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エピソード022:帰ってきた銀貨と恥ずかしい儀式

不本意な共同戦線が、不本意ながらも機能し始めてから数時間が経過した。

対策室のテーブルは、リヴィアの分析資料、ゼノンの観測記録、クラウディアの魔力インフラのログ、そしてフェリクラが図書館からかき集めてきた古代文献の山で埋め尽くされている。専門家たちの議論は、依然としてトゲトゲしい応酬を含みながらも、不思議なほど建設的な方向へと収束しつつあった。


「――結論として、この空間の裂け目を完全に閉鎖するには、大規模な儀式魔法による物理法則の局所的な上書きが不可欠です」


リヴィアが、数時間にわたる議論の最終結論を告げた。その視線が、まっすぐに俺を射抜く。


「そして、この場でその任を果たせるのは、シルス・グリセウス。あなただけです」


対策室に、一瞬の沈黙が落ちる。全員の視線が俺に集中する。胃が、今度こそ本当に穴が開きそうな痛みを訴えた。

分かっていた。議論が進むにつれて、嫌な予感は確信に変わっていた。この手の、常識の外側にあるような事態を解決できるのは、常識の外側にある魔法だけだ。つまり、俺の、あの、恥ずかしい儀式魔法。


「……やるしかない、か」


俺は、観念して呟いた。定時退勤どころか、今日中に家に帰れるかも怪しい。だが、ここでやらなければ、街がどうなるか分からない。何より、これ以上面倒事が大きくなるのはごめんだった。


「よろしい。では、儀式の準備を。必要なものは?」

リヴィアの問いに、俺は首を振った。

「特別なものは要らない。そこら辺にあるガラクタで十分だ。問題は、魔力と……集中力だ」


俺たちは、災害の中心地である空間の裂け目の前に移動した。空には不吉な亀裂が走り、そこから黒いススが雪のように降り注いでいる。ガイウスさんたちが張ってくれた封鎖線の内側は、俺たち数人だけの、隔絶された舞台だ。


俺が祭壇――実際には、瓦礫や廃材を適当に積み上げただけのもの――の準備をしていると、フェリクラが駆け寄ってきた。彼女の表情は、心配と信頼が複雑に混ざり合っている。

「シルスさん、これ……」

彼女が差し出したのは、一枚のくすんだ銀貨だった。俺が地下施設で失くした、あの古代銀貨。

「瓦礫の中に落ちているのを、偶然見つけました」

「そうか、助かる」

受け取ろうとした俺の手を、フェリクラはそっと制した。彼女は懐から小さな彫刻刀を取り出すと、銀貨の縁に何かを刻み始めた。カリ、カリ、と硬質な音が響く。


「これは? 前に刻んでくれたルーンとは違うみたいだが」

「はい。〈RR-73〉は、私たちの『共犯者の暗号』ですから。これは、新しく……儀式の座標指定を補助する安定化ルーンです。あなたの魔力が、正確に裂け目の中心に届くように」

フェリクラは顔を赤らめ、俯きながら小さな声で続けた。

「それと……『あなたが、帰ってくる場所』っていう意味の、おまじないも、少しだけ」


彼女はそう言うと、銀貨を俺の掌にそっと握らせた。指先が触れた瞬間、彼女の体温と、そして想いが、じんわりと伝わってくるような気がした。俺は、その熱から逃れるように、慌てて手を握りしめた。

(まさか、この銀貨が"地下封印室の鍵"と関係しているなんて、彼女は夢にも思っていないだろうな……)

内心で独白しつつ、口にしたのは感謝の言葉だけだった。


「……ありがとう」

それだけ言うのが、精一杯だった。


一方、その光景を遠巻きに見ていた王都組は、信じられないものを見るような目で俺たちのやり取りを、そして俺が組み上げたガラクタの祭壇を眺めていた。

「おい、あれで儀式をやるつもりか? 正気か?」

「ヴァレリウス家の儀式祭壇は、純銀と霊木で三代かけて作り上げるというのに……。そもそも、あのポーズは何だ? 準備運動か?」

ゼノンの呟きは、呆れを通り越して、もはや一種の畏怖すら含んでいるように聞こえた。


そして、儀式は始まった。

俺は祭壇の前に立ち、大きく息を吸い込む。

「――初代庁舎長の不肖の孫、シルス・グリセウスが、市民の平和と、何より俺の定時退勤のために、謹んで世界の理に奏上する!」


高らかに口上を述べ、例の、あの、奇妙で、ダサくて、この世の終わりみたいに恥ずかしい踊りを、開始した。


まず第一の姿勢。両腕を天高く掲げ、指先を震わせながら空を掻くような動作。「天への感謝」の型だ。

(なんで指先を震わせなきゃいけないんだ……まるで何かに怯えてるみたいじゃないか)


続いて第二の姿勢。片足を不自然に高く上げ、膝を胸の前で抱えるような格好になる。もう片方の手で天を指すため、完全にフラミンゴ状態だ。バランスを取るために腰をくねらせる必要があり、この部分が一番恥ずかしい。「大地の脈動」の型。

(学生時代、この姿勢で転んで恥をかいた苦い記憶が蘇る……)


そして第三の姿勢。両手で大きくハートマークを作り、それを頭上に掲げながら、腰をキレッキレに左右に振る。「魔力循環の啓示」の型。この瞬間、必ず発生する——


「きゃるん☆」


断じて自分の意志ではない効果音と共に、指先から魔力の粒子がこぼれ落ちた。

(死にたい。本当に死にたい。この効果音を考案した古代の魔法使いを今すぐ蘇らせて問い詰めたい)


最後の仕上げ。戦隊ヒーローが決めポーズを取るように、片手を腰に当て、もう片方の手で空中に複雑な図形を描く。その際、ウィンクは必須。投げキッスも必須。アイドルの振り付けのような滑らかさで魔法陣を描き上げる。


「《――故に命ずる! 万象よ、我が行政指導に従い、正常なる秩序を回復せよ!》」


詠唱を終える頃には、顔が茹でダコのように真っ赤になっていた。

(ああ、もう最悪だ……特に、あの監査官たちに見られているのが、一番最悪だ……!)


その姿は、荘厳な魔法儀式というよりは、酔っ払いの余興にしか見えないだろう。


リヴィアは完全に固まっていた。口をぽかんと開けて、一瞬何が起こっているのか理解できずにいる。

「……あれは、一体……? 魔力は確実に増大している。だが、あのポーズは……『きゃるん☆』という音響効果は……非論理的すぎる……」


ゼノンに至っては、頬を真っ赤に染めながら、

「あの……あれは、グリセウス流の奥義……? いや、でも、あの投げキッスとウィンクは一体……? そして、なぜハートマークを……? 私の美学が、根底から揺さぶられる……!」

と、完全に思考停止状態に陥っている。なんだその反応は。自尊心が傷つく快感に戸惑っている場合か。


フェリクラは、遠くから心配そうに見つめているが、シルスのあまりの恥ずかしい姿に、思わず目を逸らしたり、また見つめたりを繰り返している。

(シルスさん、あんなに恥ずかしそうなのに……でも、やっぱりすごい人なんだ……)


通信機の向こうからは、クラウディアの呆れた声が——

『あーあー、またあの恥ずかしいダンスやってるわ。魔力波形がメチャクチャよ。あんた、いい歳してあんなポーズ取って恥ずかしくないの? 特にあの「きゃるん☆」って何よ!』

「うるさい! やりたくてやっているわけじゃない!」

俺は叫び返しながら、顔を真っ赤にして儀式に集中する。

(明日から、どんな顔をして王都組と接すればいいんだ……もう二度と王都の人間と関わりたくない……)


だが、そんな周囲の反応とは裏腹に、儀式は着実に効果を発揮し始めていた。ガラクタの祭壇が淡い光を放ち、俺の魔力が、掌の中の銀貨を通じて増幅されていく。フェリクラが刻んでくれた座標指定ルーンが、まるで羅針盤のように、俺の魔力を正確に、空の裂け目の中心へと導いてくれていた。


「喰らえ、世界のバグ!」


俺は、儀式のクライマックスで、ありったけの魔力を込めた光を、空の裂け目へと向かって放った。それは、仲間たちの協力と、好奇と、若干の同情の視線に見守られた、一撃だった。

光が裂け目を飲み込み、世界が白一色に染まる。

やがて光が収まった時、空にあったはずの亀裂は、跡形もなく消え去っていた。


静寂の中、最初に聞こえてきたのは、遠くから響く路面電車の警笛と、市民たちの怒声だった。

「おい! 電車が止まったぞ! どうなってんだ!」

「魔力供給が不安定です、なんてアナウンスで納得できるか! こっちは急いでるんだ!」

儀式の余波で魔力供給網が一時的にダウンしたらしい。復旧作業と苦情処理に追われる未来を想像し、俺は再び深い溜息をついた。

どうも、シルスです。

皆様の応援(と生暖かい視線)のおかげで、無事に儀式を完遂できました。まあ、街のインフラに多大な迷惑をかけたわけですが。後始末が怖い。

次回「聖母の腕と疲労困憊の英雄」では、魔力を使い果たした俺が、文字通り燃え尽きます。そして、そんな俺を待ち受けていたのは、とある人物の、温かな腕の中でした。

一体誰なのか? ぜひ、次回の更新をお楽しみに。評価やブックマーク、感想、いいねをいただけると、報告書作成の励みになります。

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