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第十一章

弁護士バッジに目を遣った、須田さんはどうしているだろうか。


私は、久美子から受け取った情報をもとに墓地へと急いでいた。


車を降りたところで、二人の高校生くらいの若者が墓地に向かって歩いているのを目にした。


「あれは…。」


久美子から渡された資料に載っていた顔だ。


五十島謙さんの子供たち、真知さんと信護君。


私は二人に近づき、声をかけた。


「失礼ですが、五十島真知さんと信護君ですか?」


驚いた様子で振り返る二人に、私は名乗った。


「私は弁護士の高津です。お父さんの知り合いです。お二人がここにいるのは…?」


真知さんが答えた。


「お父さんが戻るのを待っていたんです。でも遅いから…。」


「探しに来ました。」


と信護君が言葉を継いだ。


五十島さんがここに?


まさか須田さんと?


すっ、と血の気が引いた。


良くない事になっていなければいいが、もはや猶予などない。


そんなこちらの気持ちなど知る由もなく、二人は不思議そうな顔をして尋ねた。


「でも、どうして私たちのことを知っているんですか?」


私は一瞬躊躇したが、


「お父様に写真を見せてもらったことがあります。」


と咄嗟に答えた。


「一緒に行ってもいいですか?」


少し戸惑いながらも二人が頷くと、私は彼らと共に墓地の奥へと進んだ。


しばらく歩くと、私たちは驚くべき光景を目にした。


須田さんと銃を構えた女性が対峙する光景に、まるで時が止まったかのようだった。


女性は警察官?


須田さんは武器を持っているのか?


須田さんの隣にいるのは五十島さん?


疑問ばかりが頭を駆ける。


ただそんな事を考えながら子供たちの前に出ていた。


五十島さんは、須田と瀬戸の間に割って入るように一歩踏み出す。


彼の表情には、迷いと不安が綯い交ぜになっている。


彼は二人の顔を交互に見ながら、言葉を選んでいるようだった。


「待ってください。」


五十島さんの声はやや震えていたが、決意に満ちていた。


「瀬戸警部、優司君は抵抗する気はありません。銃を下ろしていただけませんか?」


瀬戸警部は少し面食らったように五十島さんと須田さんを交互に見ている。


まぁ私も最初に聞いた時は驚いた。


その沈黙の中、須田さんの口元には変わらぬ笑みが浮かんでいる。


「お人好しですね、五十島さん。」


須田さんの声には、皮肉めいた温かさが混じっていた。


隣で双子が小さく息を呑んだのが聞こえた、無理もない。


父と久しぶりに会った異父兄が、銃を持った警察官と話しているのだから。


「僕を信用するのは危険ですよ。こんな状況なら尚更。」


五十島さんは須田さんと瀬戸警部の間で視線を行き来させる。


「優司君、お願いだ。もうこれ以上…。」


五十島さんの言葉が途切れたその瞬間、墓石の陰から真知さんと信護君が顔を出してしまった。


「お父さん?」


真知さんの声が、緊張した空気を切り裂いた。


「兄さん?」


信護君が小さな声で呼びかける。


「どうしてこんなことに?」


真知さんも続けて話しかける。


「お兄ちゃん、何があったの!?」


その声を聞いた瞬間、須田さんの態度が一変する。


彼の動きは素早く、ほとんど目で追えないほどだった。


謙の背後に回り込むと同時に、護送車から逃げ出す際に隠し持っていたのだろうか?


大きなガラスの破片に布を巻いた急拵えのナイフを、五十島さんの首筋にぴたりと当てた。


しかし、彼の顔からは笑顔が消えることはなかった。


「動かないで。」


声は低く、冷たかった。


須田さんはなぜこんなことを?


子供たちの前だからだろうか。


「全員動かないでください。」


子供たちは、状況が飲み込めずに立ち尽くしていた。


私は、この予想外の展開に息を呑んだ。


瀬戸警部が怒声を上げる。


「須田!子供の前で親に危害を加えるつもり!?」


しかし、五十島さんはそれをも制止する。


「落ち着いて!」


五十島さんの声は、状況を考えれば驚くほど冷静だった。


「真知と信護も見ているんだ。優司君、もうやめてくれ。こんなことをして何になる?」


墓地は再び静寂に包まれた。


須田さんの笑顔は変わらず、その目から感情は読み取れない。


真知さんと信護君は、理解できない状況に困惑しながらも、その場に釘付けになっていた。


この緊迫した状況の中、誰もが次の一手を躊躇っていた。


そして、その沈黙を破るため、私は勇気を振り絞った。


「須田さん。」


私は静かに、しかし強い意志を込めて声をかけた。


須田さんの目が私に向けられた。


その瞳には一瞬だけ、何かが揺らいだように見えた。しかしすぐにいつもの笑顔に戻る。


「高津さん。」


須田さんの声は相変わらず飄々としていた。


「ちょうどいいところに。」


私が一歩前に出ると須田さんは突然、思いついたように言い出した。


「高津さん、五十島さんの身代わりになってくれません?」


「え?」


私は素っ頓狂な声を上げてしまった。


須田さんは相変わらずの笑顔で、わざとらしく悲しそうな口調で続けた。


「刑事さんも言っていたでしょう?子の前で親に危害を加えるのは、さすがの私でも心が痛むんです。」


瀬戸警部が即座に反応した。


「勝手なこと言わないで!どっちかを人質になんてやめなさい!」


しかし私は深く息を吸うと、意を決して言った。


「構いません。五十島さんは解放してくださいね。」


もはや他に選択肢がない、考えようによっては自分が弁護士として須田と対話できるかもしれない。


須田さんの笑顔が、さらに大きくなった。


「さすが私の弁護士。」


それは褒め言葉なのだろうか、ただ少し嬉しくもあった。


私が須田さんの手の届く範囲に入ったとき、須田さんは素早く動いた。


一瞬のうちに、彼は謙から私へと人質を交代させた。


私の腕を掴み、ガラス片を五十島さんの首筋から離すと同時に、私の首筋に突きつけた。


ヒヤッとした感触が首筋に生まれた。


そして須田さんの動きは流れるように滑らかで、誰も阻止する間もなかった。


「ご協力ありがとうございます、高津さん。」


須田さんは笑顔のまま囁いた。


解放された五十島さんは、すぐさま真知さんと信護君の方へ駆け寄り、二人を抱きしめた。


「お前たち、どうしてここに来たんだ!危ないだろ!」


五十島さんの声には安堵と怒りが入り混じっていた。


瀬戸警部は、この展開に困惑しながらも銃を構えたまま須田さんを見つめていた。


しかし、子供たちの存在を考慮してか、発砲することはできずにいた。


「須田君。」


彼女の声は、先ほどの怒りを抑えたもので、どこか懐かしげにすら感じられた。


「久しぶりね。」


この二人は知り合いだったのか。


瀬戸警部の言葉に、須田さんの目が僅かに見開かれた。


彼の表情には、一瞬だけ驚きの色が浮かんだように見えた。


しかし、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「そうだね、こうして会って話すのは何時ぶりだろう。」


須田さんの声は柔らかく、旧友との再会を心から楽しんでいるようだった。


清香ちゃん?


里村先生が言っていた?


「何年ぶりだったかな。」


瀬戸警部は、ゆっくりと銃を下ろしながら一歩前に出た。


その動きに、私は体が強張るのが感じられた。


しかし、須田さんはガラスの破片を握ったまま、動きを止めている。


「智成君のこと、覚えてる?」


瀬戸警部の声には、懐かしさと痛みが混じっていた。


智成君と言うと、白血病で亡くなった須田さんの友人だったはずだ。


須田さんの目が遠くを見るように曇る。


「ああ、懐かしいな。」


彼の声は、珍しく感情を含んでいた。


「智成のこと、よく覚えているよ。」


瀬戸警部は続けた。


「それじゃあ智成君が学校に来なくなる前に、急に旅行に行きたいって言い出して。私たち3人で行った遊園地は?」


須田さんの表情が柔らかくなる。


「ああ、あの旅行か。」


「そうね。」


瀬戸警部の声も懐かしさに満ちていた。


「ジェットコースターで智成君が叫びすぎて、声が枯れちゃったこと。あと、お化け屋敷で須田君が意外と怖がってて、智成君と私で笑ったこと。」


若者らしくかわいい思い出だ。


楽しそうな光景が目に浮かぶ。


須田さんは少し恥ずかしそうに笑った。


「覚えてるよ。智成、心底楽しそうだったよな。」


「ええ。」


瀬戸警部も同意した。


須田さんは続けた。


「でも、最後にみんなで観覧車に乗った時が一番印象に残ってる。夕日を見ながら、3人で将来の夢を語り合ったんだ。」


瀬戸警部は静かに頷いた。


「そうね。須田君の夢はお医者さんだったね。」


須田さんの目が遠くを見るように曇る。


「ああ、そうだった。」


「医大、どうして辞めちゃったの?」


瀬戸警部の声には不思議そうな調子が混じっていた。


須田さんは少し考え込むような表情をした後、


「勉強についていけなくてね。」


と答えた。


その言葉はなぜか空虚に感じられた。


須田さんの学力は知らないが、なぜか勉強についていけないというのを信じる気にはならなかった。


瀬戸警部補は少し驚いたように須田さんを見つめ、


「そう…。」


と呟いた。


そして、


「私は夢なんてまだわからないって言ってて…。」


と続けた。


「そうだったね。」


須田さんは懐かしむように言った。


「で、智成の夢は…。」


「警察官だった。」


瀬戸警部が静かに言葉を継いだ。


須田さんの目が少し見開かれた。


「まさか、それで警察官に?」


瀬戸警部は答えず、ただ静かに目を伏せた。


その沈黙が、須田さんの問いへの答えとなっていた。


亡くなった友人の夢を継いだのだろうか、大事な人だったんだろうな。


「どうだろうね。」


と瀬戸警部は呟いた。


須田は少し考え込むような表情をした後、


「いや、僕はようやく合点がいったよ。」


と言った。


瀬戸警部は敢えてそこには触れずに続ける。


「智成君は最後に、須田君のことを頼むって言ったの。」


彼女の目には、涙が光っていた。


「私に、あなたのことを見守ってほしいって。」


私は、この予想外の展開に息を呑んだ。


須田さんと瀬戸警部の間にある過去の関係性が、徐々に明らかになっていくのを感じながら、状況を注意深く見守っていた。


須田さんの手に握られたガラス片の感触を首筋に感じながらも、私は二人の会話に聞き入っていた。


須田さんは黙り込む。


私は状況が好転することを祈るように、じっと動かずにいた。


そのとき、遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。


須田さんの体が僅かに強張る。


「もうあまり時間がないようですね。」


須田さんが呟く。


その声には、諦めと決意が混じっていた。


瀬戸警部は、サイレンの音に焦りを感じたのか、最後の質問を投げかける。


「須田君、教えて。」


彼女の声は切実だった。


「なぜ皆原誠を殺したの?」


この質問に、墓地の空気が一瞬凍りついたかのようだった。


私を盾にしていた須田さんが、ゆっくりと顔を出す。


「何故でしょう?」


須田さんの声は、不思議なほど穏やかだった。


須田さんの言葉が墓地に響き渡る。


その『何故でしょう?』という問いかけは、単なる返答ではなく、瀬戸警部自身に向けられた問いのようにも聞こえた。


須田さんは答えない。


代わりに、彼の目が墓石の方へ向けられる。


そこには『須田沙良』の名が刻まれていた。


「皆原誠は君にとって良い父親ではなかったでしょう?」


皆原誠が瀬戸警部の父親?


須田さんの声は冷たく、皮肉めいていた。


「須田沙良を愛して愛して愛した。」


瀬戸警部が歯を食いしばるのが見える。


須田さんは続ける。


「須田沙良が結婚しても諦められず横恋慕し続け、その癖君の母親を孕ませたのに籍も入れず事実婚状態。」


瀬戸警部が口を動かしているのが見えた、何と言っているかは聞こえなかった。


「須田沙良が離婚したら君ら親子をあっさり見捨てて須田沙良の元に駆けつける。」


「やめて。」


ようやく聞こえた。


「控えめに言ってそんなクズみたいな奴は死んで当然じゃありませんか?」


「やめて!」


瀬戸警部の目に涙が浮かび、彼女は再び須田に銃を向け直した。


その手は力を入れすぎてわなわなと震えている。


「それ以上!口を開くな!」


須田は瀬戸警部の言葉を聞くと、『あなたが聞いたんでしょう?』とでも言いたげに微笑んだ。


その笑顔には、皮肉と悲しみが込められているようだった。


その瞬間、遠くで車のエンジン音が聞こえ始める。


警察が到着したのだ。


須田さんの体が強張る。


彼は一瞬、逃げ出すことを考えたかのように見えた。


しかし次の瞬間、彼の表情が変わる。


「高津さん、約束守れずすみません。」


突如呟いた須田の声には、奇妙な解放感が滲んでいた。


「え?」


私は思わず須田さんに目を向けようとする。


突然、須田さんは私を押し倒してその上に馬乗りになった。


そして、大振りで私にガラス片を振りかぶる。


「やめて!」


瀬戸警部の叫び声が響く。


鋭い銃声が墓地の静寂を引き裂いた。


その音は、まるで時間が止まったかのように、異様に長く感じられた。


銃声の反響が墓石に跳ね返り、墓地全体に広がっていく。


弾丸は須田さんの胸を貫き、彼の体が私の上からゆっくりと横に崩れ落ちる。


私は急いで体を起こし、横たわる須田さんの側に膝をつく。


「須田さん!須田さん!」


声が震える。


「なぜこんなことを…。」


須田さんの目が僅かに開く。彼の口元にはかすかな笑みが浮かんでいたが、その目から光が失われていく。


「兄さん!」


信護君が叫び、真知さんも、


「お兄ちゃん!」


と声を上げた。


二人の目には涙が溢れ、顔には恐怖と悲しみが入り混じっていた。


五十島さんは震える子どもたちを強く抱きしめながら、須田さんの倒れた姿を見つめ、辛そうな表情を浮かべた。


瀬戸警部は涙を流しながら茫然自失の状態で、手から拳銃を落とした。


その瞬間、警察官たちが現場に駆けつけた。


「なんだ今の銃声は!?」


眉間に深い皺の目立つ上司らしき警官が声を上げ走り寄る。


そこで最初に目にしたのは、拳銃を落とし呆然と立ち尽くす瀬戸警部の姿と、須田さんの側に跪く私だった。


「須田!?」


警官は驚愕の声を上げた。


「クソがっ!」


しかし、すぐに状況を理解したように表情が変わる。


警官は素早く須田さんに駆け寄り、私の隣に膝をつくと同時に首の脈を探った。


「まだ脈がある!」


と叫び、胸から流れ出る血を両手で必死に押さえる。


「救急車を呼べ!急げ!」


警官は必死に止血を試みながら、感情を爆発させた。


「ふざけるな、須田!へらへらしたまま死なせてたまるか!」


彼の声は怒りと焦りが入り混じり、墓地に響き渡る。


「おい、目を開けろ!」


警官は須田さんの顔を叩きながら叫び続けた。


私は祈る思いでその姿を見ていた。


「お前はまだ何も話してねぇんだぞ!こんな勝ち逃げみたいな真似、させるかよ!絶対に全部吐かせてやる!」


墓地に再び静寂が戻る。


しかしそれは以前とは違う、重く悲しみに満ちた静寂だった。


必死の叫び声だけが、その静寂に抗い続けていた。

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