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ふぇんりる!  作者: 豊縁のアザラシ
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序章-3 詩音

 遠くからイノリの鳴き声がする。とは言え視界は真っ暗で何も見えはしない。感覚からして目は開いているはずなのだが。

 多分これ、事故に遭ったよな。あのトラックを避けられた訳が無いし、身体も全く動かない。不思議と痛みを感じないのは痛いという感覚が振り切っておかしくなっているからかもしれない。どちらにせよ苦しくないから良いか。

 まだ鳴き声がする。それだけ騒がしければイノリは元気なのだろう。そんなに鳴かなくても聞こえているよ。そう応えることはできそうに無いけど。

 寒い。今日は手袋もして来たのに。とは言え夕暮れの雪空の下、アスファルトに横たわっていれば当然か。

 約束したのに。夕食までには帰るって母さんと。せめて電話して謝らないと。あぁ、今はスマホ持って無いんだった。

 イノリが呼んでいる。さっきより声が小さい。鳴き過ぎて声が枯れたんだな。馬鹿なやつ。

 何だか酷く眠い。路上で寝るなんて相当不味いことなのは分かっている。でも身体が動かないんだ。他にできることも無いし、もう良いよな。

 イノリの声が聞こえる。分かっている。本当は分かっているんだ。この声が聞こえなくなったら全部終わってしまうことは。


『終わるものか。例え禁忌を犯そうとも、例え忌み嫌われることになろうとも、お主は絶対に死なせぬよ』


 あいつの声が聞こえない。

 友達の声が聞こえない。

 イノリの声がーーー


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 物心がついた頃から俺はピアノが好きだった。

 当時の勢いで母さんが購入して、父さんが言った通り三日坊主で使われなくなった電子ピアノ。ミルクを飲むか、泣くか寝る以外の大半はそれを触って遊んでいたらしい。

 音楽に触れ合う習い事を始めたのが確か三歳のとき。小学生になるときにその流れでピアノを教わることになった。

 当時は上手いか下手かなんて分からない。ただ好きに弾いていると家族が喜んでくれた。それが純粋に嬉しかった。

 そのうち知らない人も聴くようになったが、そこには必ず両親がいた。姉さんも妹も二人と同じ顔をして笑っていた。

 この頃から弾き終わると紙を貰うようになった。それが賞状だと知ったのはしばらく後で、そのうち杯も貰うようになった。海外に行ったこともある。最初に手にしたときは重いからと投げ捨てたせいで騒ぎになったことは未だに覚えている。


 小学生五年生のとき、ピアノが弾けなくなった。鍵盤に触れると腕が痛み、無理に弾くと更に痛みが激しくなるのだ。

 次第に他の楽器でも同じ症状が起こるようになり、俺は演奏することを辞めた。

 その頃からだったと思う。両親と親身にしていた大人達の目つきが変わった。俺の音を聴いて喜んでいた彼らはもう聴けないと知るや否や掌を返したように風当たりが強い態度を取り出した。

 それでも両親は気丈に振る舞っていた。俺に余計な心配をかけないため空元気を出していたのか、本当に気にしていなかったのかは分からないけど。

 それでも柔軟で自在な幼少期の俺の心は大人の二面性に当てられて大きく変質した。今もまだ形成の過程なのだろうけど、この時点で天邪鬼というか、捻くれ者というか。兎に角自他共に認める面倒な人間になったと自覚している。

 当然そんな人間に友人などできるはずもなく、あれだけ仲の良かった家族とも以前と比べて距離が空いてしまった。

 そうしてできた心の空白を埋めてくれたのがイノリという訳だ。俺にとって身体を張って助けようと思うくらいには大切な存在なんだ。


 そうだ。あいつは俺のことをずっと呼んでいた。いつまでも寝ている場合じゃない。

 早く起きて、安心させてやらないと。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


「ーーぃ、先生!」


 知らない女性の声がする。十中八九、看護師さんだろうな。何せ俺、トラックに轢かれたし。今しがた意識を取り戻した自覚あるし。

 気を失っていたにしては今は思考がはっきりしている。ベッドに寝かされているみたいだけど起き上がるのは無理そうだ。怪我で痛いというより身体が酷く怠いのだ。

 何とか指先だけでも動かせないものか。と思って力を入れると意外と簡単に動かせた。むしろ指先どころか拳を握ったり開いたりもできる。腕も持ち上げられた。

 病室の照明に苦しみながらも少しずつ目を開ける。光に慣れるのはそう時間がかからなかった。


 あれ?何か俺の腕、やたらと細くないか。肌の色は白いし、手も小さい。まるで自分の身体で無いみたいだ。

 もしかして俺が思っていた以上にずっと昏睡状態だったのか。事故に遭って精々数日過ぎたくらいと思っていたけど実は一年くらい経過していて、その間寝たきりだったせいで筋肉が落ちたとか。

 考えてみると十分ありえる話だ。こうして無事に生きていることは奇跡だと言われても納得するくらい酷い怪我だったろうし。

 

「先生、早く!」


 色々なこと漠然と考えていると病室の扉が勢い良く開け放たれて、母さんが血相を変えて入って来た。看護師さんだと思ったヒトの声は母さんだったのか。

 大きな物音に驚いたけど、それ以上に心配させただろうから何も言えない。

 ベッドの側に駆け寄る母さん。後に続く医師はとても驚いた様子で、それでも俺に近付いて来た。

 その後ろには父さんもいる。こっちは驚き過ぎて石像のように固まってしまいその場から動かない。扉の前にいると邪魔になるから早く退いてくれ。

 母さんは心配、と言うより戸惑っている様子で俺の顔を覗いている。ミイラ男になっているであろう俺の姿はそんなに痛々しいのか。

 と思ったのだけど、そう言えば大怪我をしているはずなのに包帯やギプスを着けられている感覚が無い。どうしてだろう。


「私の話す言葉が分かるかい?」


 俺の目にライトを当て、脈を測る医師。他にも軽い触診を済ませたところでそう話しかけてきた。

 話すのが億劫だから肯定の意味を込めて一回だけゆっくりと瞬きをした。たったそれだけなのに医師は俺の意思を察したようで安堵の息を吐く。このヒト凄いな。

 それでも医師は直ぐに気を引き締める。アイコンタクトで母さんに語り、母さんは不安そうながらも強い気持ちを込めて頷いている。


「君の名前を教えて欲しいんだ」


 「はい」か「いいえ」で答えられない質問がきた。ずっと寝ていたせいか、喉が萎んだような感覚がして声が出にくい。だからといってこのままだと本当に声が出なくなりそうな気がする。失声症にはなりたくない。


「シオン、です。言ノ葉(ことのは)紫音(しおん)、です」


 絞るように出した声は酷く弱々しく、それでいて耳触りの良い音だった。鈴を振るようなその声が自分の声帯から聞こえるなんて何の冗談だろう。

 少なくとも声変わりが終わった男の声では無い。事故の影響かもしれないな。

 俺の言葉を聞いた母さんが息を飲み、口元を押さえる。でもどこか変な感じだ。喜びや悲しみ、驚き、戸惑い。色々な感情がごちゃ混ぜになって気持ちの整理が間に合わない。そんな感じがする。

 俺の手を握っていた母さんはそのまま涙をポロポロと零す。やっぱり心配させ過ぎたみたい。約束、破ったことを謝らないと。

 肺の中に空気を取り込む。さっきよりはだいぶ楽だとだけど言葉を発するのはまだ少し力がいるみたいだ。

 そのとき、俺の手を握る母さんの手に一回り大きな手が重なる。


「紫音、俺達が誰だか分かるか?」


 父さん俺の目を真っ直ぐ見据えてそう問うた。思えばこうしてしっかり顔を見て話すのは何年ぶりだろう。

 あまりに視線がブレないから居た堪れなくなり視線を外す。でも今はそんなこと気にしている場合ではないか。よく分からない気恥ずかしさを抱えつつも俺は二人を見て「父さんと、母さん」と答える。


「あと、たぶん医者」

「お前、ははっ。お前なぁ」


 緊張の糸を解いた父さんに質問の続きを答えると呆れたように笑われた。俺達が何者かと聞かれたから律儀に答えたのに、何故笑われないといけない。

 まぁ、笑ってくれたのならそれで良いか。

 しっかりと言葉を発したお陰か、身体の内側に力が入ったような感覚がする。筋肉に力を込めるやり方を思い出した感じだ。

 肘をついて起きあがろうとするがやっぱり身体が重い。何度か試みていると様子を察して父さんが支えてくれた。

 どうにか上半身を起こして、違和感に気付く。視界の端で銀色が揺れ、ベッドには毛先にかけて瑠璃色に変化していく長い糸が散乱している。綺麗なグラデーションのそれは触れば自分の髪であると直ぐに分かった。

 ちょっと待て。俺の髪は一般的な男子学生に多い黒の短髪のはず。染めた経験なんて無いし、どのくらい気を失っていたか分からないけど髪がここまで伸びるなんて考えられない。


「母さん、父さん」


 髪だけでは無い。声色も体つきもやっぱりおかしい。俺の身に何が起きているのか。縋るように二人に聞いた。

 答えに困る父さんに対して、母さんはハンドバッグから化粧ポーチを探り、中からコンパクトミラーを手に取り出した。俺はそれを受け取って恐る恐る覗き込む。

 手の平に収まる小さな平面世界。現れたのは見慣れた一人の男では無かった。

 長い銀髪に陶磁器のように白い肌。翡翠の瞳を潤ませた少女が俺を見つめている。


「な、にこれ」


 何より目を引くのは銀髪で覆われた頭の上で動く二つの突起。

 明らかにヒトのものとは違う動物の耳がそこにあった。

これが世に聞く異世界転生ってやつか?

父母同伴とか聞いたことないんだが

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