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エピソード015:共犯者の秘密と古代銀貨

リヴィアという名の災害が去った後も、仮設執務室の空気は鉛のように重かった。俺は机に突っ伏し、いよいよ本格的に機能不全に陥り始めた胃を抱えて呻いていた。もうだめだ。打つ手がない。いっそ全てをぶちまけて、伝説級の魔法使いだとカミングアウトした方が楽になれるんじゃないか。いや、しかし、あの恥ずかしい儀式を公衆の面前で……? ダメだ、それだけは絶対に避けたい。社会的な死を迎えるくらいなら、胃に穴が開く方がまだマシだ。


俺が灰色の絶望に沈んでいると、不意に、頭上から声が降ってきた。

「シルスさん」


顔を上げる前に、その声の持ち主が誰かは分かっていた。フェリクラ・ミヌタ。俺の秘密を知る、唯一の共犯者。だが、その声色には、いつものようなおどおどした響きはなく、不思議なほど落ち着いた、強い意志の光が宿っていた。


彼女は、俺が顔を上げるのを待っていた。その間、彼女の脳裏には数週間前の光景が焼き付いて離れなかった。地下深く、崩れ落ちる瓦礫の中で、たった一人で絶望的な状況に立ち向かっていた背中。あの時、この人は私を、そしてこの街を守ってくれた。なのに今、彼はたった一人で監査官の重圧に押し潰されそうになっている。マニュアルにも、服務規程にも、今の彼を救う方法なんて載っていない。ならば――。


「……今度は、私が」フェリクラは、誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。「私が、この人を守る番」


決意を固めた瞳が、俺をまっすぐに見据える。

「私、シルスさんの力になりたいです。何か、私にできることはありませんか?」


彼女のまっすぐな言葉が、ささくれだった俺の心に染み込んでいく。あの事件以来、彼女は変わった。マニュアル遵守の受付嬢は、今や自らの意志で困難に立ち向かおうとする、強い女性だ。


「……フェリクラ」

「はい」

「何か、あの監査官の注意を逸らすような、何か……」


我ながら、情けない願いだ。だが、フェリクラは力強く頷いた。

「分かりました。少し、考えてみます」



その日の午後、給湯室でコーヒーを淹れていると、フェリクラがこっそりとやってきた。彼女は周囲を窺うと、一枚の古い銀貨を俺の手に握らせた。ひんやりとした感触。それは、このテルティウス市がまだアウレアと呼ばれていた時代のものだ。


「これ、お守りです」

「お守り?」

「はい。これは、かつて第7区の廃坑で発掘された古代通貨なんです。当時はただの出土品として博物館の隅に置かれていただけでしたけど……」


フェリクラは声を潜め、言葉を続ける。

「最近、監査官の動きがきな臭いでしょう? 直接メモを回すと足がつくかもしれません。だから、この銀貨を合図にしましょう。これを磨いていたら『至急相談』、裏返して置いてあったら『警戒レベル上昇』――そんな即席の暗号です。ちょっとしたスリルも味わえますしね」


言われるがままに銀貨を裏返す。すると、その中央に、髪の毛のように細い線で、見慣れないルーン文字が二つ、刻まれていた。

《RR-73》

何かの型番のようにも見えるが、意味は全く分からない。


「もし、このルーンの意味が解読できたら……その時は、ご褒美をあげます」


フェリクラは、悪戯っぽく片目をつぶって微笑んだ。その瞬間、俺は彼女の意図を理解した。これは、ただのお守りじゃない。俺と彼女だけが知る、秘密の暗号。リヴィアの調査を撹乱するための、陽動。


「……分かった。解読、頑張ってみるよ」


俺がそう答えると、フェリクラは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見ていると、不思議と胃の痛みが和らいでいくような気がした。


その時だった。給湯室の奥から「ボンッ」という間抜けな破裂音と共に、焦げ臭い匂いが漂ってきた。見ると、クラウディアが湯沸かし器の前で頭を抱えている。

「あちゃー、またやっちゃった……。ちょっと魔力でブーストしようとしたら、過熱してスライムが……」


彼女が指差す先では、清掃用に置かれていたゲル状のスライムが、熱で異常膨張し、不気味な紫色の泡をぶくぶくと立てていた。みるみるうちに体積を増し、床に溢れ出そうとしている。

「まずい、このままだと床が溶ける!」

「私がやる!」


クラウディアが叫ぶと同時に、彼女の手のひらに冷気の渦が生まれる。次の瞬間、消火器代わりの凝縮冷却魔法が膨張するスライムに叩きつけられた。ジュワッという音とともに、スライムは急速に萎んでいく。使える者が少ない高等魔術も、ここでは湯沸かし器の後始末に浪費される――なんともこの職場らしい光景だ。


「たくっ、後始末が面倒なんだよな、これ」

騒ぎを聞きつけたガイウスが、モップを片手に現れた。冷却されたスライムの残骸で、床はぬるぬると滑りやすくなっている。彼は慣れた手つきでモップを操るが、その足元はおぼつかない。不便極まりない。


そんな騒動の片隅で、俺はこっそりと両肘を肩の高さまで持ち上げ、腰をリズミカルに前後させながら「フッ、フッ」と二拍子で腹式呼吸を繰り返していた。例の儀式の、超短縮バージョンだ。少しでも精神を落ち着けようと……。

「シルスさん、何してるんですか?」

背後からのフェリクラの声に、俺はビクッと跳ね上がった。見られた。恥ずかしい。まるで無言の腰振りダンスを披露しているところを目撃されたみたいじゃないか。顔から火が出るのが分かった。



翌日、リヴィアの調査はさらに厳しさを増した。だが、俺たちの間には、昨日までとは違う空気が流れていた。リヴィアが俺に鋭い質問を投げかけるたび、俺はポケットの中の銀貨をそっと握りしめる。その冷たい感触が、俺に勇気をくれた。


「この魔力波形の乱れについて、合理的な説明を求めます」リヴィアの目が細められる。「検知器のログには『暗色化兆候:微弱』という記録も残っていますが」

「……それは、古代アウレア時代の遺物が、現代の魔力インフラに干渉した可能性が」


俺がそう答えると、リヴィアの眉がわずかに動く。すかさず、フェリクラが完璧なタイミングで助け舟を出した。

「はい。古代の遺物には、稀に《RR-73》のような、未解読のルーンが刻まれていることがあります。それが原因で、予期せぬ魔力干渉や、微弱な暗色化兆候を引き起こすケースが、古い文献に……」


リヴィアは眉をひそめ、黙り込む。もちろん、そんな文献は存在しない。すべて、俺とフェリクラが昨夜のうちに仕込んだ、ハッタリだ。だが、完璧主義者のリヴィアは、自分の知識にない情報が出てきたことで、わずかにペースを乱されたようだった。


俺とフェリクラは、視線を交わし、小さく頷き合った。見えない連携。二人だけの暗号。それは、鉄壁の監査官に対抗するための、ささやかで、しかし確かな武器だった。


この戦いが片付いたら、フェリクラに小さな菓子でも贈ろう。彼女の機転がなければ今ごろ万事休すだったのだから。そして──銀貨に刻まれたルーンの真意も、後でゆっくり解き明かしてみよう。そんなことを思いながら、ふと浮かぶのは彼女が見せた安堵の笑み。どうにも胸の奥がほんのり熱くなった気がした。


どうも、シルスです。胃痛と戦うしがない公務員に、可愛い後輩という名の“共犯者”ができました。彼女がくれた古代銀貨。それは、監査官の目を欺くための陽動のはずが、どうやらそれだけではない様子。刻まれた《RR-73》のルーンは、俺たちの運命をどこへ導くのか。そして、彼女が約束した「ご褒美」の中身も気になるところです。

次回「傲慢な訪問者と野良魔法の使い手」では、さらに厄介な人物が登場し、事態は混迷を極めます。もう勘弁してほしい。

あなたの評価やブックマークが、俺の胃を守る唯一の特効薬です。応援よろしくお願いします。

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