魔法式の解析
今回の戦闘訓練は1度で上に行けと言われてしまったので、今週は暇な時間が多くなった。ただそのおかげで魔法式の解析とトレーニングの時間が作れる様になったのは有り難い。
偽装魔法はとても複雑なので、まずは式の解析に慣れるために学校で習う魔法を順に解析していく。解析に慣れていくと、動作が簡単な魔法ほど式も簡単で、魔法の規模や威力の大きさは式の難解さには関係無い事に気付く。それらの大きさは単純に数字を当てはめているだけだ。
そうして魔法式と睨めっこしている中で、1つの疑問が出てきた。学校で習う魔法は全て同じ数字が用いられている箇所がある。ただそれは規模や威力とは関係ない所に記載されている数字なんだけど、それが一体何の定数なのかが分からない。学校で使う教材にもその点については載っていなかった。
「偽装魔法は明らかに違う数字が使われてるし……アイに聞いてみるのが早いか」
アイとは連絡先を交換してからも時折メッセージのやり取りをしている。雑談や僕が考えた料理の話がほとんどだったけど、今回初めて勉強について相談した。
まだ仕事中だろうしすぐに返信が来るとは思っていなかったので、その間はトレーニングルームに行こうと思って着替え始める。
「はっや。仕事中じゃないのかな?」
着替えて部屋を出る前に送られてきたメッセージの冒頭に、今は休憩中だと書いてあった。わざわざそういう事を書いている辺りに、後ろめたさがにじみ出てしまっている。
それとは別に、僕が質問した事についてはかなり詳細に書いてくれていた。アイによるとその数値の箇所は環境値と言われていて、特定の環境でのみ魔法を発現させたい時に設定するものだという。例えば水中でのみ魔法を使いたいとか、逆に可燃ガスが有る所で誤って使用できない様にする等といった場合だ。
「ということは、学校の魔法は使う場所に制限が無いっていう事か。だとすると偽装魔法はどういう設定になってるんだろう?」
環境値の数字1つとってもこの魔法はとても複雑だった。人の目だけでなく、監視カメラに映った際にも偽装効果が現れるというのはあまりにも高度過ぎる。世紀の大怪盗も真っ青の変装技術だ。
そしてどうやら見た目だけでなく、触れた感覚すらも偽装するらしい。アイはあの大きいものを小さく見せているらしいので、もしかしたら満員電車では触れているのに触れていないなんて事になっているのかもしれない。まぁアイが満員電車に乗る機会なんて無いだろうけど。
「うわー、これ全部細かく設定して、しかもちゃんと成立するように組み立てたの?どんな頭をしてれば出来るんだ……」
この魔法は人に見られた時の影響、カメラに映った先での挙動、触れた時の感覚や声等も偽っている。唯一偽っていない点があるとすれば、他の魔法の影響を受けた時の挙動だけだろうか。それを簡単に言うと、一定の強さの魔法を受けた際には偽装魔法が破綻してしまう。
「まぁ燃やされたりしたら流石に炎の規模とか焦げた臭いとか、色々再現しきれないものもあるし仕方ないのか?でも触った感覚はあるのに魔法だけはダメで……どういう事になるんだ?ダメだ、分かんない。後でアカリさんに聞いてみよう」
分からないことはいつまで考えても分からない。ただでさえ僕はまだ魔法式に関しては勉強し始めたばかりで、いくら成績が良いとは言ってもここまで難解なものはすぐに理解できない。
一旦頭の中をスッキリさせるためにも、折角トレーニングウェアに着替えたという事もあって軽く運動してくることにした。僕は相変わらずトレーニングルームでも注目を浴びてしまうけど、もはやこれにも慣れてしまったので特に気にすることは無い。
「おかえり。今日もトレーニング?精が出るね」
「ただいまです。ちょっと魔法式の事で煮詰まっていたので、少し気分転換に行ってました。それでアカリさんに聞きたい事があるんですけど」
「なになに?何でも聞いて」
「アイは胸を小さく偽装してたんですよね?ちょっと変な話になるんですけど、偽装魔法を受けてる人がアイの胸を触ろうとしたら、どういう感覚になるんですか?」
「触る前にあたしが殺すから感覚は無い。っていうのは冗談で……触る前に手が止まるよ。実際に胸がある位置の、ほんのちょっと手前でね。触ろうとした本人は見えない壁に阻まれる事になるかな」
「でも式を見た感じ、触った時の感覚も再現してますよね?」
「すごいね、そこまで分かったんだ。触った感覚は再現するけど、例えば刃物で傷つけようとしてもその身体は傷付かない。実はこの魔法、偽装されてる箇所全てに防壁が展開されるの。そこまではまだ読み取れなかったかな?」
ちょっと悔しい気もするけど、確かに僕はそこまでは理解できていなかった。偽装が外部に与える影響ばかりに気を取られてしまっていて、魔法の効果を全て解析出来ていなかった。
自室に戻って改めて式を見てみると、確かに防壁が展開されるという記述がある。そしてその強度についての数値も細かく設定されていた。ただ今度はそこの数値が気になってしまう。
「防壁の強度って……こっちも学校の奴と全然違う。物理的な強度は上限まで設定してるけど、魔法に対してはあえて低くしてるのかな?よくわかんない数値だなぁ」
防壁魔法は刃物や銃弾などを確実に防ぐ必要があるので、高い数値を設定しておくのが基本だ。ただ魔法に対して弱くしておくというのは、何かしらの事情がある筈なのだ。
普通の考えならばそこまですると魔力の消耗が激しくなるとか、複雑な魔法は扱いが難しいので簡略化したとか、そういった事情で省かれる事はある。ただこの魔法はアイとアカリさんしか使用者がいないので、そんな事を考慮する必要は無い。
「多分ここだ。ここが僕に偽装が効かない理由なのかもしれない」
「ユウリ、ご飯出来たよ」
「はい、今行きます」
とりあえず今日のところはここまでにしておこう。今日中に解析しなければいけないという訳でも無いので焦る必要は無い。初日にしてはまずまず進んだと思うけど、これが見当違いという事だってあるかもしれない。
「進捗はどう?」
「まずまずです。何より魔法式の知識が大分増えたと思います。あれを見た後だと、学校の授業が物足りなくなっちゃいますね」
「学校で習う範囲じゃないからね。でも理解出来てるだけですごいよ」
「それはアカリさんもじゃないんですか?」
「あたしは実際に魔法を使うと、魔力の流れで何となく覚えるっていう部分が大きいんだよね。それからアイに聞いて理解するっていう流れだから、見ただけじゃ難しいな」
つまりアカリさんはあの難解な式を暗記したのではなく、感覚で覚えたと言うことだ。それはそれで凄いことだと思うし、多分それが戦闘訓練でも役に立っているんだと思う。1度でもその魔法を使えば、身体で覚えて使いこなせるようになってしまうのだ。
「やっぱり、今のあたしを見ても何とも無い?」
「そうですね。ちょっとオシャレしてますか?って感じです」
「んー。やっぱりあたしにはこの謎を解くのは無理だー」
どうやらアカリさんも僕たちとは別で原因を調べていたみたいだ。魔法式のどこをどう変えたのかは分からないけど、以前よりもはっきりとアカリさんだと分かる結果になってしまっている。
「単に対象範囲とか触った時の感覚再現とか、その辺を削ってみただけ。あまり複雑すぎて誤作動してるのかなーとか思ったんだけど、やっぱりそんな単純な事じゃないね」
「みたいですね」
とは言ってもアプローチとしては間違っていないと思う。これ以上複雑にしても、今度は魔法として成立させるのが難しくなってしまい現実的では無い。
アカリさんは無理だと言いつつ、その後も色々と弄っては試すという事を繰り返していたけど結局効果は無かった。そんな事をしていては当然魔力も消費してしまうので、疲労からかいつもよりも寝付くのが早かった。
翌日以降は、午後の時間が空いた時には学校で魔法式のデータを閲覧していた。学校に居た方が何となく寮に居る時よりも勉強に身が入るし、学校でしか見られないデータもある。普段使うような汎用的な魔法式なら携帯端末からでも調べられるけど、特殊な魔法などは閲覧制限があったりするのだ。
昨日違和感を持った防壁の数値、ここを重点的に調べる為に各種防御系の魔法について調べていた。僕のその姿を見ていた他の生徒から、今後の戦闘訓練に使う魔法を調べていると勘違いしているような話し声が聞こえる。
その声で僕もその手があったと気付いたので有り難かった。今まで馬鹿正直に習った魔法しか使っていなかったけど、今みたいに自分で調べて使えそうな魔法を使えばもっと楽に戦える。
そこまで考えた所で、それもほどほどにしておこうと考え直した。今でさえ楽に勝ってしまっているのに、これ以上楽をするというのも良くない気がする。覚えるだけ覚えておいて、戦闘訓練ではなるべく使わないでおこう。
「これだけあれば充分かな。後は来週以降にまた考えよう」
ある程度まとまった時間が取れるのは今日までで、明日以降は午後も戦闘訓練以外の実技がある。休日はしっかり休む派なのであまり勉強の事は考えないし、式の事は来週以降の時間が作れる時に改めて解析を進めていこう。
ただ今回魔法式の勉強をしたことは、僕にとってとても良い方向に作用した。それというのも他の実技科目である魔法訓練、実験、付与の3つとも、式をしっかり理解したことでこれまで以上に良い成績を得る事が出来た。その結果、授業が終わると同時に先生から声を掛けられる。
「ユウリさん、ちょっと良いですか?」
「何でしょうか?」
「ユウリさんにとってもいい話だと思うんですが……」
結局戦闘訓練以外の3つの科目は一番上のクラスに来てしまっていた。そしてその3つとも、僕にこの科目を専門で受けないかと誘ってきたのだ。
これは学校からの指示という訳では無く、担当している教師からの推薦という形だった。アカリさんが戦闘訓練を専門でやるようになったのも、学校からの指示では無く教師の推薦だったという。
学校からの指示はあくまで魔力の才能によって示された分野に対して行われるけど、教師は才能が無くとも見込みさえあればスカウトする。なのでアカリさんは形質変化の才能が無かったから最初は色々な科目の授業を受け、途中からそのセンスを見込まれて戦闘訓練一本でいくことになったのだ。
「申し訳ありませんが、僕はまだ色々と見てみたいので」
当然僕はその誘いを全て断った。多分それは僕がこの世界に転生した理由では無いと思ったからだ。どれも僕でないといけない理由が無く、単に優秀だからスカウトしているという程度だ。
そのうち戦闘訓練からもスカウトされると思うけど、今のところ僕は受けるつもりは無い。この段階ではまだ、僕のこの世界での役割は見つかっていなかった。
もしかしたら、ただチートモードを堪能してくれという神様のお達しである可能性もあるけど、まだそうと決まったわけでは無い。その辺りが分かるような出来事が起きるまで、僕はどこにも所属するつもりは無かった。




