第三章
眉間の皺を確認する、今日も相変わらず深く刻まれている。
俺と瀬戸は捜査一課のオフィスに戻った。
「須田の過去の記録を調べよう。」
そう言うと瀬戸は、
「確認してみます。」
と応じた。
瀬戸がデータベースを検索しながら、
「須田には補導歴があるようです。8年前の記録です。」
と報告した。
俺は腕時計を見た。
午後5時を指していた。
「後で少年課に問い合わせてみよう。関連資料もまとめておいてくれ。」
と指示し、瀬戸が資料をプリントアウトして整理する間、俺は捜査の進捗状況を上司に報告した。
俺は少年課に電話をかけ、8年前の須田優司の補導事案について問い合わせた。
明日の午前10時に、当時の担当者と面談できることになった。
「よし、今日はここまでにしよう。明日の午前10時に少年課で話を聞くことになった。」
俺は瀬戸にそう告げ、軽く肩を叩いた。
「十河さん、セクハラですよ。」
瀬戸がジト目で俺を見上げる。
「驚いた、お前俺のことちゃんと男として見ていたんだな。」
戯けた表情を作って返すと、
「むむ、そう来ますか。」
と言って眉間にしわを寄せる、その後すぐに、
「取り調べでもそのように供述してくださいね、そのままマスコミにリークしますから。」
と笑顔で返してきた。
「世間には通用しませんってか、勘弁してください。」
俺は深々と頭を下げた。
「じゃあいつものクレープで手を打ちますか。」
瀬戸は随分嬉しそうだ。
「…いやいつものクレープは出世払いだからな、奢ったわけではない。」
「仕方ないですねー。」
瀬戸がやれやれと俺の肩に手を置く。
「…これはセクハラの現行犯ということでいいのか?」
肩に置かれた手に抗議する俺に、
「え!?十河さんがセクハラの被害に!?誰がそんな酷いことを!」
実に白々しい。
俺たちは明日の準備をして、その日の捜査を終えた。
そして翌日。
午前10時俺と瀬戸は少年課を訪れ声を掛ける。
「失礼します。捜査一課の十河です。こちらは瀬戸警部です。」
巡査長だと言う男は顔を上げ、
「あぁ、ご連絡頂いた。」
「8年前に須田優司という少年を補導した事案について情報を得たいのですが。」
と説明すると巡査長は、
「少々お待ちください。」
と言いながら帳簿で記録を確認し、
「その事案は私が担当しておりました。」
と答えた。
瀬戸は須田の写真を見せながら、
「この少年です。最近起きた殺人事件の被疑者なんです。」
と説明した。
巡査長は写真をじっと見つめ、
「ああ、この子か。少し思い出してきました。」
とつぶやいた。
「当時の須田の様子について教えていただけますか?」
俺が尋ねると、巡査長は記憶を呼び起こしながら話し始めた。
「深夜に繁華街で補導したんです。普通の子とは違って、妙に落ち着いていて、笑顔で応対してきたのが印象的でした。」
俺が家族状況について尋ねると巡査長は、
「母親との連絡が取れず、須田紗季さんという方が捜索願を出していました。」
と答えた。
瀬戸が、
「紗季さんと須田の関係は?」
と質問すると、巡査長は資料を指し示しながら答えた。
「こちらです、須田紗季さんは須田優司のおばですね。」
「須田の態度や行動で、特に気になる点はありましたか?」
さらに尋ねる。
巡査長は少し間を置いてから話し始めた。
「表面上は明るく振る舞っていました。ただ紗季さんと一緒にいるときだけ、本当の表情を見せていたような…そんな印象があります。」
俺と瀬戸は巡査長に礼を言い、少年課を後にした。エレベーターに乗り込むと、二人は無言で視線を交わした。
警視庁内の廊下を歩きながら、俺と瀬戸は黙々と自分たちの思考を整理していた。
「十河さん。」
瀬戸が眉をひそめながら言った。
「須田の家庭環境、予想以上に複雑ですね。」
俺は深いため息をつき、机に置かれた資料に目を落とした。
「ああ。母親との確執、紗季さんの存在...。それと、皆原さんの立ち位置もな。」
一瞬言葉を切り、瀬戸の反応を窺う。
「皆原さんは須田の母親沙良さんの内縁の夫で、他に家族はいないようだが…。」
瀬戸は静かに頷いたが、その目には何か言いたげな影が浮かんでいた。
「特に気になるのは、紗季さんが須田の捜索願を出していた点です。」
「そうだな。」
俺は顎に手を当てて考え込んだ。
「おばが捜索願を出すこと自体珍しくないが、なぜ実の母親ではなく...。そこに何か特別な事情があったのかもしれない。」
「母親との関係がこじれて、紗季さんが深く関わっていた…と考えるのが自然だな。紗季さんと須田の関係性をもっと詳しく調べる必要があるな。」
と言いながら足を速めた。
オフィスに到着した俺たちは、それぞれ自分たちのデスクに向かった。
俺はコーヒーを入れながら言った。
「家族関係の問題は、確かに事件の背景に影響することが多い。須田の場合も例外ではなさそうだ。」
瀬戸もコーヒーカップを手に取り、
「はい。須田の過去と現在の事件との関連をもっと詳しく調べる必要があります。特に彼の行動パターンや被害者との関係性に注目すべきかと。」
と答えた。
「そうだな。それと須田の自宅から発見された皆原さんの遺体について、司法解剖結果も確認しなければならない。」
瀬戸は頷き、
「はい。皆原さんと須田との関係も、事件の動機を解明する重要な手がかりになるかもしれません。」
と応じた。
翌日俺は科捜研を訪れた。
法医担当の職員が法医学教室から送られてきた司法解剖報告書を手にしながら説明を始めた。
「報告書によれば、皆原さんの死因は急速な出血性ショックによる死亡です。頸部に深い切創があり、これが致命傷となっています。この傷によって頸動脈が損傷し、極めて短時間で大量出血が起きたと考えられます。」
職員はさらに続けた。
「顔と胸部には多数の刺し傷があります。ただし、これらの傷の多くは死後に加えられた可能性が高いです。出血量が少ないことから、そのように判断しています。」
「防御創について何か特徴的なことはありますか?」
と尋ねた。
職員は少し困惑しているように見えた。
「明確な防御創は見られません。致命傷が非常に重篤だったため、皆原さんが抵抗する機会がほとんどなかった可能性があります。おそらく、一撃で意識を失い、その直後に死亡したと推測されます。」
少し違和感があった。
「つまり最初の一撃で致命傷を負い、その後意識を失っている間に他の傷を負ったということですか?」
職員は頷きながら答えた。
「その可能性が高いですね。ただし、詳細な状況についてはさらに捜査で明らかになると思います。」
俺は少し考えてから、
「ありがとうございました。」
と礼を述べて科捜研を後にした。
建物の外に出ると、昼下がりの空気が肌を撫でた。
俺は一息つくように立ち止まり、周囲を見渡す。
次へ向かう前に少し頭を整理しようと考えたのだ。
しかしその瞬間、背中に誰かの視線を感じた。
振り返っても人影はなく、気のせいかと思ったがやはり落ち着かない。
足早にオフィスへと戻った。
オフィスに戻り瀬戸と合流すると、瀬戸が気まずそうに書類を渡してくる。
震災のニュースを伝える記事の切り抜きだ。
思わず目を見開く。
「須田紗季さんが…7年前の震災で亡くなっていただと!」
瀬戸は静かに頷いた。
「はい...。須田の人生に大きな影響を与えた出来事だったようです。」
俺は深く息を吐き、
「皆原のスマホの捜査はどうなっている?」
と尋ねた。
瀬戸は少し目を逸らしながら答えた。
「皆原名義の契約は見つかりませんでした。須田や、念の為亡くなった須田の母親の名義でも確認しましたが、皆原が使っていたスマホは特定できていません。」
「PINEアプリの調査結果は?」
「海外法人のアプリで秘匿性が高く、情報開示に難色を示しています。」
瀬戸の声には微かな緊張が感じられた。
「須田本人は相変わらずだしな。」
眉間にシワが寄る。
「なぜスマホが見つからないんだ?何か見落としているのか...。」
瀬戸は黙ったまま、俺の反応を窺っているようだった。