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エピソード003:鳴り止まない電話と鳴り響く胃痛

2025/07/02 本エピソードを含め、第一章を大幅に加筆修正しました。

昼休み。俺は合同庁舎の職員食堂で、味の薄い野菜スープをスプーンでかき混ぜていた。午後の業務計画を脳内で組み立てる、一日の中で唯一平穏と言える時間だ。壁際に設置された魔力受信式のラジオが、抑揚のない声でニュースを伝えている。


『――次に、生活情報です。市内各所で、スライムによる転倒事故が多発しております。市民の皆様は、外出の際、足元に十分ご注意ください』


いつものことだ。俺は特に気にも留めず、最後のパンをスープに浸した。しかし、自席に戻り、午後の業務を開始して数分後、俺はその認識の甘さを思い知ることになる。午前に処理した倍以上の量の「スライム発生報告書」が、電子メールで次々と送られてきていたのだ。胸騒ぎが、胃のあたりを撫でていく。


その予感は、すぐに現実のものとなった。


ジリリリリリッ!


市民安全課の有線式魔力通信機が、けたたましい音を立てて鳴り響いた。最初に鳴ったのは俺の部署の代表番号だったが、それを皮切りに、課内の電話という電話が一斉に火を噴いた。


「はい、こちら市民安全課!……ええ、スライムの件ですね!」

「だから、うちの店の前がスライムだらけで営業妨害だって言ってるんだ!」

「市役所は何をしてるんだ、税金泥棒!」


同僚たちの悲鳴に近い応答が、あちこちから聞こえてくる。俺も受話器を肩と耳で挟み、マニュアル通りの謝罪を繰り返しながら、キーボードで情報をデータベースに打ち込んでいく。


「誠に申し訳ございません。順番に対応しておりますので……」


受話器の向こうから聞こえるのは、怒声、罵声、そして時々、すすり泣き。

俺は感情を無にし、ひたすら情報を聞き取り、PCの画面に表示された地図と照合していく。

(……おかしい)

苦情の電話は、市内にまんべんなく広がっているわけではなかった。そのほとんどが、先日俺が気づいた「旧市街第7区」とその周辺に集中している。統計上の「誤差」は、今や明確な「異常」へと変わっていた。


ちらり、と課長のデスクに目をやる。ルキウス課長は、オロオロとオフィスを歩き回り、時折デスクに戻っては胃薬を水で流し込むだけで、何の指示も出せずにいた。あの人がパニックになるのは、責任の所在が自分に向きかねない時だけだ。


その時だった。


「う、うわあああん! おばあちゃんが、おばあちゃんがスライムで滑って転んで、動かなくなっちゃったのぉ!」


俺が対応していた電話の向こうで、少女の泣き叫ぶ声が響いた。おそらく、頭部外傷だろう。事態が単なる迷惑から、明確な実害へと発展した瞬間だった。俺は冷静に謝罪し、急いで救急車を要請をしたほうがよいことと、保険金請求の手続きを案内した。電話を切った後、自身の胃がキリリ、と激しく痛むのを感じた。

(……これは、俺の手には負えない。それに、この惨状はうちだけじゃないはずだ)


俺は隣の同僚に自分の電話番を頼むと、席を立った。向かったのは、庁舎の別棟にあるキウィタス魔術相談所だ。案の定、そこは戦場と化していた。市民からの怒りの電話が鳴り止まず、数人しかいない職員が必死に対応に追われている。

その中に、フェリクラ・ミヌタの姿があった。彼女は受話器を肩に挟み、必死にメモを取りながら謝罪を繰り返している。その顔は青白く、今にも倒れそうだ。ポケットから取り出したブドウ糖キャンディを口に放り込む暇もないらしい。

(……見ていられない)

俺は庁舎の自販機で一番高価な栄養ドリンクを買い、そっと彼女のデスクの隅に置いた。俺に気づいた彼女が、驚いたように目を見開く。俺は「気にするな」とだけ目配せし、その場を後にした。

自席に戻った俺は、PCに向き直った。もう、個別の電話対応では埒が明かない。この状況を、誰もが一目でわかる形で「可視化」し、根本原因を叩くしかない。


俺はデータベースにアクセスし、スライム発生報告が来ている地点を、リアルタイムで地図上にプロットしていくコマンドを打ち込んだ。画面に、テルティウス市の地図が表示される。次の瞬間、その地図の「旧市街第7区」を中心とした一帯が、またたく間に危険を示す赤色で埋め尽くされていった。


「課長、皆さん、これを見てください!」


俺の声に、電話対応に追われていた職員たちが一斉に俺のモニターに注目する。その異様な光景に、誰もが息を呑んだ。


「なんだ……これは……」


ルキウス課長が、呆然と呟いた。

その答えを待っていたかのように、課の入り口から交通局の職員が血相を変えて飛び込んできた。


「大変です! 旧市街第7区の線路上でスライムが大量発生! 市内循環線がスリップして立ち往生しました!」


静まり返るオフィス。

事態は、市民の転倒事故という「迷惑」のレベルをとうに超え、ついに都市機能の麻痺という「災害」のレベルへと発展したのだ。俺は、赤く染まったモニターを睨みつけながら、これから始まるであろう、さらなる面倒事の嵐を予感していた。

シルスです。胃が痛い。

ついに、スライムのせいで都市機能が麻痺してしまいました。

こうなると、もう市民安全課だけでは手に負えません。

明日から、他の部署を巻き込んだ、さらなる責任の押し付け合いが始まることでしょう。

考えただけで、胃が……。

次回、緊急対策会議という名の犯人探しが始まります。俺の残業はどこまで続くのか。

評価やブックマークは、俺の胃薬になります。切実に。

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