エピソード018:令状と限界の隠蔽工作
じりじりと、まるで肌を焼くような視線が突き刺さる。特別対策チームの仮設執務室は、王都から来た監査官、リヴィア・コルネリアの存在によって、さながら尋問室のような空気に変わっていた。彼女の冷徹な瞳が、目の前に広げられた一枚の古い設計図と、俺たち――俺、クラウディア、そしてフェリクラ――を交互に見据えている。
「……旧市街第7区の地下。この区画に、市の台帳に記載のない大規模な構造物が存在する可能性が、魔力残滓のデータから示唆されています」
リヴィアは、細い指で設計図の一点をなぞった。そこは、以前俺たちが死闘を繰り広げた、あの古代の魔力調整施設へと続く、隠された入り口の場所だった。
「つきましては、施設の管理責任者である設備管理課、および関連部署である特別対策チームの立ち会いのもと、内部への立ち入り調査を要求します」
彼女の言葉は、事実上の最後通牒だった。
クラウディアが、即座に反論の口火を切る。
「待った。その施設は、見ての通り百年以上前の代物だ。内部は崩落の危険性が高く、安全が確保されていない。あんたみたいな王都のお嬢様が入って、怪我でもされたらこっちの責任問題だ」
「安全確保は、王都中央監察局の専門部隊が行います。あなた方は、入り口を開けていただくだけで結構」
「そもそも管轄が違う。未登録の古代遺跡は、我々設備管理課ではなく、文化財保護局の領域だ。そっちに話を……」
「この件は、単なる遺跡調査ではありません。先の魔力災害の原因究明の一環です。監察局の権限において、あらゆる部署への調査協力命令が可能です」
クラウディアの繰り出す言い訳を、リヴィアはことごとく冷静に、そして的確に叩き潰していく。まるで、熟練の狩人が獲物を追い詰めるように。仮設執務室の温度が、確実に一度、また一度と下がっていくのがわかった。胃が、またしくりと痛む。
面倒だ。心の底から面倒くさい。だが、それ以上に、この件に関わった仲間たちを危険に晒すわけにはいかない。クラウディアも、フェリクラも、そして今はここにいないガイウスも、俺の無茶に付き合ってくれた共犯者だ。彼らの未来に傷がつくことだけは、絶対に避けなければ。俺は、この面倒事から逃げるわけにはいかないのだ。
「……これ以上の遅延行為は、公務執行妨害と見なします」
リヴィアはそう言うと、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、王都中央監察局の物々しい印章が押されている。強制立ち入りを許可する、特別令状だった。
「〈魔力行使許可法〉第12条に基づき、中央監察局は国家の安全を脅かす魔力災害の調査において、地方自治体の管轄権に優先する。……これが、あなた方が拠り所にする条例より、この令状が優先される根拠です」
リヴィアが引用した条文は、地方の役人にとって悪夢そのものだ。市議会との協議も、条例の壁も、この一枚の紙切れの前では無力と化す。
「そんな横暴が……!」クラウディアが食い下がる。「市議会の承認も得ずに、勝手な真似はさせんぞ!」
「市議会には、既に通達済みです。賢明な議員の方々は、王都の決定に異を唱えるような無駄な選択はなさいませんでした」
「それは……!」
「それに、クラウディア課長。あなた方が提出した先の災害報告書、拝見しました。魔力測定器の数値に、不可解な揺らぎが見られます。まるで、何か巨大な魔力の発生源を、別の小さなノイズで上書きしたような……。これは、非常に高度な隠蔽技術ですね」
クラウディアの顔から血の気が引く。俺たちの苦肉の策が、この女にはお見通しだったというのか。
万事休すか。
俺が諦めかけた、その時だった。
隣に立つフェリクラが、震える手で、俺の手をぎゅっと握りしめてきた。彼女の手は、ひどく冷たかった。だが、その感触は、不思議と俺の心を落ち着かせた。
彼女の瞳が、俺をまっすぐに見つめている。そこには、不安と、そして俺への絶対的な信頼が宿っていた。なぜ、そこまで俺を信じてくれるのか。俺はただの、定時退勤を願うだけのしがない公務員だというのに。
(立ち入り調査って……安全確保とか、案内とか、色々準備が必要よね……)
フェリクラの頭に、これまでの庁舎見学や点検対応の経験が蘇った。外部からの調査となれば、案内資料の準備、安全装備の確認、立ち会い職員の手配……やることは山ほどある。
「シルスさん」彼女は震え声で言った。「立ち入り調査の準備、私にもお手伝いできることがあれば……何から始めましょうか」
彼女の無私の献身に、胸の奥が熱くなる。俺は、握り返す代わりに、彼女の手をそっと包み込むように自分の手を重ねた。大丈夫だ、と伝えるために。
リヴィアは、俺たちの沈黙を肯定と受け取ったのか、あるいは単に興味を失ったのか。令状をテーブルの上に置くと、静かに告げた。
「令状の効力は、明日の午前9時をもって発効します。それまでに、当該施設の関連資料を任意で提出していただく。それが、あなた方に残された最後の選択肢です」
「もし提出が確認できない場合、令状に基づき強制執行に移行します。加えて、関係者各位には職務怠慢による罰則が科されるかもしれませんので、ご承知おきを」
罰則。その言葉の響きに、クラウディアの肩が微かに震えた。減給、始末書、あるいはそれ以上か。公務員にとって、それは死刑宣告にも等しい。
「では、失礼」
リヴィアはそれだけを言い残し、一切の感情を見せずに踵を返した。ヒールの音が仮設執務室に響き、やがて扉の閉まる音とともに消える。
後に残されたのは、絶望的な沈黙と、テーブルに置かれた一枚の令状。そして、刻一刻と迫るタイムリミットだけだった。
その日の午後、俺たちは明日の立ち入り調査に向けて、最低限の準備を進めていた。
「資料はこれで全部か?」
仮設執務室で、クラウディアが山積みの書類を確認している。地下施設に関する公式記録――といっても、存在自体が記録されていないので、周辺設備の点検記録や古い地図など、関連しそうなものを片っ端から集めただけだが。
「儀式魔法の痕跡さえ見つからなければ、あとはなんとでも言い訳できる」
俺はそう呟きながら、魔力測定器の過去ログを確認する。あの時の異常な数値は、すでにノイズとして上書きしてある。完璧とは言えないが、これ以上できることはない。
「とりあえず、明日は『古い施設なので危険』の一点張りで時間を稼ぐしかないな」
クラウディアが疲れた顔で言った。
「とにかく、あの日あったことついては絶対に口を割らない。これだけは徹底しよう」
フェリクラとガイウスも深く頷く。
「古代の魔力調整施設が暴走しただけ、という説明で押し通す」
「リヴィアが何を探っているかわからないが、なんとか乗り切ろう……」
俺たちは互いに顔を見合わせ、無言で決意を固めた。
一方その頃、市街地の反対側では――。
「隊長! 第3工業区の廃工場で、異常な魔力反応が!」
王都騎士団の巡回部隊に、緊急の報告が入った。若い騎士が、携帯型の魔力測定器を見ながら顔を青ざめさせている。
「煤化反応……? まさか、また黒いススが発生しているのか」
隊長が測定器を覗き込むと、確かに不穏な数値を示していた。
「住民からの通報もあります。『廃工場の中で、空間が歪んでいる』と」
「何だと? すぐに現場へ向かう。第2班は周辺住民の避難誘導を開始しろ」
廃工場に到着した騎士団が目にしたのは、異様な光景だった。工場の中央で、まるで空間に亀裂が入ったかのように、次元の狭間が口を開けている。そこから、じわじわと黒いススが染み出すように現れ、床や壁を侵食し始めていた。
「これは……次元の歪み? なぜこんなところに」
隊長は息を呑んだ。黒いススは、まるで生き物のように蠢きながら、ゆっくりと拡大していく。
俺たちは、まだ知らない。市の片隅で、新たな災厄が始まっていることを。
どうも、シルスです。
王都の監査官から突き付けられた令状のタイムリミットは、明日の朝9時。儀式魔法の証拠を隠しきれるかどうか、正直自信がありません。リヴィアの鋭い観察眼は、俺たちの小細工を見抜いているような気がしてならない。
一方で、市の片隅では次元の狭間から黒いススが……まさか、またあの忌まわしい存在が? でも今は、目の前の問題で手一杯です。
次回「黒いススと失くした銀貨」で、二つの事件が交錯します。俺たちの隠蔽工作は成功するのか、そして新たな災厄にどう巻き込まれるのか。
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