第四話 救出
「入るぞ……ッ」
こうして二人はまた戻ってきてしまった、悪夢の始まった場所に――
自動ドアを通り建物の中へ入ると、中はひどい有様だった。体の一部だったものが落ちており、床や壁には大量の血が散っている。見えるところにヤツらはいなかったが、念のため充希は口の前に人差し指を立て、静かに行動するよう合図すると、さらに中へと足を進めた。歩いていると時折、血だまりを踏んでしまいピチャピチャと嫌な音がする。
「ウ……ッ」
それまで堪えてはいたが、あまりに悲惨な光景に麻衣は吐き気を催した。
「大丈夫か?」
「……大丈夫、行こう」
充希は麻衣の背中を軽くさすってあげた。
「92C教室って遼は言ってた。上へあがろう…ッ」
九号館の二階に位置する92C教室、二人は彩乃を見つけるべく、そこを目指すことにした。
*****
二階へ上がると、そこには一階と同じような光景が広がっていた。二階の廊下も大量虐殺でもあったかのようなおびだたしい血で染まっている。しかしここにもヤツらの姿はなく、二人はなるべく足音は立てないように92C教室に向かった。
92C教室の前まで来ると充希は麻衣に手のひらを向け待機するよう合図をし、教室の扉に耳をあてがった。そして中から物音がしないことを確認すると、ゆっくりと扉を開けて中を覗いてみるが、そこに彩乃の姿はなかった。
「彩乃ちゃんッ」
大きい声を出さないように声を薄くして呼び掛けてみるも、やはり返事はない。
「もしかしてもう……」
嫌な考えがよぎる麻衣だったが、充希はまだ諦めていなかった。遼が命がけで作ってくれチャンス、この教室にいなかったからといって“はい、そうですか”と帰れるはずもない。
「……もう少し探してみようッ」
二人は小声でやり取りをすると、他の教室も覗いてみることにした。
隣の教室の前まで行くと、先ほどと同じように充希は扉に耳をあてがい中からの音を確認した。またしても中から音がしなかったので扉を開けてみると、一人の女性が教室の真ん中で二人に背を向けて立ち尽くしていた。
「彩乃ちゃん……?」
茶髪で背中まであるロングヘアー、彩乃の髪型と似ていて後ろ姿から判別出来なかった充希は恐る恐る呼び掛けてみた。その女性がゆっくりと振り向くと、顔や胸のあたりは血まみれで目はひどく充血しており、その瞳は灰色がかっていた――
ヴォォオオオッ
大きな声をあげると、ヤツは充希の方へと走って来た。
「クソッ!」
充希が急いでドアを閉めると、走ってきたままの勢いでヤツは扉に体当たりしてきた。必死にドアノブを押さえながら扉が開かないようにするも、ヤツはうめき声をあげながら何度も扉に体当たりをしてくる。
「ンッ! クソッ」
大きな音が立っており、このままでは他のヤツらが気付いて寄ってくるかもしれない。しかし、身動きが取れない。麻衣だけでも逃がすべきか、充希がそう考えた時だった。
「……大丈夫だと思う」
麻衣が口を開いた。
「何がッ」
「離して大丈夫だと思う……」
「なんでッ」
「……開け方をきっと知らない」
たしかに何度も扉に体当たりされてはいたが、ドアノブはなんともなかった。妙に納得してしまった充希は恐る恐るドアノブから手を離し、そしてドアから少しずつ離れた。するともう扉を押さえていないのに、ヤツは変わらず扉に体当たりを繰り返していた。
「……逃げようッ」
これ以上は危険だと判断した充希は、逃げることにした。これが断腸の想い、苦渋の決断であると分かっていた麻衣もこれに従った。二人は来た道を走って戻り、そして階段を降りようとしたその時、麻衣が突然足を止めた。
「どうした?」
「待ってッ」
麻衣はそう言うと階段は降りず、走ってきた道をまた引き返していってしまった。
*****
「彩乃……?」
麻衣は女子トイレの中へと入ると、恐る恐る小さな声で呼びかけた。個室の扉がひとつ閉まっており、そこからしくしくとすすり泣く声が聞こえる。
「……誰?」
「麻衣、麻衣だよ……」
個室の中から女性の声が聞こえ、麻衣がそれに答えると、ゆっくり個室の扉が開いた。麻衣が中を覗いてみると、そこにいたのは便座に足をあげて体育座りをしている彩乃だった。
「麻衣ッ! ……麻衣ぃ!」
麻衣の姿を見ると彩乃は顔をくしゃくしゃにしながら泣きじゃくり、麻衣に抱きついた。
「麻衣ぃ! もうダメかと思ったッ、本当に……」
「大丈夫…大丈夫だよ……」
すると充希も後を追いかけてそこへやって来た。
「充希君ッ!」
「彩乃ちゃんッ! よかった、本当にッ。はやく遼と合流しよう」
充希は一瞬、安堵した表情を見せたが、すぐに険しい顔になり脱出を促した。
「遼もいるの?」
「ここにはいないけど、君のことを本当に心配していたよ」
「遼……」
「とにかくここから出よう」
感傷に浸っている暇はなかった。三人は遼と合流すべく、女子トイレを後にした――
三人が廊下へ出ると、廊下の奥に一人の女性が立っているのが見えた。それは先ほど彩乃を探している最中に遭遇し、教室に閉じ込めておいたはずのヤツだった。
「どうして……」
麻衣は自分の考えが間違っていたのかと戸惑ったが、実際はそうではなかった。扉は教室の前後についており、二人が閉めたのは後ろの扉だけだったのだ。ヤツは女子トレイから出てきた三人にすぐ気付き、三人に向かって走ってきた――
「走れぇええッ」
充希が叫ぶと三人は一斉にヤツとは反対側の階段に向かって走り出した。彩乃は恐怖でどうにかなってしまいそうだったが、必死に足を回した。そうしてなんとか階段までたどり着くと、充希が先頭で三人は階段を下りた。しかし、充希が踊り場まで下りたその時だった。
ヴォォオオオッ
下から別のヤツが現れ、階段を駆け上がって来た。それを見た彩乃は体が固まってしまった。前からも後ろからもヤツらが来ている、逃げられない、教室で無残な死に方をした友人のように私たちも殺される、そう思ってしまったのだ。
「どけぇええッ!」
充希は下から上がってくるヤツをギリギリまで引き付けると、右足で顔面を押すように蹴り飛ばし、ヤツはそのまま階段を転げ落ちていった。
「今だッ!」
充希は階段を急いで駆け下りて行くが、彩乃はまだ動けずにいた。そうしている間にも後ろから来ていたヤツが階段の上まできている。その時、麻衣が名前を叫び、彩乃の手を取った。
「彩乃ッ!」
彩乃は一瞬ビクッとするも体が動くようになり、二人で階段を駆け下りた。二人が階段を降りきった時、充希が蹴り飛ばしていたヤツがもう起き上がろうとしており、二人は急いで充希の後を追いかけた。
少し前を走る充希は先に出口に辿り着き、自動ドアを開けると上に手を伸ばし、電源スイッチを切って二人を待った。ヤツらはまだ追いかけてきている、二人は手を取り合いながら必死に出口に向かって走った――
そして、二人が自動ドアを通り過ぎると充希は手動で自動ドアを閉めた。追ってきていたヤツらはそのままガラスにぶつかり、なんとか締め出しに成功した。
「良かった……二人とも大丈夫か」
二人は息切れしており、ひざに手をつきながら頷くだけだった。自動ドアのガラスをヤツらは叩き続けており、まだ安心は出来ない。呼吸が完全に整うのを待たずに、三人はすぐに歩き出した――
*****
「マジかよ……」
三人が広場へ出ると来た時とは違い、生きている人間は一人もおらず、代わりに大量のヤツらが徘徊していた。ひとまず作戦を練ろうと近くの低木に身を隠そうとした、その時だった。
ヴォォオオオッ
ヤツらの一人が三人の方を見て叫びはじめ、その近くにいたヤツらにも存在を気付かれてしまった。次の瞬間、ヤツらは一斉に三人に向かって走り出した。