前編 三年前
パチンコに興味なくても、ジャンジャンバリバリ読める内容になっています。
777分前の俺が今ここにいるとする。そんな過去の俺が、
「運命を信じる?」
ともし誰かに問われたら、
「ノー」
と鉄板で答えるだろう。運命だなんて言葉を使うのは胡散臭い奴だと思っていたし、言葉の響きが少女漫画チックで気に入らないし。
――そんな777分前までの俺に喝だな。
あれは、俺がまだ大学生だった三年前、確か七月の終わり頃だった。
午前十時、開店と同時に俺はあるパチンコ店の中に入った。そのお店は繁華街の裏路地にあり、当時の俺がよく通っていたお店だった。
店の中で流れる大音量のノリのいいBGM。それに乗せられるかのように、俺は鼻息を荒げながら4円パチンコの島へ向かった。
「会いたかったぜ……強敵よ」
俺はお気に入りの機種が並んでいる島に入ると、この日も何時ものようにパチンコ台相手にそう呟いた。
今思えば意味が分からない。完全に若気の至りだ。だが、当時はそんなルーティンを持っていたのだ。
俺のパチンコデビューは大学一年の時だった。理由は同じ大学の友人に連れられて……なので、当時の俺は正直乗り気ではなく、取り敢えず少しだけ打ってみるか、と渋々だった。
一万円札を台の横の入金口に吸い込ませると、それと交換に大量の銀玉がジャラジャラと台の上皿に流れ出た。そんな銀玉達を右手でハンドルを回し、台の盤面に射出していった。ものの数分後には千円分の玉がなくなってしまったので、友達の付き合いとはいえ、エライ所に来てしまったな、と初めの内は激しく後悔したのをよく覚えている。だけど、その後の展開が凄かったのもよく覚えている。
一万円を使い果たす直前、俺は大当たりを引いた。しかもST《Special timeの略》に突入する奇数図柄だった。このST中、俺のビギナーズラックが冴えを見せ、怒涛の勢いで連チャンを重ねていった。結果としては一時間ちょっとの間で十三連チャン、約五万円分もの出玉を獲得することに成功した。
その夜、祝勝会と称し、俺は友人と一緒に高級焼肉店に生まれて初めて行った。この時食べたザブトンやシャトーブリアンの未体験ゾーンな旨さといったら……。だから、そんな勝利の味の虜になってしまったのだろう。
当時の俺は暇さえあれば、向かうはパチンコ屋。勝てばたとえ一人でも祝勝会。本当、ロクでもなかったな……。
そんな俺だったが、この日は何時も以上に気合が入っていた。その理由は単純明快で、有終の美を飾るためだった。
大学生の頃の俺は、パチンコ店に通っては負けを繰り返し続け、終には人にお金を借りて打っていたのだ。大学、バイト先のコンビニ関係と、知り合いなら誰にでも金の工面をお願いしたものだ。――本当に本当、ロクでもなかったな……。
そうして膨れ上がった借金、返済催促の雨あられ。
俺は漸く省みた。
このままでは近い将来、消費者金融のお世話になってしまう。それではいけない。大学生の内にツケをどうにか綺麗に精算し、まっさらな状態で社会人デビューを迎えたい。ならば、今こそパチンコと区切りをつけるべきだ、と。
泣いても笑っても今日が最後、と誓ったのであればこそ、何としてでも勝って、パチンコに笑ってサヨナラを告げたかったのだ。
朝一ということもありガラガラな島の中、台ごとに備え付けられているデータカウンターを操作して、前日のデータをチェックしていった俺。そして、ピピピときた台の座席に着席した。
着席すると、俺は先ず身に着けていたショルダーバッグのチャックを開け、コンビニで買ってきた総菜パンを中から取り出した。
腹が減っては、戦はできぬ。
俺がパチンコを打つ前に大切にしていた心得だ。
俺はパンをあっという間に平らげると、スーハーと一度大きく深呼吸をして、気持ちを戦闘モードにすぐさま切り替えた。
「さあ、打つぞ」
俺は少し手を震わせながら、一万円札を台の横の入金口に入れた。それと交換に、台の上皿は直ぐにヒンヤリとした感情のない銀玉で満たされた。
この日の軍資金は三万円、引きが悪ければ二時間足らずで消えてなくなる額だった。何とか早い段階で大当たりを引かなければ、と俺は重圧をヒシヒシと感じていた。
「頼むぞ、俺のヒキ」
俺は台のハンドルを汗ばむ右手で力強く握り、右に回した。大量の銀玉が台の盤面上を踊り、盤面の一番下にある排出口へと落ちこぼれていった。少量のエリート銀玉だけが盤面中心にあるヘソへと入り、液晶画面を始動させていった。
この日の初当たりは正午過ぎ、丁度二万円を使い切る前だった。その初当たりから到来した好調という名のビッグウェーブ。午後四時、俺は差引三万円分プラスの出玉を確保していた。
「さてどうする?」
この時、俺は自身に問いかけた。
続行。
その決断に一片の迷いはなかった。何故こんなに調子がいいのに、臆して引かねばならないのか。青々とした若さが、俺を猪突猛進な闘牛にした。
だが、欲に溺れると、事は得てして上手くいかないものだ。赤保留、タイトルロゴ落ちといった激アツの演出が出ても悉く外れ、気付けば回転数は五百過ぎ。漸く俺はヤバいと焦りだした。
「どうしようか……」
俺は再度自身に問いかけた。この段階で遊技を終えれば、チョイプラスかトントン。続行すれば出玉が尽きるかもしれないが、大勝ちが狙える。ノーリスクローリターンかハイリスクハイリターンの選択。悩んだ末に、俺は決断を下した。
――続行。
今、振り返ってみると、実に愚かすぎる前進だ。ひたすら理想の未来が訪れると信じ、左右や後ろの色褪せた景色をまやかしだと、昔の俺は目を背けたのだ。
そんな向こう見ずだった俺を説法するかのように、ヒキの神様は微笑んではくれなかった。六、七、八百と回転数を重ねていき、遂にはこの日の大当たり分の出玉が消滅してしまった。
時刻は午後八時半、閉店まで残り二時間。手持ちには一万円のみ。勝つどころか、取り返すのも困難な窮状だった。
それでも、俺は一縷の望みを捨てなかった。最後の一万円を投資し、銀玉を射出していった。
無情にも残りの時間とお金が減っていった。最悪のイメージが身体中の汗腺に嫌な汗を促した。
「考えるな、感じろ!」
と俺は必死に雑念を消し、大当たりの波を感じ取ろうとした。
だが、俺はエスパーではないので、そんなセンシティブな能力は持ち合わせてない。もし持ち合わせているなら、競馬や宝くじみたいなもっと楽に大儲けできそうな賭場で活用すべきだ。
午後九時半、案の定だが、俺はお金が尽きた。絶望、失望、諦め、恐怖……今まで経験したことのない感情の坩堝が、荒波となって俺を飲み込み、過ぎ去っていった。
「負けたんだな」
俺は自然にポツリと呟いた。この時の俺は真っ白な虚無そのものだった。だけど、僅かばかりの逞しさが残っていた。それが気持ちの切り替えスイッチを押し、現実的な未来へ進もうと俺は決意した。
最後の礼として、俺は何時も以上に身の回りを綺麗に片付けてから店を出ようとした。パチンコ台周りに飛び散った煙草の白灰を、手持ちのウェットティッシュで綺麗に拭き取った。足元や煙草の灰皿付近に転がっていた数個の銀玉を拾い集めた。それを台の上皿に流し、お返ししますとばかりにハンドルを適当に回して、パチンコ盤面へ射出した。
これぐらいでいいか、と思った俺は帰ろうとして席を立った。
「ボキョキョキョゥィイイン」
適当に射出した銀玉がヘソに入って、液晶が始動したのだろう。盤面から突然けたたましいシステム音がした。
「……まさか⁉」
と俺は席を立ったまま液晶画面を確認した。
――保留の色が金色だった。
「マジかよ……これ、当たるんじゃね⁉」
俺は目をパチクリさせながら、席に座り直した。この機種における金保留は信頼度約80%、激アツ中の激アツ予告だ。
結果は……大当たり。
にわかに信じられなかった。自ら招きしイバラな現実に踏み入れる寸前だった。そんな俺の目の前に突如現れた、理想の未来への道。それは途中で蜃気楼のように消え去ることがなかった。店が閉店するまでの僅か一時間足らずの間に俺は当たりを重ね、収支はマイナスからプラスにまで急転した。
「奇跡だ」
当たりを積みかさねていく最中、俺は何度もそう呟いたのを鮮明に覚えている。最後の最後で逆転ホームラン。劇的にも程があった。そして、自身をこう捉えたのだ。
――奇跡の男、と。
俺は神に愛されている――傲慢にもそう思った。
俺は神の息吹を感じられる――カルト教団の信者みたいだった。
明日も必ず勝てる――この日で引退の筈なのに方向転換。懲りない男だった……俺は。
都合なら幾らでもついた。当時の俺は大学生四年生で、就活は既に終えていた。単位も卒論以外は取り終えていた。研究室には一日ぐらい行かなくても問題はなかった。
出玉の交換を終え、店を出たのは深夜の十一時。寝坊だけが唯一の敵、と俺は思い、寄り道せず真っ直ぐに家へ帰った。
翌日、俺は前日と同じ店に開店直後の午前十時過ぎから訪れた。前日と同じ台の座席に座ると、すぐに遊技を開始した。
勝てる――根拠のない自信が、俺の心の中で反芻していた。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
大当たりを期待できそうな予告、リーチを悉く外していった。やっとの思いで当たりが引けても単発ばかりで、僅かな出玉しか獲得できなかった。データカウンターの折れ線グラフは、数か所の気休め程度の小山を除けば、右肩下がりの一途を辿っていった。
「おかしい……こんな筈では……」
最後の一万円を投資しようとする直前、漠然とした勝利への絶対的な自信に陰りが生じた。そこから、負ける、というドス黒いネガティブ感情が一気に支配進行していった。
「気持ちで負けているようでは、流れを引き寄せられる筈がない……」
と思った俺は休憩を取ることにした。
席を立ち、気晴らしに他の台のデータを見ようと、俺はしけた面で島を見て回った。すると、まだ昼過ぎなのに二万発は優に出していた白髪のオジサンがいた。俺はそのオジサンの顔色をチラリと伺った。
――破顔一笑だった。
気晴らしどころか、更にガックリと肩を落とすハメになった……。
そんなしょんぼりした様のまま、俺はトイレに向かった。そして、洗面台で顔を何度も洗った。パチンコ店特有のヤニの臭い以上に、体に染み着いた悪い流れを洗い落としたかったのだ。
洗面を済ませ、台に戻った。すると、朝からずっと無人だった俺の左隣の台に、いつの間にか人が座っていた。俺と同じぐらいの年頃で、目鼻立ちがハッキリした金髪の女の人だった。
大学内やバイト先で出会えば思わず蕩けてしまいそうな程の美人だったが、俺は意識を深く傾けなかった。
何故なら、色恋にうつつをぬかしている場合ではなかったし、美人だからこそ、見えない彼氏の影がはっきり映るのだ。それだけ、パチンコ店に来る女性の動機として、付き添いの割合が高いのだ。今、この場にそれらしき姿がなくても、必ず後からやって来るものなのだ。――俺の経験談だ。何度一人ときめき、何度一人ガッカリしたことか。だからこそ、俺は鼻の下を伸ばさなかった…多分。
閉眼して深呼吸、そして開眼。俺は再び、前方の台だけに意識を注いだ。
「頼むぞ」
祈るような気持ちで、俺は最後の一万円を入金した。全身に嫌な汗をかきながら、ハンドルを握り続けた。頼むから当たってくれ、とひたすらに願い続けた。所持金が九、八、七千……とどんどん減っていき、あっという間に残りは千円だけ。
「これに全てをかける」
俺は最後まで勝利を信じて、最後の千円分の銀玉を台の盤面に射出した。
だが、電子機器は無情だ。銀玉は尽きた。
それでも、俺は諦めきれなかった。周辺の床をキョロキョロ見回し、落ちていた玉を両手で必死に拾い集めた。
その最中に俺は漸く気付いた。左隣の金髪の女の人が居なくなっていたことに。
「チャンス!」
無人の左隣の台が、独り言のように有難みのない言葉を吐いた。
「隣に座っていた金髪の子、違う台に移動したか、家に帰ったのだろう。――保留を残したままで」
パチンコあるある的なよく見る光景だった。なので、俺は直ぐに両手で握った十数個の銀玉に意識を戻した。それを台の上皿に流し込み、盤面に射出した。願うは、前日の奇跡の再現だった。
結果は……当たりどころか、銀玉がヘソに入りすらしなかった。
奇跡なんて、易々と起こらないから奇跡なのだ。そのことを、俺は身をもって知らされた。
「昨日でやめとけば……」
と、必死に時間を遡り、自身の業を責めても全ては後の祭りだった。
一通り、自身への罵倒を心の中で済ませると、俺は一応の平穏を取り戻した。
「ダアアアンンン」
この時、俺は左隣の台の液晶がやけに騒がしいことに気付いた。一体、何事か、と俺は横を見てみると、液晶内では図柄が揃っていた。――しかも、奇数図柄だった。
「マジかよ」
俺は驚嘆しつつも席を立ち、金髪の子が付近にいないかと急いで周りを見渡した。だが、姿は確認できなかった。
ならば、と俺は左隣の台の上皿に煙草の箱を急いで投げ入れた。
「誰もいないのなら、俺が打っていいのでは」
「いや、この当たりは金髪の子のもの。流石にいかんでしょ」
邪と正の極限状態で、俺の心は激しく振動した。そして数秒後、決心した。
――金髪の子を探そう、と。
別に俺は善人ではない。
「これは蜘蛛の糸、掴めば負けを取り返せる」
と一度は天秤を邪に傾けた。だけど、店員や他の客の目がある。それに怖じ気付いて打たなかっただけだ。
でも、どうして俺は金髪の子をわざわざ探そうとしたのか。知らんふりして、台を放置して帰ればよかったのに。同世代の子だったし、俺と同じように金に困っているかも、と勝手に境遇を想像し、他人だけど他人に思えなくなったのだろうか。
――やっぱり、よく分からないな。まあ、細かいことはどうでもいいか。
俺は心を正に収束させ、他の客に邪魔にならないよう、パチンコ、スロット両方の島を早歩きで見回った。だが、金髪の子の姿はなかった。
「彼女、帰ったのかも」
と思い、俺は店の出入口から室外に出た。そして、辺りを見回した。
「金髪で、確か、上は白のブラウスを着ていた筈……いた!」
数十メートル先に、それらしき女性の後ろ姿を見つけることができた。彼女は独り、パチンコ店と反対方向へ移動していた。
その後ろ姿を目掛けて、俺は走って追いかけた。真夏だったので、地面のアスファルトが激熱な鉄板のようだった。それが酒、煙草をこよなく愛する不摂生な俺には堪らなくしんどかった。金髪の子の傍まで到達するのにわずか七秒程度。にもかかわらず、息がゼーゼー、汗がダクダクになった。
そんな疲れた様子で、俺は金髪の子の肩を後ろからトンと叩いた。彼女は少しビクッとして、後ろを振り返った。
「すいません。俺の隣で打ってた人だよね?」
俺は息を切らしながら言った。
「はい、そうですけど……」
「貴方、保留を残して止めたでしょ? その残した保留が大当たりしてたよ!」
「ええ、本当ですか⁉」
「本当だよ! 俺が台をキープしてるから、急いで席に戻ろう」
「分かりました」
俺と金髪の子は一緒に走って、パチンコ店に戻った。彼女が打っていた台の前に着くと、画面はまだ大当たりラウンドの1R目だった。
「良かった、間に合った」
俺は額の汗を手で拭いながら、ホッとした気持ちで呟いた。
「これ、打っていいの?」
金髪の子は俺に不安そうに聞いてきた。
「そりゃあ、当然だよ。貴方が当てた分だし」
「有難うございます。後でお礼するから――」
「いいよ、そんなの。じゃあ、頑張って」
俺は上皿に置いておいた煙草の箱を手に取った後、そう言い残し、その場から立ち去った。
お礼なんてわざわざ頂くほどのこともしてないから、「有難う」の言葉だけで充分だった。それに俺は負けて素寒貧で帰る身。他人が大当たりを重ねていく姿など見たくもなかったのだ。
俺が島から出ようとすると、白髪のオジサンの台が視界に入った。その台の銀玉吐き出し具合は止まることを知らない状態だった。白髪のオジサンは心の中も大量の銀玉で満腹になったのか、欠伸をしながら打っていた。
俺はチッと乾いた音を残し、店から去った。
家に帰ると、俺は真っ先に実家へ電話した。
「ごめん、三万だけ入れといて」
電話越しの両親に頭を下げながら、俺は要件を伝えた。当然、両親からは説教。それは一時間以上も続いた。
だけど、電話の最後には、
「出世払いの名目で銀行の口座にお金を振り込んでやる。今回が最初で最後だからな」
と言ってもらったのをよく覚えている。
この時、親というのは厳しくもあり、優しくもあることを俺は切に痛感した。
「パチンコで作った借金を親に肩代わりしてもらうなんて、なんたる親不孝者。これに懲りて、パチンコを止めよう」
俺は心から誓った。
読んでいただき、本当に有難うございます。
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