精霊の作戦
いりすが目を覚ましてから僕たちは街へと戻った。引き継ぎ設定があっても当時の僕は脱出呪文も帰還呪文も使えなかったし、その呪文は開発していないので徒歩で帰るしか無い。るりあはいつでも魔王と連絡が取れる様にずっとここに残っているそうで、それだけは少し残念だったけど仕方がない。
街に戻ってからは、神官様の所に行く前に1度教会へ向かった。時間的に扉を開いておく魔力がそろそろ切れるという事なので、一旦元の世界に戻って色々と済ませておくべき事を片付ける為だ。と言っても大した用事がある訳では無く、何日間留守にするか分からないのでその為の準備をするだけだ。
「シイナ、うちの鍵を預かっといてもらえる?」
「どういうつもりだ?万が一を考えての事だったら受け取れないが」
「違うって。冷蔵庫の中身とかガス栓とかそういうのを確認しておいて欲しいだけ」
作り置きしていた料理や食べかけのスイーツなんかが残っているし、たしかお風呂のお湯も張ったままだった気がする。長い間放って置いたら家の中がとんでもない臭いになってしまいかねないので、申し訳ないけどシイナに頼んで片付けて貰うしかない。女の子の部屋にアラタを入れる訳にはいかないのだ。
他にも職場にしばらく顔を出せないかもしれない事を説明しておく必要があるけど、ある程度の事は所長であるアラタが色々とやっておいてくれる。書類の不備だの社内規定がどうのといったものも、2人の立場なら黙認する事が出来る。2人が残っていてくれるおかげで、僕たちは気兼ねなくアースガイアに注力出来た。
「俺達の故郷を頼んだぞ」
「何かあればすぐに扉を開け。私達もいつでも向かえるように準備しておく」
「ありがとう。でもそんな事になる前に、さくっと倒してくるよ」
自信満々に言う僕を見て、僕以外の全員が笑いだした。何だろう、そんなに変な事を言っただろうか。勿論安心させるためというのもあるけど、引き継ぎ設定をオンにした僕の力は、アースガイアや僕の世界の常識から軽く逸脱するぐらいには強い。ぶっちゃけ冗談抜きで負ける気がしないのだ。
「ユウリ、本当にさくっと倒したらあたしの見せ場が無くなっちゃうから辞めてね」
「そうよ。私達が苦労した意味が無くなっちゃうじゃない」
「2人とも不謹慎だな。私は迅速果断を好む、さっさと帰ってきて溜まった仕事を終わらせてくれ」
「俺からも頼むぞ。職場の連中に言い訳し続けるのも大変なんだからな」
これまでも何度か言われたことがあるけど、ユウリが言うと冗談に聞こえないっていうやつだったみたいだ。気を抜いている訳では無いけど緊張感はほどほどに、期待通りアースガイアを救ってくるとしよう。
準備を終えて、再びアースガイアに戻ってきた後はすぐに扉を閉じておいた。定期的に向こう側からアラタが扉を開けてくれる事になってるけど、常時開きっぱなしというのは流石に無理がある。
引き続き通信機は持ってきているので、扉を開けたタイミングで僕たちがどこに居ても定期連絡は出来る様にしてある。もし連絡が取れなくなっていた場合、シイナ達がこちらに来て状況を確認する事になる。その時には万が一を想定する事になるけど、そういった取り決めをしないでこっちに来ることは出来ない。
「お待たせしました。神官様の所に行きましょう」
「……あ、はい。すみません、気を抜いていました」
「大丈夫ですか?もしかしてまだ体調が?」
「それは平気です。なんでもありませんので、行きましょう」
少しだけいりすの様子がおかしかったけど、本人が平気だと言うのであまり強くは突っ込めない。体調不良じゃないとすれば、やっぱりあの扉が気になるのか。それとも魔王と会った時の事を思い出していたのだろうか。その両方という事も有りそうだし、何より年頃の女の子だし色々と思う所も多いだろう。
そういえば図らずも、僕の周りは女の子ばかりだったな。魔王の性別は分からない、というか性別というものが有るのかも分からないけどるりあも女の子だった。でもそういうものなのかなと、勝手に納得している部分もある。
これは僕の勝手な憶測になるんだけど、勇者の血筋は女の子が多くなる傾向にあると考えている。あまりこういう種馬的な考えは良くないかもしれないけど、必要でも無い時に男が多く生まれていると、勇者の血筋が爆発的に増えてしまう恐れがあるからだ。
勇者の血筋は特別なもので無くては物語が成立しない。でも勇者の血筋なんて権力争いにも簡単に利用できるし、ちょっと悪いことを考えるような奴らなら喉から手が出るほど欲しがるだろう。男と女のどちらが多くの子孫を残せるかと言ったら、そんなのは考える必要も無い。
だから世界の危機とか、具体的に言えば魔王が現れるまでは、男の子が生まれる事はほとんど無いと考えている。勿論女の子が勇者になったって構わないけど、この理論でいけば僕の子供達が女の子であるというのはむしろ必然なのだ。これで次にいきなり男の子が生まれたりしたら恥ずかしいんだけど、あくまで個人的な見解なので許して欲しい。
そんな事を考えながら歩いていたら、いつの間にか神官様の家に着いていた。いりすが神官様を呼ぶとすぐに出てきてくれたけど、この時点で色々と見抜いているみたいだ。一瞬驚いていたものの、すぐに何事も無かったかの様に中に招き入れて早速とばかりに口を開いていた。
「どうやら無事にお力を手にした様ですね。それにそちらのお2人も……流石は勇者様のお仲間です」
アカリさんとアイの顔を一瞬言葉に詰まったのも、その力の源が魔王のものだと見抜いたからだろう。本来なら邪悪な力と言って差し支えない様なものだけど、今は仲間である以上そんな言い方をする訳にはいかない。神官様は実に冷静で大人だった。
「神官様から、精霊様にお言葉を伝えることは可能ですか?」
「精霊様にお言葉を掛けて頂いたタイミングでならば、多少の事はお伝えすることが出来ます。どの様なご要件でしょうか?」
魔王と話していた時に考えていた、決戦の時には精霊様の力を使わないで欲しいという事を伝えてもらうようにお願いする。どうしてもそれが無理という事であれば別の方法を考えなければいけないけど、現状で最も僕たちが力を出せる条件がこれなのだ。
「分かりました。では後ほど……少々お待ち下さい」
どうやら丁度よい事に、精霊様とコンタクトが取れたみたいだ。このタイミングの良さは正しく精霊様、というかRPGのイベント進行だよなと思いながら返答を待つ。いつもよりも更に時間が掛かっているように思うのは決して勘違いでは無く、それだけ多くのやり取りを行っているという事の証だ。
「勇者様、精霊様より新たな方針を頂きました。お時間を頂いてもよろしいですか?」
「勿論です。精霊様の考えをお聞かせ下さい」
「この世界から精霊様の力を完全に取り除くことは不可能との事です。ですので精霊様は皆様を、神族がいる別の世界に送り込みたいと仰ってました」
それが出来るというのなら僕たちに異論は無い。その方がアースガイアへの被害も少なく済むだろうし、僕たちの戦闘に人々が巻き込まれる心配も無い。
「それで問題ありません。精霊様の力はいつ頃まで保ちそうですか?」
「皆様を敵地へ送り込むためにもお力を使うそうですので、それほど時間は無いという事です。それまでは、魔王様と共にお待ち頂ければと思います」
ということは、僕たちは再び魔王城跡に行ってるりあと一緒に居た方が良いという事だ。そうなると向こうで過ごす時間がどれほどになるか分からないので、街で準備をしてから向かった方が良さそうだ。
るりあはずっとあの場所に居るという事なので、どうやって暮らしているのかをいりすに確認した。どうやら食事等は魔王の部下が色々と世話をしてくれているみたいなので、僕たちも最低限の準備だけで良いらしい。
「手伝ってくれてありがとう。ここまでで良いよ」
「私に出来るのはこの程度ですので。ユウリさん達のご武運を祈ってます」
当然いりすが僕たちと一緒に戦いの場に赴くことは無い。街を守らないといけないというのもあるけど、もし一緒に来たとしても何も出来ないというのが1番の理由だ。本人もその事は自覚している様子で、それがどことなく寂しそうだった。
教会で元気がないように見えたのも、やっぱりその事が原因だったんだと思う。アカリさんとアイは魔王の魔力を制御してみせたけど、いりすは真っ先に気を失ってしまっていた。しかも妹のるりあも制御に成功していて、魔王にもその力を認められている。これ以上無いほどに力の差を見せつけられた形だったのだ。
兵士たちを束ねて街を守ってきたのは立派だけど、真面目な性格だけに最後の最後で役に立てない事が悔しいのかもしれない。そういう風には接しないと決めていたけど、ここは親として娘を励ましてやるべきだろう。
「いりす、自分の力不足を嘆いてる?」
「……勇者の力には人の心を読む能力も有るんですか?」
「そんな訳無いでしょ。ずるい言い方になるけど、僕の娘だから分かるんだよ。だから悩める娘に父からプレゼントだ」
僕は娘の前で仰々しく両手を広げると、生成魔法を発現させる。そうして作り出したのはこの世界における伝説の剣と伝説の鎧だった。魔法で作り出した剣と鎧は見た目よりもずっと軽く、いりすでも簡単に装備する事が出来る筈だ。
「この装備は……?」
「これは勇者あが、魔王を倒す時に使っていた剣と鎧だよ。と言っても魔法で再現したものだから本物じゃないし、この戦いが終わる頃には魔力が尽きて消えてしまうけどね」
この戦いで僕たちは敵地に乗り込むけど、その間に敵がこちらに攻めてこないとは限らない。そうなった時に街を守るのはいりすの役目なのだから、いつまでもしょぼくれていてもらっては困るのだ。
実は街の倉庫には同じく生成魔法で作った剣と鎧を大量に寄贈していて、そちらは全てああああが最後に使っていた物を再現していた。ああああは戦いの後は守護神として崇められていたので、そのネームバリューを利用させて貰った形だ。
こうする事でいりすは勇者の装備に、兵士たちは守護神の装備に身を包んで戦う事が出来る。装備の性能だけでなく、士気高揚の面でも充分に役立つ筈だ。
「勇者に必要なのは力じゃない。大切なものを守ろうとする心こそが最も必要なんだよ。いりすにこの勇者の装備を渡す理由、分かるよね?」
「……はい!勇者の娘である私が、必ずこの街を守ってみせます!」
いりすは涙目になりながらも、その目から雫を零すこと無く答えてくれた。これで本当に街の守りも万全で、心置きなく敵地に向かうことが出来る。
「無事を祈ってます!行ってらっしゃい、お父さん!」
「姉さん、いい加減泣き止んで下さい。そろそろ鬱陶しいですよ」
「だってぇ……2人のやり取りが本当に尊くて……」
折角格好つけて街を出てきたのに、いりすの姿が見えなくなった途端アカリさんが号泣し始めた。実際僕とアイの目も潤んでいたんだけど、あまりにアカリさんが咽び泣くので僕たちの涙はすっかり乾いてしまっていた。
とは言えしんみりした雰囲気は僕たちには似合わない。アカリさんはある意味いつも通り、湿った雰囲気を吹き飛ばしてくれたという事だ。ここからはいつも通りの僕たちで魔王の城跡に向かおう。
2度目の訪問となる魔王の城跡だけど、今回はいりすがいなくとも最初から魔物が現れる事は無かった。もし襲われでもしたら魔王に文句を言っていた所だけどその必要は無さそうだ。さっさとこんな暑苦しい所を抜けて、最奥まで向かってしまおう。
「るりあ、居る?入るよ?」
「父上か。構わんぞ、入ってくれ」
扉を開けると丁度食事中のるりあが目に入った。何もなかった空間には結構高そうな椅子とテーブルが用意されていて、その食事の内容もかなり豪華なものだ。
ただどうしてもその横にいる巨人の魔物が気になってしまう。もしかしてあの魔物がるりあの世話役なのだろうかと思っていると、その魔物は僕を見るなり叫びだした。
「勇者!?あの時はよくも!」
「何をしておるのだ!さっさと客人を持て成せい!」
「は、申し訳ありません、るりあ様!」
僕もあの魔物に何となく見覚えはあったけど、今のやりとりで確信した。あいつは2つの国を乗っ取ろうとしていた魔物の片割れだ。確かにこの世界で言葉が通じた魔物はあの2体以外に見たことが無かったけど、まさかこんな所で出会うとは思ってもいなかった。




