない、と? そんな悠長なことを言っているから、路面電車が止まるような事態になるんだ!」
局長の怒声に、フェリクラは唇を噛み、俯いてしまう。その姿に、俺の胃がキリ、と痛んだ。昨日、栄養ドリンクを差し入れた時の、驚いたような顔が脳裏をよぎる。
「――あの、よろしいでしょうか」
俺は静かに手を挙げた。全方位から、非難めいた視線が突き刺さる。平職員が口を出すな、という無言の圧力だ。
「責任の所在を今ここで議論しても、路面電車は一ミリも動きません。それに、魔術相談所の対応に問題があったというご意見ですが、それは事実と異なります」
俺は構わず、持参したポータブル魔力プロジェクターを起動し、会議室の壁に昨夜作成した「スライム発生状況マップ」を投影した。赤く染まった旧市街第7区の地図に、会議室がざわめく。
「データを見る限り、スライムの発生源は、旧市街第7区の特定の地点に集中しています。そして、発生件数の急増が始まったのは、3日前の午後2時頃からです。これは、受付対応の不備ではなく、物理的な原因が他にあることを示唆しています」
俺は淡々と、事実だけを告げた。そして、フェリクラの方をちらりと見る。彼女は、驚いたように俺を見つめていた。
「この時刻に、このエリアで何か環境の変化、あるいはインフラへの大規模な干渉はありませんでしたか?」
俺の問いかけに、会議室は静まり返った。客観的なデータの前に、誰も感情的な主張を続けられない。交通局長も、クラウディアも、そして俺の上司であるルキウス課長でさえも、ただ壁のマップを呆然と見つめている。
沈黙を破ったのは、クラウディアだった。
「……3日前、午後2時……その時間、そのエリアで、都市開発局が古い下水道の耐震補強工事をやってたはずだ」
その言葉に、全員の視線が、会議の隅で存在感を消していた一人の男に突き刺さった。都市開発局の、気の弱そうな中年の担当者だ。彼はびくりと肩を震わせ、滝のように汗を流し始めた。
「え、あ、いや、あの、それは、その……」
犯人が、見つかった瞬間だった。
いや、正確には、新たな容疑者が浮上し、責任のなすりつけ先のターゲットが切り替わっただけなのだが。
ルキウス課長が、鬼の首でも取ったかのように身を乗り出す。
「おい! 都市開発局! どういうことか説明したまえ!」
こうして、緊急対策会議は新たな犯人を吊し上げる第二ラウンドへと移行した。俺の仕事は、終わった。俺はそっとプロジェクターの電源を落とし、再び議事録の作成に戻る。
どうせ、この後も面倒なことになるだけだ。そして、その面倒事は、きっと俺のところに回ってくる。そんな確信だけがあった。
会議が紛糾の度合いを深めていく中、俺はそっと席を立った。これ以上ここにいても、新たな胃痛の種が増えるだけだ。
廊下に出ると、冷たい空気が火照った頭に心地よかった。自販機で一番安いお茶を買い、一口飲んだその時だった。
「――あのっ!」
背後から、凛とした、しかし少し震えた声がした。振り返ると、フェリクラがそこに立っていた。会議室から出てきたらしい。
「さっきは……その、ありがとうございました。助けていただいて……」
彼女は深々と頭を下げた。その丁寧すぎる所作が、なんだか見ていてむず痒い。
「気にするな。事実を言っただけだ。それに、あんたのところに対応の不備がなかったのも事実だろう」
「ですが……」
「いいから。それより、自分の部署に戻った方がいい。まだ電話は鳴り止んでないだろ」
俺がそう言って立ち去ろうとすると、彼女はもう一度、今度ははっきりとした声で俺を呼び止めた。
「――シルスさん!」
俺は、思わず足を止めた。
今、彼女は、俺のことを「グリセウスさん」ではなく、「シルスさん」と呼んだ。
「えっと……その、ありがとうございました。本当に」
彼女はもう一度頭を下げると、頬を少し赤らめながら、小走りで自分の職場へと戻っていった。
残された俺は、その場に立ち尽くす。
(……調子、狂うな)
先ほど買ったばかりのお茶が、やけにぬるく感じられた。
シルスです。データを提示したら、新たな犯人が見つかりました。
まあ、これで一件落着とはいかないのが役所仕事です。
都市開発局の工事が原因だとして、じゃあ、そのせいで発生したスライムは誰が片付けるのか。
考えるだけで、胃が痛い。
次回、新たな問題と、新たな責任のなすりつけ合いが始まります。
評価やブックマークは、俺の胃薬になります。切実に。