第七話 焦燥
「行くか……」
こうして四人はまた出ることとなった、ヤツらのいる外へ――
車の中から充希は左側、遼は右側を確認すると、充希たちと同じことを考えてか車の間をちらほらと人が歩いてはいたが、見える範囲にヤツらの姿はなかった。
「とりあえず、大丈夫そうだ……」
充希はそう言うとドアを開け、モンキーレンチを握りしめながら恐る恐る外へ出た。耳を澄ませながら左右を確認するが、やはりヤツらの姿や気配はない。
「いいぞ……行こうッ」
充希の合図で残りの三人も車の外へと出てくる。車の間を進んでいくのはあまりにも視界が悪く、四人は歩道を歩くことにした。そして歩道に出ると遼は、いま一度今後のプランを充希に尋ねた。
「で、どうするんだ……?」
「出来るだけ街から遠ざかりながら車を探す……それから安全な場所を探す……」
「おーけー……」
気持ち小声でやり取りをすると二人は歩き始めた。そして麻衣と彩乃は不安そうに周りをキョロキョロしながらも、しっかりと二人の後ろをついていった――
*****
四人は車で走ってきた大通りに沿って歩きながら、動かせる車はないかと近くにある車を片っ端から調べていった。映画のワンシーンのように配線をいじって車のエンジンを掛けるようなことは、当然充希たちには出来ない。必然的にキーがついたままであることが条件になるのだが、それは四人が思っていたよりもハードルの高いものだった。
「この車もダメみたい……そっちはどう?」
「ううん……」
彩乃が尋ねると、麻衣は残念そうに首を横に振りながら答えた。
横道などに止まっている車を見つけては手分けして調べていた四人だったが、なかなか動かせる車を見つけられずにいた。すると突然、バンッと鈍い音が辺りに響いた。それは充希が車のガラスを手のひらで叩いた音だった。
「クッソ……ッ」
自分が提案し、自分を信じてみんなついてきてくれたのにも関わらず、二十分程度歩いて何の進展も無し。充希は焦っていた、またヤツらと出くわす前に早くなんとかしなければと。そんな充希の元へ遼が近づいてきた。
「イラついてんな……まだ探し始めたばかりだぞ」
「別にイラついてねぇよ……」
充希は車の窓ガラスに手をつき、下を向きながら否定をした。すると、遼は充希の肩をすこし引っ張って真っすぐ立たせると充希の両肩に手を置き、そしてしっかりと顔を見ながら言った。
「お前はすごいよ、こんな時でも冷静に物事を判断できるし、勇気もある。だから俺はお前を頼るし、信じてる。もしダメだったとしてもそれはお前のせいじゃない、いいな?」
「……あぁ、分かった」
遼は手を離し、励ますように充希の腕をポンポンッと軽く叩くと、また別の車を調べに行こうとした。充希はというと視線を下に向け、少し口を結びながら何か言いたげな表情をしていたが、一呼吸すると顔をあげ、後ろから遼を呼び止めた。
「遼ッ」
「……?」
「ありがとな」
遼はニッコリ笑ってみせると何も言わずに充希に背を向け、礼はいらないと言わんばかりに小さく右手をあげた。
*****
車を降りてからかれこれ三十分程度が経っていたが、未だに車を見つけられずにいた。それでも誰一人弱音は吐かず、四人はまた大通りに沿って歩いていた。しばらく歩いていると、遼が充希にまた今後について尋ねてきた。
「……なぁ、車を見つけたら安全な場所を探すって言ってたよな?」
「あぁ……」
「そんなところが本当にあるのか?」
「……分からない。でも――」
充希が話そうとした、その時だった。
「いやぁぁああ! やめてッ、離れてッ!」
突然すぐ近くから女性の悲鳴が聞こえ、四人は一斉に動きを止めて息を殺した。声のした方向や近さからいって、声はおそらく渋滞で止まっている車の陰から聞こえてきた。しかしヤツらの気配は今まで全くなかったのに、なぜ突然こんなに近くから悲鳴が聞こえてきたのだろうか。もしかするとヤツらではなく単なる揉め事なのではないか、そういった希望的観測を抱きながら遼は一歩前に出て声を掛けた。
「あの……大丈夫ですか」
しかし、返事はない。全員が固唾を飲んで様子を伺っていると、一台の車をはさんだ向こうで血まみれの男が立ち上がった。男は四人に背を向けていて、まだヤツらなのかどうかは分からなかったが、充希は嫌な予感がした。
「遼……離れた方が良さそうだ……」
ヴォォオオオッ
男は既にヤツらと化しており、うめき声をあげると遼に向かって走り出した。
「遼ッ!」
遼は咄嗟にベルトに挟んでおいたスパナに手を伸ばすも、ヤツに飛び掛かられてしまいそのまま倒されてしまった。ヤツは遼に馬乗りになり、よだれを垂らしながら必死に噛みつこうしている。
「クッソッ!」
遼はヤツの肩を押さえながら必死に引き剥がそうとするが、なんとか押さえつけるので精いっぱいだった。
「離れろぉぉおおッ!」
充希はモンキーレンチを取り出すと、ヤツの頭にフルスイングをかました。ヤツは殴られた勢いで横に倒れたが、充希はヤツが立ち上がる前に何度も頭を殴りつけ、そしてついにヤツは動かなくなった。
「ハァハァ……大丈夫か?」
「大丈夫だ……何ともない……」
遼が立ち上がり、服に付いたよごれを払いながら充希に礼を言った、その時だった。
「やめろッ! 来るなッ!」
「助けてッ! お願い、死にたくないッ!」
「あぁぁあああッ! 痛いッ! イヤだッ!」
充希たちが歩いてきた方から何人もの悲鳴と断末魔が聞こえてきた。ヤツらがついにそこまで迫って来たのか、それとも車で逃げてきていた人の中に感染者がいたのだろうか。いずれにしろもう悠長なことはしていられない。四人はすぐに移動することした。
すると突然、道路沿いのスーパーマーケットの駐車場の方から男の声がした。
「こっちだッ!」
声のする方を見てみると、緑のエプロンをした男が大きく手を振り、四人に合図を送っていた。しかし、男が大きな声を出してしまったせいか、四人はまだ少し離れたところにいたヤツらに気付かれてしまった。
「行こう、あっちだッ! 走れッ!」
四人が走り出すと、男は手を振るのをやめてスーパーの裏手の方へと向かっていった、きっと裏口に誘導してくれるのだろう。スーパーへ逃げ込もうとしていたのは充希たちだけではなく、充希たちの前を数人が走っていた。裏手に回るとそこには二階へと続く階段があり、さきほどの男が階段の上から叫んでいた。
「こっちだッ! 急げッ!」
四人は男の言う通り階段へと急いだ。充希が先頭を走り、もうすぐ階段というところで事件は起きた。
「キャッ!」
充希の前を走っていた女性が足を挫いて倒れてしまい、足首を押さえて動かなくなってしまったのだ。充希はどうするべきか迷った、助けるべきか、見捨てるべきか。もしも見捨てたならば、この女性は間違いなく死んでしまうだろう。しかし階段は人が一人通れるほどの幅しかなく、この女性を運んでいては後ろがつっかえ、遼たちが追いつかれてしまうかもしれない。しかし――
「すまないッ」
苦渋の決断の末、充希は女性の横を通り過ぎた。充希はそのまま階段を上がり、扉の前まで来ると後ろの三人を待った。麻衣、彩乃と順に階段を上がり切り、充希は二人を中へと入れた。あとは遼だけ、充希がそう思った時だった。
「うぉぉおおおッ!」
なんと遼はヤツらがすぐそこまで迫ってきているにも関わらず、足を挫いて動けなくなってしまった女性を抱きかかえたまま、階段を上がろうとしていたのだ。何度もよろけ、手すりや壁にぶつかりながらも階段を上る遼だったが、やはり女性を抱えたままでは上るのに時間が掛かる。そうこうしている間に、ついにヤツらも階段を上がって来た。
「クッソォォオオッ! もう少しだッ!」
遼は自分を奮い立たせるように叫んでいたが、このままでは遼は間に合わない、追いつかれしまう。充希は遼を助けるべく動きだした。
「かがめッ!」
充希に言われ咄嗟に身をかがめる遼。充希は膝を抱えるようにしながら遼を飛び越えると、そのまま後ろのヤツらに蹴りを入れた。ヤツらはドミノ倒しのように階段を転げ落ちていき、すかさず充希は叫んだ。
「今だッ! 行けッ!」
*****
「ハァハァ……助かったよ……大丈夫か……」
遼は息を切らしながら膝に手をつき、充希の方を見た。
「ちょっと胸を打ったけど……大丈夫だッ」
「お前……すげぇよ……ハハッ」
壁に手をつきながら胸を押さえる充希を、遼は軽く小突いた。すると、遼が担いで助け出した女性が痛めた足を庇いながら立ち上がった。
「……本当にありがとうございましたッ! 感謝してもしきれません」
「いいですよ、こういう時はお互い様ですって」
「そんな……お二人とも本当に感謝しています、ありがとうございました」
遼は少し照れながら応対していたが、充希の表情は暗かった。結果的に助けたものの、一度はこの女性を見捨てようとしていたのだ、無理もない。女性は礼を言うと、緑のエプロンをつけた店員に連れられ、奥の方へと消えていった。
ヤツらが外から扉を叩き続けていたが、扉は頑丈そうでとりあえずヤツらがここから中へ入ってくる心配はなさそうだった。
「いやぁ、良かった。大丈夫かい、君たち」
二人に近づいて来て声を掛けてきたのは、充希たちを誘導してくれた男だった。
「ありがとうございます、ホント助かりました」
「君も言ってただろ、こういう時はお互い様だって」
遼が礼を言うと、男は笑って答えてくれた。するとそこへ一人の店員が慌てた様子で充希たちの方へ走って来た。
「店長ーッ! 大変ですッ!」
察するに、充希たちと話していたこの男がこのスーパーの店長なのだろう。
「どうしたッ! 何かあったのか?」
「いまテレビで会見をやっているんですけど、こんなことが世界中で起こってるって……」
「世界中で……」
状況は充希たちが思っていたよりも深刻なものだった。