序章-2 シオン
近くのコンビニで肉まんを買い、温かいコーヒーを買う。それ以外はやることも無いからイノリを待っていたが、結局あいつは社に来ることは無かった。
別に約束をしてしないのだからおかしなことは無い。でもこんなことはこれまで一度も無かった。
いや、前に缶詰を忘れて来た次のときは来なかったな。最初は警戒されていたが徐々に餌付けの効果が出てきた頃だった。
缶詰が無いと知るや否や、野良犬の癖にそれはそれは恨みがましい顔をしていたのを覚えている。
そして翌日、詫びの気持ちも込めて二つ持って行ったのだが出て来てくれなかったのだ。
ちなみにその二つの缶詰の中身は次の日に見に来たときには綺麗さっぱり無くなっていた。不貞腐れていても腹は減るんだな。
「帰るか」
適当な場所に中身をひっくり返して空缶だけを回収する。今の正確な時間は分からないが、母さんと約束して出かけた以上それを破る訳にはいかない。
ゴミをコンビニのゴミ箱に捨てようとしたが、ものの見事に一杯になっている。丸めたティッシュ一つ入れる隙間も無い。
なんだ、今日は厄日なのか。スマホは充電できていないし、イノリには会えないし、ゴミ箱は満杯だし。
でも肉まんを買うとき釣銭がちょうどあって、お釣り無くぴったり払えたな。考え過ぎか。
朝はまだ誰も踏み入っていない新雪で覆われていた場所が所々あった道も、さすがにほとんど踏み尽くされている。
街路樹と交互に並ぶ街灯が付いた。つまり冬の今なら時刻は十七時丁度。夕食には間に合いそうだ。
異様な早さで過ぎ去る夕暮れに急かされて家路を歩く。そこでふと俺は足を止めた。
「イノリ?」
何となくあいつが居るような気がした。しかしあいつに似た雪の塊なんてそこら中に転がっている。恋しさの余りに幻覚が見えたなんて最早気持ち悪い領域だぞ。
何度か眼を固く閉じては力を緩めて疲労が取れないか試みる。気持ちマシになったところで再び歩く。
俺はまた足を止めた。今度は確かに感じた。あいつが時々みせる神秘的な気配を。
街灯だけでは足りない日暮れの道に目を凝らす。そして見つけた。車道を挟んで反対の歩道にあるガードレールに積もる雪。その一部に一際大きな雪の塊が乗っている。
何よりその雪玉には尻尾が揺れていて、先に向かうほど鮮やかな瑠璃色が濃くなっている。
まるで天の川のような美しい色。暗がりでも分かるそれは紛れもなくあいつのものだ。
「イノリ!」
大きな声を出したつもりだが、普段そんなことをしないせいが全然声が出ない。むしろ掠れたせいで少し喉が痛い。
それでもイノリは気付いたのか、尻尾を真っ直ぐ上に伸ばすと首を動かし、翡翠によく似た瞳を俺に向けた。
その視線を外さないまま、近くの横断歩道へ走る。イノリもガードレールを降りて同じように駆け出す。信号を理解しているのか。野生動物なのに頭の良い奴だ。
信号が切り替わるや否や、イノリは一目散に俺へ向かって駆け寄って来た。他のものには目もくれないと言うほど一心不乱に真っ直ぐと。
直ぐ近くまでトラックが迫っているにも関わらず。
気付いたときには俺も横断歩道に飛び出してイノリに手を伸ばしていた。一方トラックには減速する様子が見られない。
我ながらこの状況でよくそんなことまで分かるものだ。これがタキサイキア現象というやつか。
妙に俯瞰したような思考の最中、柔らかくて温かいその身体を抱きとめる。
その直後、トラックのライトが俺達の視界を真っ白に染め上げた。
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ーーー本日午後五時頃、○○市の横断歩道にて大型トラックによる人身事故がありました。
運転手は病院に運ばれましたが、搬送後に死亡が確認されました。
警察の調べによりますと、事故があった現場にはブレーキ跡が無く、運転手は心臓に持病を抱えていたとのことで、死因は急性心不全による病死の可能性が高いと見ています。
また、被害者は中学生くらいの少年で病院に運ばれましたが重傷であり、予断を許さない状況です。
警察は所持品から身元の確認を急いでいます。
では次のニュースですーーー