第五話 脱出
ヴォォオオオッ
ヤツらの一人が三人の方を見て叫びはじめ、その近くにいたヤツらにも存在を気付かれてしまった。次の瞬間、ヤツらは一斉に三人に向かって走り出した。
来た時はまだ生きている人間が大勢いたから広場を通り抜けられたが、こうも状況が悪化していると走って突っ切るのは自殺行為。敷地を隔てているフェンスへ向かうべきか、二メートルほどで登れない高さではない。しかし、麻衣と彩乃の息はまだ整っておらず、そこまで走り切れるか怪しい。仮にフェンスまで辿り着いたとしても、ヤツらが追いつく前に登りきれるのか――
充希は極限状態の中で、時間にすれば一秒にも満たないような一瞬の間に、どうすればこの状況を打開できるのか、頭をフルに回転させて考えた。しかし、どんなに考えても全員で逃げ切れるイメージが湧かない。充希は振り返って後ろにいた麻衣の顔を見た。充希のその絶望した表情を見て、麻衣も察した、みんなここで死ぬのだと。
「イヤ……充希……充希ッ!」
麻衣が叫んだその時だった。
プウァァァンッ プウァァァンッ
車のクラクションの音が広場に響いた。三人が音のする方を見てみると、白いハイエースがヤツらを轢き殺しながら三人に向かってきていた。
「クソがぁああッ!」
運転していたのは遼だった。大学の駐車場で鍵がついたままのこの車を見つけた遼は、充希たちを迎えに九号館に向かって来ていたのだ。白い車はみるみる赤く染まり、激しく動くワイパーは血をのばすだけでもはや機能しなくなっていた。遼が目を凝らし、衝撃に耐えるように腕を突っ張らせながら運転していると、ヤツらの群れの中に生きている人間の姿を見た。
「……充希ッ! ……彩乃もッ!」
血の隙間から充希たちを視認した遼はアクセルをベタ踏みし、三人のところへと急いだ。広場にいた多くのヤツらは白いバンに気を取られていたが、充希たちの近くにいたヤツらは依然、三人に向かって走ってきていた。
充希には誰が運転しているのかまでは見えなかったが、もしも助かる道があるとするならばそれはあのハイエースにあると、またそれを運転しているのが遼だと直感した――
「走れぇえッ!」
充希は大声で二人に合図し、そして走り出した。麻衣と彩乃も最後の力を振り絞り、充希の後を追いかける。車に向かっていくこともその場でただ待ち続けることも出来ない状況で充希は、車が自分たちに追いつくまでの時間を稼ぐように、白いバンの進行方向とは垂直になるような方向に走った。
遼はそれを見て、最短距離で充希たちの方へは向かわず、三人が走ったあとを辿るように車を走らせた。
「どけぇーッ!」
遼は三人を追いかけるヤツらを後ろからどんどんと轢き殺していった。そしてついに追いついた遼は三人を追い越すと、すぐ乗り込めるように後輪を滑らせ車体を横にし、三人の目の前で車を止めた。
先頭を走っていた充希は後部座席のスライド式ドアを開けると、中へは入らず後ろの二人を待った。麻衣と彩乃は激しく息を切らしながらもなんとか充希に追いつき、充希は二人を中へと詰め込む。
「出せッ!」
充希が叫ぶと、遼はアクセルを踏み込んだ。しかし、充希はまだ完全には乗れてきれておらず、外に出ていた左足を掴まれてしまった。すでに動き出す車の中で、外に放り出されないように助手席のヘッドレストを掴みながら、充希は必死に抵抗する。
「振り払えッ」
「やってるッ!」
しかしいくら振り払おうとしても、ヤツは引きずられながらも両手でしっかりと充希の足を掴んで離さない。
「クッソ!」
充希はイチかバチか放り出されないように踏ん張っていた右足をあげ、ヤツの顔面を蹴り飛ばした。充希はそのまま車内に倒れこんでしまったがヤツは手を離し、地面を転がっていった。充希は態勢を整えると、急いでドアを閉めた。
「大丈夫かッ」
「……なんとか」
「おし、このまま大学を出るぞッ! みんな掴まってろッ」
遼は掴まるように促し、車を走らせ続けた。ドンドンッと鈍い音が何度も車内に響き、そのたびに窓ガラスには血が飛び散った。そしてついに、四人は大学の外へと出た――
*****
「おい、嘘だろ……」
運転していた遼がボソッと言った。充希がすこし身を乗り出して前を見てみると、そこには大学の中と変わらない光景が広がっていた。生きている人間はほとんどおらず、その生きている人間もまさに今ヤツらに襲われている。
「……とにかく街から遠ざかるように走ろうッ」
「……了解、船長ッ」
道路には事故を起こして煙をあげている車などが止まっていたりするものの、幸いなことにまだ車が走れるだけのスペースは空いており、遼は障害物を避けながら街から遠ざかるように車を走らせた――
車を走らせ大学から少し離れても、ヤツらから走って逃げている人や民家から火が上がっていたりする様子が見え、あちこちから悲鳴が聞こえてくる。このことを何か報道はしていないかと遼はラジオをつけてみた。
「――外が静かなようでもドアや窓にカギをかけ、家からでないようにしてください。外出中の方はご自宅に避難するか、指定緊急避難場所へお急ぎください。只今、暴動事件が発生しております。住民の皆様は――」
ラジオでもこのことを報道していた。しかし詳しい情報は一切なく、この騒ぎのことも暴動事件として取り扱っていた。
「暴動だ? ふざけんなッ」
この騒ぎを暴動として扱っていることにイラついている様子の遼。充希はポケットからスマホを取り出し、何か情報はないか調べてみることにした。
「だめだ、アクセスが集中してるのか全然ネットに繋がらねぇ」
すると次は自分の母親に電話をする充希。
「……クッソ、電話もダメだ」
「大丈夫かな……」
充希たちは進学を機に越してきた上京組で、両親とは離れて暮らしている。こんなことになってしまい家族を心配をするも、電話が通じず安否の確認が取れない。今はただ地元ではこの騒ぎが起こっていないことを祈ることしかできなかった。
「そういえば、彩乃ちゃんは実家通いだよね?」
「……うん」
レスポンスの遅さが気になった充希が彩乃を見てみると、彩乃は下唇を噛みながら少し俯いていた。その様子を見て、何かを察した充希、遼もそれについては何も触れなかった。
*****
「あぁ……マジかよ……」
「どうした?」
しばらく車を走らせていると、運転していた遼がまたしても嘆いた。外からは何台ものクラクションが絶え間なく聞こえてくる。充希が前方を確認してみると、なんと目の前では渋滞が発生していた。こうして四人は足止めをくらうこととなってしまった。