エピソード016:傲慢な訪問者と野良魔法の使い手
リヴィアの執拗な監査と、フェリクラとの秘密裏の連携。そんな胃の痛む綱渡りが常態化したある日の午後、特別対策チームの扉が、またしても遠慮なく開かれた。そこに立っていたのは、金糸銀糸で豪華な刺繍が施されたローブをまとった、自信過剰な笑みを浮かべる若い男だった。
「やあ。ここがテルティウス市役所の特別対策チームかね? 僕は先日この街で観測された、特異な古代儀式魔法の残滓を追ってきた者だ。我がヴァレリウス家の栄光に関わる、看過できぬ事案でね」
男は、舞台俳優のように芝居がかった口調でそう言うと、胸に提げた紋章をこれみよがしに指で弾いた。銀細工の、精巧な天秤を模したその紋章。王都でも五指に入る名門魔法使い一族、「ヴァレリウス家」のそれだ。
「僕はゼノン・ヴァレリウス。ヴァレリウス家が次期当主にして、古今東西の儀式魔法を究める者。して、その常識外れの魔法を使ったのは……どいつだ?」
ゼノンの傲慢な視線が、仮設執務室内をぐるりと検分する。そして、最も低い熱量で書類の山と格闘していた俺の上で、ぴたりと止まった。俺は内心で舌打ちする。面倒事のほうから、いつも俺を選んでやってくる。
「ほう。君か。なるほど、確かに奇妙で……異質な魔力の残滓が感じられる」
ゼノンは満足げに頷くと、突如として両の人差し指と親指で四角いフレームを作った。そして片目を瞑り、そのフレームの中心に俺を捉える。
「天穹の輝きよ、我が眼に集え! 真理を照らすヴァレリウスの叡智、『千里眼』!」
大仰な詠唱と共に、ポーズを決めるゼノン。彼の瞳が、一瞬だけまばゆい光を放った。しかし、それだけだ。仮設執務室の空気は、彼の自己陶酔によって急速に冷却されていく。隣の席のガイウスは「うわぁ……」と顔を引きつらせ、フェリクラは能面のような無表情で業務を続けている。周囲のドン引き具合が、彼の魔法の実用性よりはるかに雄弁だった。
「ふむ。やはり君だ。その血統不明の、いわば“野良魔法”……実に興味深い。どこの生まれだ? 師は誰だ?」
面倒事の匂いを敏感に察知した俺は、即座に省エネモードに移行する。
「……人違いでは? 俺はただのしがない公務員ですが」
「とぼけるな! この僕のヴァレリウスの血が、君から発せられる“異物”の匂いを捉えているのだ!」
ゼノンは俺の否定に苛立ち、声を荒らげた。その剣幕に、俺は内心でため息をつく。どうしてこう、エリートというのは自分の価値観が世界の中心だと信じて疑わないのか。
「面白い。君のような野良魔法の使い手にしては、なかなか見どころがある。僕の、そうだな……子分にしてやってもいいぞ」
一方的な子分宣言に、俺はこめかみが引きつるのを感じた。俺は平穏な公務員生活を望んでいるのであって、傲慢なエリートのお守りをする趣味はない。
「おい、そこの君。僕のために茶を淹れたまえ。ヴァレリウス家御用達の『銀霧の葉』でな」
「お客様、申し訳ありませんが、セルフサービスとなっております。給湯室はあちらです」
フェリクラが、マニュアル通りの完璧な笑顔でゼノンの要求を切り捨てる。その見事なアシストに、俺は内心で拍手を送った。
「ふん、田舎の役所はこれだからな。まあいい。おい、野良魔法使い! 街の調査に付き合え。君のその汚れた魔法の痕跡を、この僕が直々に辿ってやる」
有無を言わさぬ態度で、ゼノンは俺を仮設執務室から引きずり出した。面倒だが、ここで抵抗して騒ぎを大きくする方がもっと面倒だ。俺は、公務員としての処世術に従うことにした。
街の中央広場へ向かうため、俺たちは路面電車乗り場へ向かった。だが、ちょうど目の前で、ガコン、と鈍い音を立てて電車が急停止した。乗客たちが、何事かとざわめいている。
「なんだ、このポンコツは! 魔力供給が不安定すぎる!」
ゼノンが吐き捨てるように言った。その時、線路の脇から、市役所の清掃員に扮したガイウスが、巨大なモップを手に現れた。
「おっと、またスライムがはみ出してやがる。こいつらが線路の魔力伝導板の上で滑ると、すぐショートするんだよな」
ガイウスはそうぼやきながら、手際よく半透明のゲル状の塊をモップで剥がしていく。魔法生物が生活に浸透しすぎた結果、スライムはゴキブリ並みの生活害虫と化していた。
「たいへんな状況だな……」俺は停止した電車と、うんざりした顔の乗客たちを見渡した。「あー、腹減った。あそこの屋台でケバブでも食って待つか」
「何を悠長なことを! こんなもの、僕の魔法があれば一瞬で――」
ゼノンが派手な起動魔法を使おうと印を結びかけた瞬間、俺は彼の腕を掴んで制止した。
「待った。『公共魔力設備への無許可干渉禁止法』第7条。発覚した場合、罰金三十万ゴールド、及び三ヶ月の魔力使用制限だ。あんた、それでもやるのか?」
「ぐ、ぬぬ……。な、なぜ貴様のような野良がそんな法律を……」
「公務員なんで。市民の足が止まった以上、代替手段を確保するのも仕事のうちだ」
俺は内心で「面倒だが、これも給料のうちか」と自分に言い聞かせ、携帯魔導通信機で交通課に連絡し、臨時の乗り合い馬車を手配する。市民の安全と生活を守る。それが、俺の仕事だ。たとえそれが、どれだけ地味で、面倒な作業であったとしても。
臨時馬車を待つ間、ゼノンは諦めきれない様子で、現場に残る魔力の残滓を再び探り始めた。今度は、より精密な探査魔法を使うようだ。
「……おかしいな。例の儀式の残滓に混じって、ごく微細な“煤化反応”がある。これは……ただの魔力暴走ではない。何者かが、意図的に何かを燃やした痕跡……?」
ゼノンの呟きに、俺の背筋を冷たいものが走った。黒いスス。地下施設。リヴィアの追求。バラバラだったピースが、最悪の形で繋がりかけている。
仮設執務室に戻ってからも、ゼノンは何かと俺に絡んできた。俺が書類をめくれば「そんな非効率なやり方では、魔力の流れが滞るぞ」と茶々を入れ、俺がコーヒーを飲めば「そんな安物の豆では、魔力回路が錆び付く」とケチをつける。正直、リヴィアの監査より、こちらの方が精神的に堪える。
王都中央監察局の冷徹な監査官、リヴィア・コルネリア。
名門魔法使い一族の傲慢な次期当主、ゼノン・ヴァレリウス。
二つの異なる、しかし等しく厄介な脅威が、俺の日常をじわじわと侵食し始めていた。俺は、これまで以上に面倒な状況に巻き込まれていくことを予感し、空になった胃薬の瓶を眺めながら、深いため息をつくのだった。
どうも、シルスです。今度は王都から、やたらと芝居がかったエリート魔法使いがやって来ました。決めポーズのたびに周囲の空気が凍るのですが、本人は全く気づいていません。おまけに俺の魔法は「野良魔法」呼ばわり。胃痛の原因が、また一つ増えました。
次回「儀式魔法の品評会と現実的な請求書」では、彼が自慢の儀式魔法を披露するようです。俺も無理やり参加させられるとか。嫌な予感しかしません。彼のプライドが砕け散るか、俺の胃が砕け散るか。見届けてくださる方は、評価やブックマーク、感想、いいねで胃薬の支援をお願いします。