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ポーカースマイル  作者: 城井龍馬
第十三章
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汚れた手と矜持

「……なんですか、その自信」


瀬戸の顔から血の気が引いていく。


彼女は震える手で顔を覆った。


指の隙間から、壊れそうな声が漏れる。


「でも……十河さんはやっぱり……すごいですね」


「瀬戸……」


自分の声に、悲しみが滲むのが自分でもわかった。


瀬戸は深く息を吐き、覚悟を決めたように顔を上げた。


その瞳は潤んでいたが、もう逃げる様子はなかった。


「あの家に行って皆原の死体を見た時は、驚くほど冷静だったんです」


彼女は独白を始めた。


「スマホを回収した時、画面が開いたままでした。そこに未送信のメールがあって……」


「それを読んだのか?」


「はい」


瀬戸の視線が宙を彷徨う。


「読んだ瞬間、頭が真っ白になりました。怒りとか、悲しみとか、そんな単純な言葉じゃ片付けられない感情が爆発して……」


彼女は膝の上で拳を握りしめた。


「気がついたら、あの人は滅多刺しになっていて……私の手には、あの人が須田君に殺された時に使われた包丁が握られていました」


俺は言葉を失った。


想像していた以上の深淵が、そこにはあった。


ずっとこんな暗い秘密を抱えて、何食わぬ顔で俺と捜査をしていたのか?


いやそうじゃない。


きっと俺が、何も見えていなかっただけだ。


「捜査中も、気が気じゃなかったんですよ」


瀬戸は困ったように、弱々しく微笑んだ。


「何度も相談しようと思いました、でもそれには私の罪を全て告白しなければいけない」


「……」


「怖かったんです、警察官でいられなくなるかもしれない。十河さんと働けなくなるかもしれない、見放されてしまうんじゃないかって……」


彼女の声が震え、涙が頬を伝う。


「……馬鹿野郎」


俺は唸るように言った。


部下の苦悩にまるで気づかず、優秀な刑事気取りで現場を走り回っていた自分への怒り。


「すみません……」


瀬戸は深く項垂れた。


俺は天井を仰ぎ、大きく息を吐き出した。


やってしまったことは取り返しがつかない。


だが、ここで終わらせるわけにはいかない。


「わかった」


俺は瀬戸をじっと見据えた。


「それでは、須田を撃った時の話を聞かせてくれ」


瀬戸は諦めたように頷き、ポツリポツリと話し始めた。


墓地で須田と対峙した時の、張り詰めた空気。


彼の一言が、どのように彼女の理性の引き金を引いたのか。


皆原への煮えたぎるような憎悪や亡き母への思慕、そして智成と交わした最期の約束……。


彼女は時折言葉を詰まらせながら、胸の内に澱んでいた感情を一つずつ吐き出していった。


それらが複雑に絡み合い、殺意の引き金を引かせたこと。


「でも、十河さん……私にもわからないんです。本当に私は須田君を殺そうと思ったのか、それとも……」


「無理もない」


俺は短く答えた。


それだけの背景があれば、冷静でいられるはずがない。


「十河さん」


瀬戸はポケットから、証拠品袋に入ったスマートフォンを取り出すとテーブルの上に差し出した。


「あの人が使っていたスマホです。……私の動機が、この中にあります」


俺はそのスマホを見つめた。


ビニール越しの冷たい感触。


俺はそれを懐にしまった。


「わかった、……報告してくる」


立ち上がり、部屋を出ようとする俺の背中に瀬戸の視線が刺さる。


俺は振り返らずに部屋を出た。


重い足取りで、捜査一課長のデスクへ向かう。


課長は俺の顔を見るなり、眉をひそめた。


「どうした十河、酷い顔だぞ」


俺は周囲に聞こえないよう声を潜め、状況を説明した。


瀬戸の告白。


死体損壊の事実。


そして、須田射殺の経緯。


課長の顔色がみるみる変わっていく。


「……瀬戸を死体損壊で逮捕し、須田の射殺については更なる捜査を進めるよう進言します」


俺が言い切るなり課長は深いため息をつき、頭を抱えた。


「どういうことになるか、わかってて言っているんだよな?」


課長の視線が鋭くなる。


「法のもとに権力を行使する我々が、法を無視することはあってはなりません」


俺は譲らなかった。


「言うまでもない事だと思うが、瀬戸の懲戒免職は免れないぞ。刑事告訴されれば実刑もあり得る」


言葉が胸に刺さる。


だが隠蔽すれば、瀬戸は一生自分の罪と嘘に怯えて生きることになる。


それは、死ぬことよりも辛いことかもしれない。


「……そうならないように、全力を尽くします」


我ながら馬鹿な事を言ったものだ。


「全力を尽くす? どうやって?」


課長は失笑した。


「そうですね」


俺は懐に手を入れ、あるカードを切ることにした。


「部下の不始末を見抜けなかった事に、責任を感じております」


懐から顔を覗かせた白い封筒を見て、課長の声色が変わる。


「おい待て」


俺は構わず続けた。


「副総監には目をかけていただいたのに申し訳ないと、十河が言っていたとお伝えください」


自分で言うのもなんだが、俺は副総監に気に入られている。


そもそも瀬戸の教育係を押し付けられたのも、あの方の鶴の一声だった。


今回の件、あの方にも責任の一端はある。


こんな時くらい、その名前を使わせてもらっても罰は当たるまい。


「……わかった、わかったよ!」


課長は慌てて俺を止めた。


「瀬戸を逮捕したうえで、できるだけ穏便に済ませられるよう掛け合う! 情状酌量の余地はあるはずだ」


「よろしくお願いします」


俺は深々と頭を下げた。


「そもそも逮捕しなけりゃ話は早いだろ」


課長がぼやいた。


確かにそうだ。


誰も見ていないし、証拠もない。


だが。


「そうかもしれません、でもうまく言葉にできませんが……それじゃあ駄目だと思うんです」


そうでないと、瀬戸は本当の意味で前に進めない気がしたのだ。


罪を償い、日の当たる場所に戻ってきてほしい。


「全く……ただ事が事だ、絶対にうまくいくとは言えん。良くて五分五分だぞ」


「その時は、実家の定食屋でも継ぎますよ」


「そりゃいいな、瀬戸も誘ってやれ」


課長は苦笑いで答えた。


「……瀬戸は、俺を許さないでしょう」


ふと漏れた本音。


俺が彼女を逮捕するよう進言したこと。


それを知れば、彼女は俺を恨むかもしれない。


「そうかな? 俺はそうは思わんがな」


課長はニヤリと笑い、すぐに真顔に戻った。


「まぁお前が実家に戻らなくて良いよう努力はするよ、だが検察にはどう説明したもんかなぁ?」


わざと聞こえるように言ってくる。


警視庁内はともかく、検察――特にあの女については何とかしろと言いたいらしい。


俺は表情を引き締めた。


「私が直接、白浜検事に説明に行きます」


「そうか、頼むぞ」




東京地方検察庁に向かう車の中。


俺は何度も頭の中でシミュレーションを繰り返した。


白浜検事との対話は、簡単ではない。


だが、こちらも引くわけにはいかない。


検察庁に到着し、白浜の執務室の前に立つ。


深呼吸をして心を落ち着かせ、ノックをした。


「どうぞ」


白浜の声が聞こえ、俺は部屋に入った。


彼女はデスクワークの手を止め、眼鏡の奥から俺を見た。


「十河警視、話があると伺いましたがどうされました?」


俺は真っ直ぐに白浜を見つめ、切り出した。


「重要な報告があります」


瀬戸の件について、包み隠さず説明した。


白浜の表情は、話が進むにつれて厳しくなっていった。


説明を終えると、俺は付け加えた。


「こちらで適切に対応します」


しかし白浜は眉間に深いしわを寄せ、冷ややかに言った。


「十河警視、これは大変な問題です。検察と警察の威信にも関わる。ここは私がうまく処理できるよう、動いてもいいかしら?」


俺は眉をひそめた。


「白浜検事、威信のために法を曲げては筋が通りません」


「あなたたちだけの問題じゃないのよ」


白浜は諭すように言った。


「もっと大きな影響を考えなきゃいけないの、警察の不祥事は司法への信頼を揺るがすわ」


それはこの事件の関係者の苦悩を無視し、組織の論理を優先する発言だった。


警視庁の面談室で、全てを吐き出して俯く瀬戸の姿が脳裏に浮かぶ。


その瞬間、俺の中で何かが切れた。


「ふざけんな!」


バン!


俺は机を思い切り叩き、怒鳴りつけた。


「そんなクソみたいな隠蔽工作、誰が手を貸すか!」


言ってしまった。


だがもうどうでもいい。


腹の底からの言葉だった。


「てめぇらみたいなふざけた連中が、よく正義面していられんな! 威信だ? 体面だ? そんなもん、どこぞの穴に突っ込んでろ!」


怒号が部屋中に響き渡る。


白浜は唖然として、口を開けたまま俺を見ていた。


「不正してまで勝ちてぇのか!? 何が検事だ、吐き気がする!」


俺は止まらなかった。


「それだけじゃない! 科捜研に圧力をかけてたのはわかっている! 証拠も証言も掴んでんだよ! 威信に傷付くようなことしてんのは、どっちだ!」


この言葉に、白浜の表情が一変した。


驚愕。


そして、恐怖。


彼女の顔から血の気が引いていく。


「……!」


部屋に重苦しい沈黙が流れる。


俺と白浜は無言のまま、互いを見つめ合った。


自分の荒い息遣いだけが聞こえる。


やがて俺は深く息を吐き、乱れた襟元を正した。


「……非礼をお詫びします」


静かに、しかし力強く言った。


「ですが科捜研の件は、このままで終わらせるつもりはありません」


白浜はしばらく黙っていたが、やがて開き直ったように薄く冷たい笑みを浮かべた。


「お好きにどうぞ」


余裕だ、とでも言うのだろうか。


冗談じゃない。


絶対に、償わせてやる。


俺は無言で一礼し、踵を返した。


ドアノブに手をかけたところで、思い出したように振り返る。


最後に、これだけは言っておきたかった。


「もう一つだけ」


俺は白浜を真っ直ぐに見据えた。


「正直、私はあなたが苦手です。それでも仕事はしっかりとこなす方だ、そう思っていました」


白浜が怪訝そうにこちらを見る。


「未だに捜査報告書にしっかりと目を通して頂けていないようで、……それでは」


俺は今度こそ部屋を後にした。


廊下に出ると、背中にじっとりと汗をかいているのがわかった。

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