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エピソード023:聖母の腕と疲労困憊の英雄

俺が放った光は、空の裂け目に吸い込まれるように着弾した。

世界が、一瞬だけ白く染まる。耳をつんざくような音も、衝撃波もなかった。ただ、降り注いでいた黒いススが、まるでビデオを逆再生するように空へと吸い上げられていく。


「シルス殿の詠唱に合わせろ! 魔力波形を同期させるんだ!」

「くっ……こんな付け焼き刃の、野良魔法に……僕が合わせるだと!?」


リヴィアの鋭い指示が飛ぶ。その隣で、ゼノンは屈辱に顔を歪めながらも、杖を構えて詠唱を始めた。彼の洗練された魔力が、俺の荒削りな魔力に寄り添い、乱れていた波形を強制的に安定させていく。まるで、熟練の指揮者が素人の演奏をリードするかのように。不本意そうな協力ではあったが、そのおかげで、術式の奔流は制御を失わずに済んだ。


空を見上げれば、不吉な亀裂が綻びを繕うかのようにゆっくりと、しかし確実に塞がっていく。渦を巻いて吸い込まれていく黒いススは、裂け目の光に触れるたびに浄化され、きらきらと輝く粒子となって霧散した。天から降り注ぐ絶望が、希望の光へと変わっていく光景は、どこか幻想的ですらあった。


「……やった、のか?」


クラウディアの掠れた声が、静寂を破った。

見上げると、そこにはもう何もない。いつもの、煤けた灰色の空が広がっているだけだった。


「信じられない……。データ上の最大魔力量を遥かに超過している。これが……規定や理論では測れない、ひとの力というものか……」

リヴィアが、呆然と自身の端末に表示される数値と空を交互に見比べながら呟く。彼女の完璧に構築された世界に、予測不能なバグが紛れ込んだ瞬間だった。


その隣で、ゼノンは膝から崩れ落ちそうになるのを、かろうじてプライドで支えている。彼の顔には、敗北と、それからほんの少しの畏敬が混じり合った、複雑な色が浮かんでいた。

(僕の魔法は、常に単独で完結していた。家名という絶対的な背景、磨き上げた個の力。だが、彼の魔法は違う。これが、彼の……)

ゼノンは、家名やプライドに縛られない魔法の在り方を、その土壇場で見せつけられたのだ。


「……いや、俺一人の力じゃない」

俺は、ぜえぜえと肩で息をしながら言った。

「リヴィアさんの正確な分析がなければ、座標を特定できなかった。ゼノンさんの(不本意極まりない)魔力補助がなければ、術式を維持できなかった。クラウディアの検知器がなければ、魔力逆流の兆候を見逃していた。そして……」


俺は、掌の中でまだ微かな熱を帯びている銀貨を握りしめた。

「フェリクラの、これがあったから、最後まで集中できた」


その言葉に、フェリクラの顔がぼっと赤く染まる。彼女は、先ほど俺が儀式の最中に、無意識に彼女の手を握り返してしまったことを思い出しているのだろう。俺も、その時の感触を思い出してしまい、慌てて視線を逸らした。


次の瞬間、俺の身体から、ぷつりと糸が切れたように力が抜けた。

視界がぐにゃりと歪み、立っていることすらままならなくなる。全身の魔力を、文字通り最後の一滴まで絞り出したのだ。その反動は、想像を絶する疲労となって全身を襲った。


「シルスさん!」


俺がその場に崩れ落ちる寸前、柔らかい何かが、俺の身体を支えてくれた。フェリクラだった。彼女は、俺の腕を自分の肩に回し、必死に体重を支えようとしてくれている。


「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

「……ああ、すまん。ちょっと、燃料切れだ」

「ちょっとじゃないです! 顔色、真っ青ですよ!」


彼女の腕に身を預けながら、俺の意識は急速に遠のいていく。彼女の必死な声が遠ざかる中、ふと、フェリクラが俺の額にそっと手を当てるのを感じた。彼女のもう片方の手には、古びて刺繍のほつれた、小さな布製のお守りが握られている。確か、彼女の祖母の手作りだと言っていたか。


「どうか、この人の痛みを和らげてください……」


敬虔な祈りの言葉と共に、お守りが淡い、温かな光を放った。アーティファクトのような大層なものではない。それは、この地に根付く「八百万の小神信仰」――日常のささやかな祈りに、名もなき神々がほんの少しだけ力を貸してくれるという、古くからの風習。その光が、消耗しきった俺の身体に、じんわりと染み渡っていく。劇的な回復ではない。だが、荒れ狂う嵐の後に差し込む陽だまりのような、優しい温もりがそこにはあった。


その光景を、ゼノンはどんな思いで見ていたのだろうか。後に彼は、この時のフェリクラの姿を、「まるで聖母のようだった」と、苦々しくもどこか感心したように語ることになる。


俺の儀式魔法は、見た目こそ滑稽で、生活感にまみれている。だが、その本質は違う。

それは、限られたリソース(魔力、時間、予算)の中で、最大限の効果を発揮するための、徹底的に効率化された実用魔法だ。大仰な詠唱や魔法陣は、集中力を高め、術式を安定させるための自己暗示に過ぎない。ガラクタの祭壇は、周囲の環境マナを最も効率よく集めるための、即席のアンテナだ。

それは、世界の危機を救うためではなく、日々の面倒事を解決するために、人々の生活に寄り添う形で最適化され続けた、泥臭い知恵の結晶なのだ。


リヴィアとゼノンは、その本質を、ようやく理解したようだった。彼らの魔法が、血統や才能に裏打ちされた「芸術品」だとするなら、俺の魔法は、現場の知恵と工夫で改良を重ねた「実用的な工具」なのだ。どちらが優れているという話ではない。ただ、役割が違うだけだ。


やがて、ガイウスさん率いる後方支援班が、瓦礫の山をかき分けてやってきた。

「おい、シルス! 生きてるか!」

「……なんとか」

「そうか。なら、これを」


ガイウスさんは、俺の目の前に一枚の羊皮紙を突きつけた。そこには、びっしりと細かい数字が並んでいる。

「今回の特別災害対応における、器物損壊、環境汚染、および危険物処理に関する費用の概算見積もりだ。後で正式な請求書を回すが、心づもりだけはしておけ」


現場は、災害が去ったとはいえ、黒いススの残骸と、潰れたスライムのゲルで足の踏み場もない。鼻をつく異臭もひどい。まさに生活害虫の爪痕だ。

「今は休ませてやれ!」

「そうですわ! シルス様は、この街を救った英雄ですのよ!」

リヴィアとクラウディアが庇ってくれるが、ガイウスさんは眉一つ動かさない。

「英雄的行為と経費請求は別問題だ。なぁ、シルス?」

その揺るぎない瞳に、俺は力なく頷くことしかできなかった。


不本意な共同戦線は、こうして終わりを告げた。だが、俺たちの間には、以前とは比べ物にならないほど、確かな絆が生まれていた。

どうも、シルスです。世界の危機(という名の大規模な害虫被害)は去りましたが、僕の体力と魔力、そして懐に大打撃です。フェリクラの祈りとお守りがなかったら、心が折れていました。本当にありがとう。

さて、一件落着……と思いきや、次々と舞い込む報告書と請求書の山。果たして僕に平穏な残業ライフは戻ってくるのか。

次回「灰色の日常とブドウ糖の甘さ」、エピローグです。よろしければ、評価やブックマークで応援していただけると、清掃費用を支払う勇気が湧いてきます。

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