EP-184 それぞれの職場体験 狐・鳥
狐鳴稲穂は灰になっていた。もうどう足掻いても火が着くことはない。誰もがそう思うほど完全に燃え尽きていた。
「嫌われた。しーちゃんに嫌われた。私の人生終わった」
「ほら元気出して。また仲直りしたらええわぁ」
「あー、ァー」
「こらあかんわ。魂抜け出てもうているわ」
風が吹けば消えてなくなりそうな狐鳴。彼女に労わる言葉をかけつつ、実は大して気にしていない様子で着物を着付けするのは飛鳥雲雀の母親、飛鳥秧鶏である。
飛鳥の幼馴染である稲穂は昔こそ頻繁に遊びに来ていたが、中学生になった頃くらいからは会う機会も少なくなっていた。せいぜい夏祭りに浴衣を着せるくらいで、寂しい思いを募らせていたのだ。
「しかし稲穂ちゃんが職場体験でウチに来てくれるなんて。こんなに嬉しいことはないな」
「そやな。土地神様にお会いできるなんて、こないに光栄なことはあらへんわ」
仕事に一区切りをつけて様子を見に来た夜鷹の言葉に秧鶏も賛意を示す。
狐鳴はどこにでもいるごく普通の女子高校生である。しかしそう思っているのは何も知らない本人だけであり、雲雀はその正体を知っている。それは当然、両親である2人も同じだ。
彼女の内には稲荷神の魂と非常に強力な神通力を宿している。それが原因で昔は体調を崩すことも多かったが、成長するにつれて随分と落ち着いてきている。
中学生の後半には時折神降ろしをするようになり、雲雀が言うには最近はその時間と頻度も増えているのだとか。この調子なら二十歳になる頃には立派な神様となる。2人にとってこれほど喜ばしいことはない。
「ハッ!ここはどこ。私は狐鳴」
「おはよう稲穂ちゃん」
「ふおぁ!雲雀のお父さんにお母さん。そうだ私、職場体験に来ていて。って何この格好!?」
「ほら、じっとしとって」
「ぐえぇ」
慌てて状況を確認しようとする狐鳴。しかし秧鶏が着物の帯を締めたことで、肺の中の空気が押し出されて強制的に大人しくされた。
「大丈夫かい?稲穂ちゃん。本当に体調が優れないなら休んで良いんだよ」
「い、いいえ!大丈夫です。自分やれます!」
「分かった。でも無理はしないようにね」
「とは言うてもここに来るのは予約したお客様だけやさかい。それまでは特にやることがあらへんねん」
「稲穂ちゃんも昔はよく来ていたから、採寸とか着付けとかはそれなりにできるし。接客も十分こなせるだろうしね」
「せやったら新作を見てもらうのはどうかしら。若い子の意見も聞きたいさかい」
「いやあれは新作というより悪ふざけだと思うんだけど」
「へー、どんなやつなんですか?」
「詩音ちゃん専用の着物なんやけど」
「詳しく伺いましょう」
秧鶏が新商品と言い張り新しく拵えたのは詩音が着られるように尻尾を出せるように工夫した着物や、獣の耳の邪魔にならない簪といったものだ。
夏祭りと初詣を経て和服の可能性を知った詩音の母親が秧鶏に話しを持ちかけたのが事の発端である。
王道の着物や浴衣は勿論。「Lesezeichen」の制服を作るときに協力してくれたデザイナーの卵を紹介してもらい、様々なアレンジを加えたものも揃っている。
「凄い。現代風とかアニメ風とか、これは異世界風かな?色んなデザインの和服がたくさんある!」
「巫女装束もあんで。稲穂ちゃんとお揃いやな」
「確かに良いとは思うんだけど。こんなに数があっても困るでしょ」
「そんなことありません。しーちゃんの可能性は無限大です」
「うん、何を言っているのかな?」
「稲穂ちゃんの言う通りや。少なくとも数年後にはお客さんが1人増えることは確定してるしな」
そう言って秧鶏は狐鳴に視線を向けるが、彼女がそれに気付くことはない。その程度のことは飛鳥の一族ならできて当然なのだから。
「ちなみにこれから来るお客さんもこんなんが目当てみたいや。何でも女優?モデル?そんなんになりたいみたいやわ」
「ほぇー、有名人なんですか?」
「いいや。普段はアルバイトをしているらしいよ。オーディションには応募しているけどなしのつぶてだって嘆いていたよ」
夜鷹曰く、予約の連絡をされたときに色々と切実な事情を聞いたのだそうだ。
モデルの稼ぎといえばコスプレ衣装を着させられてちょっとしたショーや撮影会の被写体にされるくらい。それはそれで面白いし、何も無いよりはマシだけど複雑だって言っていたな」
ちなみに今回予約を入れたのもそうした仕事の案件らしい。ホームページの詩音の写真に食い付いたその依頼主の要望と秧鶏が生み出した業が奇跡的に組み合わさった結果である。
「うちらはそないな文化に疎いさかい、稲穂ちゃんに色々教えて欲しいねん。お客さんとも話しが合いそうやし、結構期待しているで」
「おっふ。責任重大ですね」
「上手ういったら、そうやな。お金は流石に渡せへんけど、詩音ちゃんとお揃いの服を作ったるで」
「必ずやご期待に応えてみせましょう!うおぉー!」
「元気が出たみたいで何よりだよ」
呉服屋として何代にも渡り桜里浜の地に在り続けていた飛鳥家。それがまさか自分の代でコスプレ衣装の製作を手がけることになろうとは。時代は変わるとしみじみ思う夜鷹であった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「いらっしゃいませー!Lesezeichenへようこそー!」
来店のドアベルが鳴ると共に気持ちの良い挨拶をするのは飛鳥雲雀。
「Lesezeichen」を職場体験先に選んだ彼女は初日にして基本的な接客とメニューの種類と金額を全て覚え、その日の午後にはウェイトレスとして十分な仕事をこなしていた。
料理を運び、空いたテーブルを手際良く拭いていく飛鳥。洗い物を一度に下げてくるときは女子高生の限界を超えた量を運んでいるが、生憎とその点を疑問に思う者はこの場にはいなかった。
「ここがいつも言ノ葉さんが料理を作っているキッチン。新たな創作のネタに溢れているわ」
「瓜南ちゃんが喜んでくれて嬉しいわ。折角だから何か作ってみる?」
「えっ、いや私は料理とかやったことなくて」
「教えてあげるから安心して。職場体験が終わるまでにはいくつか簡単なものがマスターできるように頑張りましょう」
「分かりました」
いつも詩音がいる場所に自分もいるということに満喫しつつ、あわよくば琴音とも更にお近づきになりたいと暗躍するのは瓜南霊子だ。
学校の行事を私利私欲を満たすために使っているが、仕事自体は真面目にこなしているため文句を言われることはない。むしろ詩音の母親と仲良くなり、彼女が知る情報を深く聞き出そうと胸の内で不敵に笑う。
「それにしても2人が来てくれるって聞いたときは嬉しかったわ。詩音とお揃いの制服も頑張って用意した甲斐があるってものよ」
「でもこれ、見ているぶんには良いですが自分で着るとなるとちょっと。いやかなり恥ずかしいかも」
「そう?私は詩音ちゃんとお揃いで嬉しいけどなー」
飛鳥は嬉しい気持ちをその身で表現するように、その場でくるくると何度も回る。まるでバレエを思わせる動きだが、手にしたトレイとそこに置かれたパフェの空きグラスの危なげなく安定していた。
海月乃亜が居ないときなどは基本的に大人しい詩音とは異なり、ノリが良い飛鳥はお客様の無茶振りにもかなり寛容に応えてみせた。
詩音が居れば「そういうお店じゃない!」と怒りそうだが生憎と今は不在。お店の主人である彼女の母も超えてはいけない一線を守っていれば文句は言わない。むしろ利益に繋がるならボーナスでも出そうかと思案しているくらいである。
そのとき、再びドアのベルが新たな来店客の訪問を告げる。気付いた飛鳥はこれまで同様に接客に向かう。が、直後にその表情から笑顔が消える。
「お前ら、全員動くな!」
現れたのは拳銃を手にした複数人の客。否、強盗であった。マスクや帽子で顔を隠していて、ただならぬ気迫が冗談ではないと直感する。
次の瞬間、強盗の1人が発砲した一発が照明を破損させ、居合わせた全員が静まる。その後すぐに状況を察すると一様に青ざめて恐怖に震える。
その最中、詩音の母は瓜南を庇うように咄嗟にキッチンに身を屈める。直後に2回目の銃声が鳴り、居合わせた客達は完全に沈黙させられる。
「おい、例の女はどこだ!」
「居ないみたいですね」
「奥にいるのかも。探します」
他ではなく、「Lesezeichen」を標的とした時点で狙いは詩音で間違いない。強盗はついでで本命は彼女の誘拐だろう。
しかし他の客もいる昼間に決行している時点でその計画は浅はかと言わざるを得ない。とはいえ普段、彼女の周辺は過保護過ぎる厳戒態勢が人知れず敷かれているため、実行する前に制圧されているため仕方ないのだろう。
そして偶然にも詩音は今日、「Lesezeichen」にはいない。故に彼らもこの場には居ないため、目の前の誘拐犯は偶然にも計画を実行できたのだろう。
もっともそれは幸運ではなく、彼らの人生最大の不運であった。何せ目の前にいるのはただの女子高生ではないのだから。
「あー、そうか。詩音ちゃんが居ないからあのヒト達も。成程ねぇ」
「お前は人質だ。大人しくしていれば命だけは」
状況から諸々の事情を把握した飛鳥は向けられた銃口に臆するどころか再び笑顔を振り撒いた。もっともそれは来店を歓迎するウェイトレスの笑みではなく、冷徹な忍のそれである。
場違いの反応をする少女に強盗の言葉が僅かに詰まらせる。その瞬間、飛鳥の手刀が彼の腕をあらぬ方向に曲げた。負傷ではなく骨折すら厭わないあたりが飛鳥の怒りの度合を表している。
「っ!ぐあぁ!」
「うるさい」
続けざまに鳩尾にめり込む拳が痛みで叫ぼうとする強盗を物理的に黙らせる。そのあり得ない光景に思考停止に陥った仲間達。慌てて拳銃を構えたが、その一瞬の隙が命取りとなった。
愛用しているクナイの代わりに飛鳥が投擲したのはナイフとフォーク。銃口の半ばまで突き刺さる威力に今度は強盗達が青ざめ、瞬時に近付いた飛鳥によって無力化された。
店内の異変を察したのか、外にいた強盗の仲間が飛鳥に向いて発砲した。しかし飛鳥は手にしていたトレイを構えて弾丸を防ぎ、更にはトレイで弾を打ち返して相手の肩を貫いた。
銃弾を防ぐトレイとは一体何でできているのか。そして銃撃以上の威力で打ち返すなんて芸当がどうしてできるのか。それを追求することに意味はない。何故なら彼女は飛鳥だから。
「くそっ!」
「Lesezeichen」の外にある車道。計画の失敗を理解した強盗団の運転手は、自分だけでも逃げようと仲間を見捨てて車を走らせた。
店内からその様子を見ていた飛鳥はあえてそれを見逃した。別に追いかけられないことは無いが、この場で倒れる連中を放置するわけにもいかない。
何より、逃走する強盗の1人くらいなら彼女が手を下す必要もない。
「にゃーん」
逃走する自動車のボンネットに舞い降りたのは一匹の黒猫、詩音を主と慕うあんこだった。
唐草模様の風呂敷を首に巻いているあんこに運転手が気を取られたそのとき、突然自動車が激しく揺れて制御不能に陥った。
原因は逃走経路にばら撒かれていた撒菱だ。日向ぼっこをしながらお店の屋根上で控えていたあんこが店内で騒ぎが起きている間に仕掛けていたのである。まさに阿吽の呼吸というべき連携だ。
タイヤがパンクした自動車は幸い事故にはならなかったが走行は不可。諦めて自動車を降りて走り出す運転手だが、突然現れた柴犬が腕に噛みついた。飛鳥家のペットにしてあんこの先輩、きなこだ。
警察犬にも劣らない活躍をするきなこ。歯に仕込んだ麻酔毒を打ち込めば制圧完了。暴れていた運転手は次第に体が痺れて動けなくなった。とどめにあんこが顔に猫パンチを食らわされば任務完了である。
「あ、飛鳥ちゃんって強いのねー。私びっくりしちゃったわ」
「いや、その、昔ちょっとだけ護身術的なアレを習っていたというか。習っているというか」
「そうだったの。今度詩音にも習わせてみようかしら。兎に角ありがとうね」
「なんか、なんか凄いものを見てしまった」
視線を泳がせて歯切れの悪い答え方をする飛鳥の言葉を素直に信じる詩音の母。やはり親子である。
また、一部始終を間近で見ていた瓜南の創作意欲が刺激されて業の深い作品を次々と生み出していくのだが。それはまた別の話しである。
詩「この保育園さ、読み聞かせ用の絵本が沢山あるんだけどさ、どれも微妙に私が知っている話しと内容が違うんだよね」
馬「そうだな。何かどれも狼少女が主役になっているオリジナルストーリーになっているな」
人「まさか既にここまで魔の手を伸ばしていたとは」
馬「そういうお前はどんだけ大量のぬいぐるみを持って来たんだよ」
人「子ども達が皆んな欲しがるので仕方ないじゃないですか」
詩「あっ、ふぇるりるちゃんだ。可愛いー」
馬「それ名前あったのか」
人「いいえ、特に決めていませんが」
詩「前に人形さんに貰ったぬいぐるみに勝手に名前を付けたんだぁ。えへへ」
人「この子の名前はふぇんりるです」
馬「何か正式に決まった」
人「絵本に出てくる狼少女もふぇんりるちゃんです」
馬「世界線繋がってた」




