異世界の現状
僕が元勇者で、いりすが勇者だった時の僕の娘であるという事実が発覚し、その場はしばし静寂に包まれていた。神官様は僕たちの様子なんてまるで気にするでも無く祈り続けているし、どうやって話しを進めれば良いのか分からない。
「……多分神官様は今、精霊様の声を聞いている。どれぐらい時間が掛るか分からないから、別の部屋で話しましょう」
困惑していた僕たちを見かねたのか、いりすがそう提案してきた。その言葉がシイナでは無く僕に向いているのは、父親の魂を持っているからだろうか、それとも勇者がリーダーであるはずという考えからなのだろうか。
どちらにしてもまだいりすの心情を計ることが出来ていない今、不用意にこちらから発言することは避けよう。想像していた、或いは聞いていた印象と全然違うというような些細な事で傷付けたくはない。
「先に言っておきます。神官様が言う以上、ユウリさんが勇者だという事は認めます。ですがいくら過去の記憶を持っているとは言え、ユウリさんは私の父親ではありません」
「……分かった。いりすさんがそうしたいなら、僕の事は父親では無く、異世界からやってきた勇者として接してくれて構わないよ」
いりすの考えも当然だと思う。幼い頃に死に別れた父親の顔なんて覚えてもいないだろうし、その父親の魂が、今はこんな小娘の身体に宿っているなんて言われても困惑するだけだ。
僕にしたって、結局娘の顔は1度も見たことが無い。子供にはなにかしてあげたいという気持ちは多少あるけど、肉体的な血の繋がりも無い年上の女性を、娘と思って接するというのはやっぱり難しい。こうすることが互いにとって最良の選択だと思う。
ただ僕のことはそれでいいとしても、シイナとアイはどうだろうか。シイナは僕と似たような立場だけど、アイは命をかけていりすを守り、シイナよりも長い期間育てていたとう事実がある。
でも2人は、自分たちの正体をいりすに明かそうとはしなかった。それがいりすにとって、負担になるかもしれないと考えての事なんだろう。少し寂しい事のような気がするけど、僕に口出しする権利は無い。
「いりすさん、現在のこの世界の状況を教えてくれないだろうか?どういう経緯でこの街に人々が集まり、魔物たちと共存しているのかを」
シイナはアースガイアの人々と交渉をするという役目が有るけど、今はそんな事をしている場合では無いというのは言うまでも無い。現状が危機的状況であろう事は、魔王の言葉やここ以外の街の様子から想像が付く。
本来そんな状況にあるというなら、僕たちの世界としてもこちらに関わろうとはしない筈だ。そしてシイナは、その事を判断しなければならない立場にある。いりすから現状を聞いた上で手に負えないと判断したならば、アースガイアとの関わりは断ち切るという選択を取らざるを得ないだろう。
「その前に、この世界についてどこまでの事を知っているのか教えて。少なくとも勇者が魔王を倒したところまでは、皆も知ってるのよね?」
「勿論だ。その後わた……勇者達が正体不明の何者かに襲われ、命を落としたという所までは知っている」
「その正体不明の奴らを知っているのなら話しは簡単よ。そいつらは自ら神族と名乗り、この世界を侵略しようとしている」
どうやら本当に神族がやってきているらしい。4作目に現れる筈の存在が、1作目と2作目の間の歴史に侵略してくるというのは一体どういう状況なのか。それに僕は直接姿を見ていないので、その神族を名乗る者たちが、本当に4作目に出てくる神族と同じ存在なのかも怪しい。
「神族に関して分かっている事は殆ど無い。精霊様もかつての魔王も、その存在は知らなかったそうだ」
「魔王にはどうやって協力を取り付けたんだ?間違いなく勇者達が倒した筈だが」
「詳しい事は分からないけど、精霊様はこの世界の魂を管理しているという話しだ。魔王が倒された後の魂を回収して、どうにかしたんじゃないかな」
何だかとんでもない事を言っているけど、精霊様にはそこまでの力があるんだろうか。というかこの世界の魂を管理しているなんて設定、公式には語られていない筈だ。
もしかすると、僕が知っているゲームの決まり事や常識というのは、既に通用しなくなっているのかもしれない。そもそも今のアースガイアからして本来なら描かれることのない世界の筈なので、この後どうなるかなんて予測も付かない。
言うなればここは、名作ゲームの2次創作の世界の様なものだ。勇者の帰還、かつて倒した敵との共闘、主人公から子へ受け継がれる血脈、どれも王道の展開をなぞっている。
ただ神族の介入と精霊様の力は明らかに設定崩壊であり、原作へのリスペクトを感じられない内容ではある。もしこの展開を考えた人がいるなら、厳しいことを言うようだけどセンスが良いとは言えない。
「いりすさんが知っているかは分からないが、神族が現れる前に勇者たちが迫害されていたのは何故だ?」
「各国に神族から、お告げと言う名の脅迫のようなものがあったそうだ。詳しい内容は分からないけど……」
「こちらにいましたか。お話の途中で失礼しました。精霊様からお言葉を頂戴してましたので、何卒ご容赦願います」
まだいりすに聞きたいこともあったけど、一先ず神官様の話しを聞くことが先決だった。精霊様の言葉とあれば、今後を左右する重大な内容に違いない。昔の事も知りたいけど、それよりも現状把握が何より優先される。
「お気になさらず。それで、精霊様は何と?」
「現在私が神族を抑えていますが、長くは保ちそうにありません。しかし今の勇者では、神族に勝てる見込みは無いでしょう。一刻も早く力を取り戻し、魔王と共にこの世界を救って下さい」
神官様は恐らく精霊様の言葉をそのまま代弁してくれているんだろうけど、その言葉にいりすは目を見開いて驚いていた。そこまで切羽詰まっているという事は知らされていなかったんだろう。
それに僕も魔王と戦った時よりも強いはずだけど、それでも足りない程神族という存在は強大らしい。ただ力を取り戻せと言われても、これ以上どうすれば良いというのだろう。魔法は可能な限り開発しているし、魔力も今以上に増えるという事は見込めない。
「今日はもう遅いでしょう。宜しければこちらの部屋をお使い下さい。食事も教会の者に運ばせましょう」
「それは有り難いんですが……」
途端にシイナの返事が歯切れの悪いものになる。それもその筈で、ここに長居する訳にはいかない事情があるのだ。
確かに僕たちは勇者とその仲間達ではある。ただそれ以前にユウリであり、シイナであり、アカリという存在でもあった。僕たちはアースガイアの住人では無いし、元の世界の生活がある。出来ることなら力を貸したいけれど、僕達が神族を倒せるだけの力を付けるまで、ずっとこちらに居るという訳にもいかない。
「神官様、この人達は勇者様一行とは言え異世界から来た人達です。帰るべき場所があるのでは無いでしょうか?」
いりすはすぐにこちらの事情を察してくれていた。流石僕の子供と言いたい所だけど、そういう扱いはしないと話しをしたばかりだ。
神官様も流石に少しばかり不安そうな表情をしていたが、それでも僕たちを無理やり引き止める権利も力も無い。折角世界を救える存在が現れたというのに、その存在が何処かへと帰ってしまうというのは、誰しも不安に思うだろう。それはいりすも同じ筈なのに、2人ともその事を口にすることは無かった。
「これは失念しておりました。ではお見送りいたしましょう」
「いえ、お見送りは必要有りません。ここから帰る事が出来ますから」
「シイナ、ちょっと待って。帰る前に少しだけ時間を貰っていいかな?」
僕たちは事前に研究所に繋がる魔法を開発しているので、アースガイアからはどこに居ても帰る事が出来る。すぐに帰ることが出来るのだから、もう少しだけここに居ても良いだろうし、試しておきたい事があった。
その試しておきたい事と言うのは、ズバリお祈りだ。丁度僕たちがいるこの建物は教会という事でもあるので、神父様に頼めばお祈りさせて貰えるだろう。僕が勇者だった時にはついぞすることが無かった行動を、今ここで試してみるのだ。
そして僕の予想通り、お祈りすることでこの場所に繋がる復活のパスワードを入手する事が出来た。神父様の前で手を合わせていると、自然と頭の中に20文字の意味不明な文字の羅列が浮かんできたのだ。このシステムを知らない人には、何のことだかさっぱり分からないだろう。
「次に僕たちがこの街に来る時には、恐らく直接この教会に足を運ぶ事になります。突然の来訪になると思いますけど、どうか驚かないでください」
「分かりました。皆にもその様に伝えておきます」
その後神官様には、可能な限り精霊様から話しを聞いておいてもらうという約束をしてから帰った。こちらから話しかける事が出来るわけではないので難しけど、敵の情報や僕たちが力を付ける方法の心当たりを聞いておきたかった。
「お疲れ様。大変なことになっちゃったね」
「もう時間も遅い。今日は仮眠室を使った方が良いだろう」
アラタに言われ時間を確認すると、夜の10時を過ぎたところだった。家は近いのですぐ帰ることも出来るけど、折角夜食も買ってあるしまだ皆で話しておきたい事もある。提案通り今日はここに泊まっていった方が良さそうだ。
「こっちは特に問題は無かった?」
「魔物も出なかったし、測定器でも異常は観測されなかったよ」
あれだけ長い時間扉を開きっぱなしにしても、魔物が現れなかったというのは意外だった。魔王が配下に口利きでもしてくれたのだろうか。詳しいことは分からないけど、その辺りの事情が分かれば必要以上の警戒もしなくて良いかもしれない。
皆で夜食を食べながら今後の対応について話し合う。僕が抱えていたロボットを通じて向こうでの会話はアイ達も聞いているので、わざわざ説明する必要も無かった。
「私は力になってあげたい。見捨てる事なんて出来ないよ」
「俺も気持ちの上ではそうだ。だが……」
アイが一も二もなく意見を言ったのに対し、アラタは煮え切らない返事だった。しかしその態度はシイナも同じであり、こちらの世界における立場の違いが大きい。
「私は立場上、調査は即刻中止するという判断をしなければならない。他国の戦争に首を突っ込むようなものだからな」
シイナの言う通り、これから争いが起きるという場所にわざわざ部下を送り込むという事を出来るはずが無い。国からの指示でこの調査が行われている以上、その立場を無視して行動を起こすという事は許されないのだ。
立場と気持ちの間で板挟みにされている2人は、身動きが取れなくなってしまっている。ただこのまま時間が過ぎてしまえば、結局シイナは国にアースガイアの現状を報告する事になる。虚偽の報告は出来ないし、真実を伝えれば危険と判断され調査は中止になってしまう。
つまりタイムリミットは明日一杯、今回の調査を終えてシイナが報告に行くまでだ。それまでに僕たちはどうするのかを決めて、行動に移さなくてはいけない。
「あたしの意見は決まってるよ。ユウリとアイの意見を尊重する。2人が助けるために行くっていうならあたしも行くし、危険なことは出来ないっていうなら行かない」
アカリさんは人任せというよりも、最初から一貫して僕たちの為という気持ちで動いてくれている。今更意見や判断を求めるというのも筋違いだし、むしろ分かりやすくて有り難い。
「ユウリはどうなんだい?」
「僕はアイと同じ意見。多数決での決着は無理だね」
アカリさんの票を僕たち側に入れてしまうのは不公平なので無効として、調査の中止とアースガイアへの救援の票は2対2で割れてしまう。
ただ見方を変えれば、この票の割れ方は各々の立場によるものだった。立場さえ無ければ満場一致で救援に向かう事が決定するなら、僕が迷う必要は無いはずだ。
「ねぇユウリ、前に私が言ったこと覚えてる?」
「何の話?」
「この調査が終わったら、仕事辞めちゃおっかって話し。あれさ、本当にやっちゃおうよ」
「奇遇だね。僕も同じことを言おうとしてた所。という訳で、僕たちは止められても向こうに行くよ」
勿論部下が勝手に行動を起こした場合、責任者の立場の2人に影響は有るだろう。それでも僕たちが事前に職場を辞めていれば、その影響は多少なりとも小さくなるはずだ。
「バカを言うな。部下の立場も守れない上司なんて汚名を俺達に着せるつもりか?」
「その通りだよ。止めても行くって言うなら、どの道私達の処分は免れない。だったら全員で同じ方を向いて最善を尽くすべきだ」
やる理由とやらない理由に挟まれている時は、もう一つやる理由を与えてしまえば良い。ちょっとずるかったかもしれないけど、こうして満場一致でアースガイアを救う為に力を合わせる事が決定した。




