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⑩ 温もり



 こんなもんじゃ済まさないぞ……!


 俺は、階段を駆け下りて行く人達を、容赦なく後ろから蹴りつけた。



「へぎゃぁぁぁぁ!」と、奇妙な声を出して、ドミノ倒しの様に人が落ちていく。


 俺は、山になった人の塊を踏み越えると、外へ逃げ出したスタッフ達を追いかけた。


 一人残らず、ぶっ飛ばさないと、気が済まないのだ。



 靴も履かずに外へ飛び出すと、友也がいた。


 友也は両手を広げて、俺の前に立ちはだかった。


「お、おい翼! やめろって……」



 バシッ!


 俺は問答無用で、友也をホウキで、ぶっ叩いた。


「いでぇ!」と左腕を押さえて、地面を転がる友也。



 その友也の向こうに、女装したおじさんがいる。


 俺の母に扮していた、滝口社長だ。



 ……こいつだ!


 俺の心を弄んだ上、全国の笑い者にしたのは、こいつなんだ!



 絶対に、許せない!


 鋭く睨み付けると、滝口社長は「ひっ!」と、しゃっくりのような悲鳴を出して、逃げだした。


 俺は滝口社長を、追いかけた。



 逃げ切れないと、悟ったのだろう。


 二十メートルほど駆けたところで、滝口社長は振り返り、こちらに身体を向けた。



「お、おい栗岡! やめろっ! 落ち着けよ!」


 滝口社長は、両手を前にかざして、後ずさりを始めた。



「うるせぇぇ!」


 もはや、自分自身を止められなかった。


 とうとう、農道の上に尻餅をついて、狼狽する滝口社長。



 俺は怒りに任せ、ホウキを振り上げた。


 まさに、その時だった。




——翼っ! やめてっ!




 背後で、女性の声がした。


 どこかで聴いたような、懐かしい声だった。


 その瞬間、不思議な事に、俺の身体は石のように硬くなった。



 ホウキを振り上げた格好のまま、首だけを動かし、声の主を確認してみる。


 そこには、黒いロングコートを風に揺らせる四十代、後半くらいの女性が立っていた。


 さっきの声は、この人だ。



 女性は強張った顔で、ゆっくりと俺の方へと近づいてくる。


 そして、よく通る声で話しかけてきた。


「翼よね……? 大きくなったわね……」



 俺は、この人が誰なのか直感的に分かった。


 だが、すぐに首を横に振った。




 ……そんな訳ない。


 ……そんな事は、絶対にあり得ない。




「あ……あんた、誰だよ」


 痰が絡んだような、変な声が出た。



 女性は瞬きをして、少し首を傾けた。


「私が誰だか、分からない?」



「も……」


 もしかして……と言いそうになったが、寸前で飲み込んだ。


「……し、知らねえよ、誰だよっ!」


 自分でも予期しない、意地を張った声が出た。



 女性は、少し驚いた顔をした後、悲しそうに目を細めた。


「……栗岡真由美。あなたの母よ」


 カタンと、持っていたホウキが地面に滑り落ちた。



 そんな俺の様子を、尻餅をついたまま、見上げる滝口社長。


 スタッフや共演者達、また友也も、遠巻きに事の成り行きを見守っているようだ。



 視線を女性に戻すと、俺は苦笑いを浮かべた。


「いや、いやいや……母なわけないだろ? あんた、何言ってんの?」



 女性は、胸の前で両手を組むと、一つ深い息を吐いた。


 おそらく、女性も緊張していたのだろう。


 息を吸い込むと、女性の背筋がピンとした。



「昨日、あなたが生配信の動画に出ているのを見たのよ。ネットニュースで話題になっていたから。最初は、同姓同名だったから気になって、興味本位でのぞいてみたの。……本当にビックリしたわ。信じられなかった。でも間違いなく、翼だと分かってからは、居ても立っても居られなくなって、深夜バスで、ここへ来たの」



 俺は、口を半開きにしたまま、女性の話に耳を傾けた。


 女性は、一呼吸おいて続けた。



「あなたは、私が死んだという話を、聞かさせていたんでしょう? あれは違うの。あなたが二歳の時、経済的に苦しくて仕方なく、あなたを一時的に児童養護施設に預けたの。ちゃんとした食事も取れるからと思って。父親もいたのよ。でも離婚した後、彼は消息を絶ったわ……」



 女性は、少し言葉に詰まりながら、やや苦しそうな顔をした。


 当時の事を、思い出したのだろうか。



 やがて、真の強そうな目を俺に向けた。


「……信じて。私は必ず、あなたを迎えに行こうと思ってたのよ。でもその後、付き合った男は、本当に最低な人だったわ。何度も、犯罪に加担させられたの。結局、私は刑務所に入る事になったわ。そうこうしているうちに、あなたはもう小学校、高学年。今さら、会えるわけない……合わせる顔なんて、ない……」



 女性が、声を震わせた。


 目は赤くなっている。


 その奥に、光るものが見えた。



「……後で知ったんだけど」


 黙っていると、女性は話を続けた。



「その最低男が、私が死んだという事にしておいてくれって、児童養護施設の施設長に頼んでいたらしいの。私が、あなたを引き取りたいって話をしたから、あの男はそうしたのよ。もしかしたら、お金を渡して頼んだかもしれないわね。あの男は、平気でそういう事が出来る人だったから……」



 女性は、落胆するように俯いた。


 同時に、ポロリと涙が落ちた。



 その涙を見て、俺は逃げるように視線を外した。


 すると、相変わらず滝口社長や、スタッフ達の静観する姿が目に入った。


 遠くで、カメラを向けている人もいる。


 もしかしたら、今もこの状況を、生配信しているのかもしれない。





 俺は戸惑いの目を、女性に戻した。


 しばらく無言が続くと、とうとう俺は、沈黙に耐えられなくなり吹き出した。



「……はっ、はははっ。なんだよ、それ。次から次にベラベラと。どうせまた、これもドッキリなんだろ? あんた、役者だろ? もういいって、いい加減にしろって!」


「嘘じゃないわ、これを見て」


 女性は、素早くショルダーバッグから一枚の写真を取り出し、俺の目の前へと差し出した。



 一人の女性が、小さな子供を抱いて立っている、古い写真だった。


 この二人が、俺とこの人なのだろうか。


 しかし、まるで他人を見ている様で、ピンとこない。



 俺は視線を、親子の背後に移した。


 その時、ハッとした。



 写真の背景に、教会らしき建物が見える。


 屋根に十字架が立っているのだ。


「……十字架? ……教会?」




 女性が、目を大きくした。


「覚えてるの? 教会を! 私、毎週日曜日に、あなたを抱いて、ここへ行ってたのよ!」




 ……そうだ。


 俺は女性が出てくる夢を、子供の頃から度々見ていた。


 昨日だって、気絶した時に見た。


 夢の中では必ず、女性の後ろに、十字架が見えた。



 子供心に、覚えていたのかもしれない。


 そう言えば、十字架の事は、滝口社長に話していないはずだ。


 だとしたら、これはドッキリではない。





 ……だが、……しかし。


 俺は小刻みに、顔を左右に振った。



 そして、またもや意地っ張りな声を出してしまった。


「う、うるさい! そんな写真まで、用意して! 何だよ! 俺が、お母さ~んって、泣いて抱きつくとでも、思ったのかよ! もう、いい加減にしろよ!」



 俺は苛立ちながら、ホウキを拾い上げた。


「……たとえ、あんたが本物の母親だったとしても、もうこんな状況で、素直になれるわけないだろ! ふ、ふざけんなよ、ババア!」


 女性は、俺の剣幕に一瞬、怯えの表情を見せた。



 俺は、さらに凄んでみせた。


「俺は全員を、ぶっ飛ばさないと、気が済まないんだよ! もう、ほっといてくれよっ!」



 そう言い放つと、振り返り、滝口社長を見下ろした。


「ひぃっ!」とまた、しゃっくりのような悲鳴を上げ、恐怖する滝口社長。



 俺が再び、ホウキを振り上げた時だった。


「翼!」と叫んだ女性が、俺の背中に抱きついてきたのだ。




 ……えっ?




 ……あれ?




 ……なんだこれ?




 知ってるぞ、この感じ。


 この柔らかな香りと、包容感。



 砂時計の砂が静かに落ちるように、スーッと、力が抜けていく。


 あぁ、もう立っていられない。



 脱力した俺は、ゆっくりと、その場に膝をついた。


 母もまた、俺を後ろから抱きしめたまま、農道の上に膝をついた。



「……うっ……ううっ……」


 いつの間にか俺は、ホウキを捨てて唸っていた。



「うう……うおおぉ……が……か……」


 苦悶の表情で、空を見上げた。



 もう限界だった。


 必死に強がっていた心が、遂に崩れてしまったのだ。






「か……か……母ざぁぁぁぁん……あいだがったよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ———————」






 俺は空に向かって、声にならない声で叫んだ。


 同時に、大粒の涙が、止めどなく溢れ出した。



 背後から、母の声がする。


「翼、ごめんね……ごめんね……ごめんね……」



 背中が、生温かい。


 母が、俺の背中に顔を埋めて、泣いているのだろう。



 その温もりは、俺の身体の隅々へと、広がっていく。


 まるで枯れた大地に、恵みの雨が、降り注いでいるようだった。


 心に、鮮やかな虹が広がっていく。




 俺は鼻をすすりながら、きつく目を閉じた。


「か……母ざぁん……母ざ……あぁぁぁ……あうっ……うっ……ううううっ……」



 後ろから抱きしめてくる母の手を、俺はいつまでも離せなかった。






つづく……


(次回、最終話)

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