【青春】バグ男と僕の連立方程式
少年たちの見果てぬ野望――。
バグ男がまた奇声をあげた。いつもの事だ。教室は、いつもと同じように冷え切った静寂に包まれた。
また始まった。
僕はうんざりして溜息をついた。
大好きな数学の授業中。僕は黒板の前で難解な文章問題から連立方程式を立てようとしていた。
まさにその時だった。
逢澤真伍。それがバグ男の本名だ。僕はバグ男が心底嫌いだった。
度重なる授業妨害。時と場所を弁えず突然騒ぎだすその神経。普通じゃない。
僕が抱くバグ男への嫌悪感の中心には、そんな恐怖にも似た感情があった。
静まり返った教室にバグ男の哄笑が響きわたっていた。何がおかしいのか、他の教室まで轟くほどの大声でバグ男は笑っていた。笑いながら、バグ男は身体を奇妙にくねらせて踊っていた。
ヒステリックな笑い声。意味不明の踊り。
その狂態は、まるでバグったゲームキャラだった。3Dのアバターが、バグったプログラムによりあり得ない動きを見せる、そんな奇怪な動き。彼が「バグ男」と呼ばれる所以だ。そして、その名が定着する位、彼の奇行は繰り返されていたのだった。
もう耐えられない。
こんな事で僕の学校生活が台無しにされるなんて。
クラスのみんなも、僕と同じ気持ちに違いなかった。
ただ、バグ男のあまりの奇行ぶりに、誰もまともにバグ男に注意する勇気を持たなかったのだ。
だが、僕はもう耐えられなかった。
僕は放課後、バグ男を屋上に呼び出した。
「いい加減にしてくれよ!」
僕は柄にもなく大声を上げた。抑えがきかなかった。
今まで我慢していた分、一度あふれ出した感情は、もう止めようがなかった。
「いつもいつも! わけわかんない事して、授業妨害して! 意味わからないんだよ!
僕達は来年受験なんだぞ! 迷惑なんだよ!」
僕とバグ男以外誰もいない屋上。僕の怒りの声は空に拡散して、嫌になるくらい迫力がなかった。バグ男には、まるでそよ風のようにふわりと響いただろう。
だがバグ男は、驚いた表情で僕の顔を見つめていた。何も言い返して来なかった。笑いも踊りもしなかった。
僕は次の言葉を見失った。感情はあふれる程わき上がっているのに、糾弾すべき内容はそれだけだったのだ。
言いたい事、非難したい事はいっぱいあったはずなのに。あると思っていたのに。
僕は唇を震わせながら、言うべき言葉を探していた。
「そっか……。頭いい学校に行く人はもう準備してるよな。俺、頭悪いから気付かなかったよ」
バグ男はすまなそうにうなだれた。
僕はその素直な反応に驚いた。話の通じない奴だと思っていたのだ。どんな反応をされるのか、恐れてさえいたのに。
「布川君もさ、頭いい学校行って、やりたい事いっぱいあるよね。なのに邪魔しちゃってごめん」
バグ男の口調は神妙だった。
……僕のやりたい事?
その言葉が心に引っ掛かった。
バグ男の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
そして……僕自身がそれを考えた事もなかったという事実に、今更のように驚いていた。
僕は何がやりたいんだろう。良い高校行って、良い大学行って、それで。
僕は一体、何がやりたいんだろう。
「俺、バカだからさ。どうしたらみんなを笑わせられるのかわかんないんだ。やりたい事のやり方わかんないとか、ほんとバカだよな」
バグ男は本気で悔しそうだった。
「ちょっと待てよ。あれは僕達を笑わせようとしてたのか? だったら、面白いギャグ言うとか……」
「それじゃダメなんだよ。言葉が通じなくても笑わせられなきゃ」
バグ男は真剣な顔で僕に向き直った。
「俺、世界中の人を一人残らず同時に笑わせたいんだ」
「一人残らず、同時に……?」
意味が掴めず聞き返すと、バグ男は大きくうなずいた。
まさか、本当に言葉通りの意味で言っているのか……?
「だって、笑っている時って、ケンカしたり、争ったり、戦ったりできないだろ? みんなを一人残らず同時に笑わせたら、その間だけでもみんな平和になるじゃないか」
バグ男は真剣そのものだった。
「一分でも十秒でも。俺、少しの時間でもいいからそうしたいんだ。ほんのちょっとでも、平和を作りたいんだよ。
でも、どうしたらいいのかわかんない。
俺、もう授業中に迷惑かけるのやめるよ。だから布川君、俺に知恵を貸してくれないか? 布川君は頭がいいから、どうしたら良いのかわかるだろ?」
バグ男は僕の目をまっすぐに見つめて言った。
「そうか……だから言葉を使わないで笑わせようとしてたのか」
僕は正直、打ちのめされていた。
あの奇行の裏にこんな思いがあったなんて。全然知らなかった。気づきもしなかった。
僕の、負けだった。
人間として、僕は完全に負けた気がした。
いや、最初から負けていたのかも知れない。僕は自分のやりたい事すらわからなかったんだから。
でも、今は。
「今日さ。お前が邪魔をした数学の時、連立方程式ってやってただろ?
あれは一つの方程式じゃ解けない問題でも、二つの方程式を使えば解けるって事なんだ。
……だから、僕がもう一つの方程式を立ててやるよ」
僕はわざと何気ない顔で言った。胸を打たれているなんて悟られたくなかった。
「ほんと!? ありがとう! 布川君頭いいからすごく心強いよ!」
いや、成績だけの僕なんかより君の方がよっぽど凄い奴だよ。
僕の胸には、そんな思いとともに、僕のやりたい事がはっきりと生まれていた。
「なら僕は、全世界の空に君の姿を映し出すシステムを発明する。笑わせる方法も、それまでに一緒に研究しよう」
バグ男、いや真伍は、顔いっぱいの笑顔になった。
「ありがとう! 布川く……」
「……あと、僕の事は隆宏でいい。真伍」
真伍の笑顔につられて、僕も笑った。
まずは僕達二人。この笑顔を、世界中一人残らず全員に広げなきゃ。
な、真伍。
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