第十話 計画
「頑張れッ! 彼女にまた会いたいんだろッ」
鈴木はそう言うと背中側から脇の下に手を差し入れ久保を引きずりながら運び始めた、エレベーターの方へと。
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会見では傷を負ってから発症するまでの時間は数秒から三時間だと発表していた。しかし、充希たちがスーパーに逃げ込んでからまだ十五分程度しか経っていない。充希は危惧していた、この建物の中に噛まれた人がいるかもしれないことを。
充希は事務所に残り二階と一階の避難経路を確認すると、監視カメラのモニターの前に移動した。そして――
「クッソ!」
監視カメラで一階での異変にいち早く気付いた充希は事務所を飛び出し、すぐさまエレベーターへと向かった。エレベータの前へ着くと充希はエレベータの呼び出しボタンを押し、膝に手をついた。するとそこへ充希の慌ただしく走っていく様子に見かけた遼がやってきた。
「どうした……?」
「噛まれてる奴が下にいたんだよッ」
「…………」
遼は言葉を失った。
「麻衣たちを頼むッ! 二階も安全かは分からない!」
「一階のヤツらが上がってきたらどうする……」
「それはないッ! いいから行けッ!」
一階と二階を繋ぐのはエレベーター一基と充希たちが入ってくる時に使った外付けの階段だけ、そのことを把握していた充希はエレベーターさえ押さえておけば下から誰かが上がってくることはないと知っていた。一刻を争うので詳しい説明は省いたが、遼は充希を信じて何も聞かず休憩室へと走り出した――
事務所を出てからエレベーターのボタンを押すまでおよそ十数秒、もしもその十数秒の間に噛まれた彼らがエレベーターに乗って上がってきていたら――
充希はまだ腰に挟んでいたモンキーレンチを構えた。
*****
鈴木はなんとか久保をエレベータの前へと運び、呼び出しボタンを押すが、エレベーターは既に二階へと向かっていた。
「クソッ!」
売り場の方からは絶えず悲鳴が聞こえている。バックヤードにヤツらが入ってくるのも時間の問題だった。エレベーターが行って戻ってくるまでの時間、およそ五十秒――
「クソッ……いてぇ……」
「我慢してくれッ」
喰いちぎられた久保の首からはもの凄い勢いで血があふれ出しており、久保の意識はだんだん遠のいていた。鈴木は久保の傷口を押さえながら、エレベーターを待った。普段ならあっという間の五十秒がいまの鈴木には永遠のように感じた。そして、鈴木は思い出したかのようにインカムに手を伸ばした。
「店長ッ! 店長ッ、下に感染者がいて久保が怪我しましたッ! 今からエレベーターで上がるので救急セットの準備をお願いしますッ」
「下に感染者……分かったッ、エレベーターの前で待機しておくッ」
あと三十秒、鈴木は久保の傷口を押さえながらただ息を潜めて祈ることしか出来なかった。自分を落ち着かせるために深呼吸をし、久保とバックヤードの入り口を交互に見ていた。久保の顔色は青白くなっていき、売り場から聞こえてくる悲鳴の数もだんだん減ってきている。いつヤツらがバックヤードへ入ってきてもおかしくない、傷口を抑える鈴木の手は震えていた。
そして五十秒経ったとき、ついにエレベーターは降りてこなかった。
*****
「アンタ何してんだッ!」
すごい剣幕で怒鳴る店長の視線の先にはエレベーターを止めている充希がいた。充希はエレベーターのドアに段ボール箱を挟み、ドアが閉じないようにしていたのだ。
「下に感染者がいたんです。だから感染者が上がってこれないようにしています」
「だからなに勝手な事してくれてんだよッ! 怪我したうちの従業員がまだ下にいるんだよッ、いいからはやくそれ退けろッ!」
「出来ません」
「あ?」
店長はドスの効いた声で充希に迫った。
「噛まれたんですよ、もう感染したんです」
「アンタなんなんだよッ、いいからどけッ!」
二人の言い争いを聞いて人が集まってきた。彼らはどちらの味方をするでもなく、ただ二人を不安そうに見つめている。その中には遼たちの姿もあった。すると、店長のインカムに反応があった。
「店長ッ! エレベーターが降りてこないですッ! いったいどうなってるんですか!」
「もう少しだけ待ってくれッ、俺がなんとかする! お前は大丈夫か!?」
「僕は大丈夫ですけど、久保はかなりヤバいですッ」
インカムは鈴木からだった。すると突然、店長は充希の胸倉を掴んだ。
「オラッ、まだ生きている人間だっているんだぞッ! 分かったら早くどけッ!」
「……イヤです」
「んだと? 見殺しにすんのか?」
「アンタも分かんねぇ人だなッ! ヤツらがエレベーターに乗って押し寄せてきたらアンタ責任取れんのかッ!」
「じゃあ、アンタは見殺しにして責任取れんのかッ!」
二人の言い争いがヒートアップしてきたその時、また鈴木からのインカムが入った。
「店長……久保が……死にました」
「……すまない、今エレベーターを降ろすから待ってろ……」
店長は充希の襟から手を放した。
「死んだよ、どいてくれ」
店長は充希を軽く押しのけドアが閉じないように挟んであった段ボール箱に手を掛けた、その時だった。
「アンタ何してんだ?」
充希が店長を見下ろしながら言い放った。
「噛まれた奴はもう死んだよ、もう一人は無事のようだから――」
「エレベーターは降ろさない」
「は?」
店長は振り返り、きつく言い放つ充希を睨みつけた。
「下には他にもヤツらがたくさんいる。それに死んだってことはヤツらになるってことだ。今からエレベーターを降ろしても間に合わないし、二階にいる俺たちが危険になるだけだ」
「お前ふざけんなよマジで……」
今にも店長が充希に殴りかかりそうになったその時、一人の従業員が駆けつけ、そして言った。
「店長ッ! 鈴木も……襲われました……」
監視カメラで一階の状況を見ていた従業員が鈴木も襲われたのを確認した。それを聞いて店長はゆっくりと立ち上がり、次の瞬間、充希の右頬を殴りつけた。
「アンタのせいだぞッ! アンタが殺したんだよッ!」
こうして一階の人たちはバリケードを作っていたため外へ逃げることも出来ず、一人残らずヤツらになってしまった。
*****
休憩室に戻った充希たちだったが、会話はない。充希はみんなを助けるためとはいえ見殺しにしたことに罪悪感を感じているのかひどくうなだれており、遼や麻衣もなんと声を掛ければいいのか分からないといった様子だった。そして休憩室にいる他の人たちの充希を見る目は冷ややかで、充希の方を見ながらヒソヒソと何やら話していた。
「ねぇ、ちょっといい?」
そんな時、一人の女性が充希の後ろから声を掛けてきた。充希が振り返ると彼女はまた言った。
「話があるの。二人きりで」
二十台半ば、白いキャップを被った茶髪のロングヘアのその女性と充希は面識がなかった。充希が返事に悩んでいると、近くでそれを聞いていた遼が割って入って来た。
「文句があるならここで言えよ。下で死んでしまった人には申し訳ないけど……こいつのおかげで俺たちはまだ生きてるんだよッ。アンタたちは力づくで充希を排除することも出来たのに、ただ見ているだけでそれをしなかったッ! こいつに責任を押し付けるなよッ! だいたいアンタたちは――」
「遼ッ! もういいよ」
充希は遼を制止し、席を立ちあがると言った。
「話聞きますよ、移動しましょうか」
女性は頷き、二人は休憩室を出て行った。さっきとは違い、充希の方を見ながらヒソヒソと話す人はもういなくなっていた。
*****
女性は充希を連れて人のいない方へと歩いて行った。そしてしばらく歩くと立ち止まり、充希の方を振り返った。
「ごめんね、あんまり人には聞かれたくなくて」
「話って何ですか? あなたも僕を責めるんですか?」
警戒する充希に女性はゆっくりと左手をあげた見せた。
「私、結婚してるの」
「……え?」
困惑する充希に女性は続けた。
「ずっと繋がらなかったんだけどさっき旦那から電話が入ったの、無事だって」
「……そうですか」
「いまは災害用シェルターに避難してるんだって」
それを聞いて充希の目の色が変わった。
「そこは安全なんですか?」
「食料もあるし、軍もいるから安全だって旦那は言ってた」
「……なんでそれを僕に……」
すると女性は少し歩き、近くに積んであったスナック菓子を手に取った。
「私さっき二階を見て回って気付いたの、缶詰とスナック菓子、炭酸飲料にアルコール類、二階には保存のきくものしか置いていないって。いちおう水も少しあったけど、これを二階にいる人たちで分けたらどれくらい持つと思う?」
「少しずつ分ければ長くて半年くらいは――」
「一ヶ月ッ」
女性は充希の言葉を遮って言い放った。
「さすがに一ヶ月は短すぎじゃ……それだけあればもっと――」
「あなたは配給制にしてみんなで我慢すればって意味で言ったんだろうけど、そんなのすぐ破綻する。人間なんて結局みんな自分が可愛いし、生き残りたくて必死なの。ここにいる連中だってそう。もしもそんな連中にまともな食糧は無くて、その数にも限りがあると知られたら? どうなるか分かったもんじゃない」
「……」
女性は黙り込んでしまった充希の元に歩み寄り、そして言った。
「ねぇ、私と一緒にシェルターに行かない?」
女性は密かにスーパーからの脱出を画策していたのだった。




