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「俺には就かなくていい、記憶も無理に取り戻そうとしなくていい」
カナタはシロにそう告げた。
カナタは、シロの記憶喪失をどうアプカナタチすべきか考えつくして結果を出した。
記憶が戻るメリットとデメリット、さまざまな観点から天秤にかけた。
そして記憶が戻らないほうがシロの為だと結論を出した。
自然と記憶が戻ってしまうというなら仕方ないが、カナタはシロに対して目の事もあえて言わないことに決めた。
「わかりました」
そう答えるシロに、戸惑いは見られなかった。
■■
シロは団長室から退出した後、思考の渦に溶け込んでいた。
団長が『俺に就かなくていい』と言った時、ああ、俺が傍に居ることはやっぱり嫌だったんだなと思った。
団長自らの身体を投げ打ってでも助ける人物であるという記憶が俺にはない。
こんな信用のおけない人間を身近におくのは嫌だろうが、一応団長に判断を仰ぐべきだと判断し、お伺いを立てた。
記憶を思い出すために仕方ないとはいえ、容認しかねたのだろう。
本当に申し訳が立たない。
……にしても、『色のついて』いくつか質問している際、団長はかなり神妙な面向きでずっと何か考えているふうだった。
何をそんなに気にしているのか気になったが教えてもらえないのだろうか……。
団長はあんなに入れ墨だらけなのになぜか手が美しかった。
記憶にない彼を受け入れようと考えてから、頼んで見せてもらった能力を発動させるために上がった手。
しなやかながらも武骨な指先にドキンとした。
■
団長に突き放されたと感じたシロは、あの日以降、できるだけ団長に近づかないように心がけて生活するようになった。
連絡する必要があることは、さりげなく誰かに仲介役をさせた。
それでもあからさまに避けはしない。
■
<数日後>
シロは今日もせっせと働いている姿をカナタは横目で隠れて伺っていた。
シロの頭の傷が塞がってからは、ずいぶんと精力的に働きだした。
その動きには一見問題はないように見える。
表面上はカナタと仲良くやっていたように見えたし、心配し続けても解決するわけではない、次の街へと歩みを進めていた。
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<数日後>
「いてててー」
「……うぅぅ……」
団員達が腹を押さえて唸るようにトイレに篭っている。
「おまえら、何食ったんだ」
トイレから出てこれなくなった団員がいるとヘルプを求められて足を運んだ。
カナタが腹痛を訴える団員たちに尋ねる。
「えー?」
「おかしなものたべたかなぁ」
団員が達が言う。
「検査してやるから、お前ら出すものだしたら医務室へ来い」
カナタが言う。
「たすかりやすぅ~~~うっ、げええぇぇ」
「あ、りがとう……ございます」
動ける団員たちと共に、腹痛を訴える団員たちを診ることとなった。
動けるメンバーにシロも混ざる。
シロは記憶喪失になってからの初めての医療だった。
シロは一人の団員の前に来た。
目の前の団員を診断しようとの顔色を伺おうとしたのだが思考が急に止まった。
(あれ?)
知識としてはあるはずなのに……
(なぜか顔色のチェックができない)
目の前の団員はシロの動揺に気づいていない。
顔色のチェックは後回しにすることにした。
次に採血をしようにも、動脈に差せばいいという知識が分かる。
注射を刺すべく静動脈を見て手が止まる、なぜか採血が出来ない。
静動脈に注射器を突き刺せばいいと知っているのに。
知識としてはこうすればいいと分かるのに、動けなかった。
(なぜだ、なぜできない)
なぜか治療ができない。
「……おい、おい、シロ!」
大きな声に身体が跳ね、団長の方を見る。
(俺のことを呼んでいたのか)
呼ばれているのに気づけなかった。
注射器を打つ構えで手が止まって震えており、自分の動悸が正常でないことに自身で気づく。
「おまえ……採血はいいから膿盆を持ってきてくれ」
団長に指示をされた。
「あ、ああ、わかった」
返事をして一度深呼吸をして注射器を置く。
ぶわりと滲んだ汗を拭きとり、団長の指示に従うべく行動した。
俺が動揺している間にも、団長がせっせせっせと看病する姿が目に写る。
なぜか俺自身に団員の処置が出来ないため、必然的に団長のサポートに回ることになった。
だが結局、先の事がショックで半ば放心状態であるからほとんど団長を見ているだけだった。
俺は何一つ力に慣れなかった。
自分がどうしてしまったのか分からなかった。
■
体調の崩した団員は一通りの処置が終わった。
ほぼ、今出来ることを終えてひと段落した。
「団長、俺が言えたことじゃないかも知れないが、少し休んでください。
団長以外もみんな医師です。少しくらい任せればいい」
シロは団長の現状にどうしても口を挟まずにはいられなかった。
大人数をほとんど一人で処置してしまった。
これで疲れていないと言う方が不自然だ。
どう考えても無理をしている。
「お前こそ真っ青だぞ、そこで休んでろ」
団長が言う。
「いや、俺はいいですから団長こそ」
「アサギは、薬が効かないからついててやりたい」
言葉を遮るようにかぶせて団長が言い、アサギの方へ行ってしまった。
この人は発言を曲げない人間だなと、これは言っても聞かないやつだなとなぜか自然と分かった。
汚れた手を洗うために洗面所に向かう。
ついでに鏡で自分自身を診てみた。
団長は、俺の顔を見て真っ青と言った。
(これはどういう顔色だ?)
分からない。ただ、鏡越しに自分の顔を見ているのが辛くなって鏡から眼を外し自分の手を見る。何かがおかしい。
それだけはわかった。
この違和感の正体を知りたいのに、もう一度自分の顔を鏡を見るのが怖い。
団員を診ようとしたときも、注射器を差せなかったのも多分同じ理由なんだと推測できた。
その団員とは別に普段から顔を合わすから顔を見ることがトリガーになっているわけでないだろう。鏡だって、今まで見たことは幾度となくある。
無意識に泡が落ち切った手を洗い続ける。
無駄に流した水がジャーと流れたままになっていることに気づき、水を止める。
このままだと正体がわからず気持ち悪くて不快だ。
それならばと意を決して、恐る恐る鏡を見るために目線を上げる。
まじまじと自分を診る機会は早々ない。
(……俺は今、真っ青なのか?)
鏡の中の自分と目が合う。肌の色は普通の――
「、は、……っは」
ゾワゾワと、虫が手足から這いずって登ってくるよう身体感覚が襲った。
鏡の中の自分自身から目が離せない。まるで鏡の自分に取り憑かれたような状況に陥った。
(待て、今はまずい)
やっと潜内が終息したばかりだ。
皆が治療中か、治療する側で休んでいる。
なのにパニックに陥りそうな気配がする。
パニックになったら団長に迷惑がかかる。
分かっているのに身体が震えてきた。
「ふ、ふ、ッは」
俺は医療団体の一員だ。こうなった時の対処法は分かっている。
しかし鏡から未だ目をそられず、生理現象のような身体の震えは収まらない。
さらに息苦しさも感じてきて呼吸困難も併発した。
「はっ、は、は、ふっ……フーフー」
一瞬で緩和できる薬や打破する術はなく、ただ気持ちが落ち着くまでじっと耐えるしかなかった。
助けは呼ばない。一人で対処できる。
耐え続けるが一向に緩和されない。
酸欠で気持ち悪い。
頭の中が真っ白に――
「……シロ? どうした、落ち着け!」
団長の声が聞えた。
俺の気配でか息遣いでか、何で察知したか分からないが、団長が俺の肩を揺すっているのが微かに分かった。
「あ、……は、ッつ、ふ、ハーハー」
続いて、目の前が真っ暗になる。
団長が、俺の目を鏡越しに見入っているのに気付いたのだろう。無理やり俺を鏡から引き離すように後ろから覆いかぶさるように頭と目を覆われた。
「今は何も考えるな、眠れ」
団長の言葉が耳に届く。
その声はこんな時なのに、ひどく落ち着いていた。
団長も疲れていたから落ち着いたように聞こえたのかもしれない。
はたまた俺をパニックから抜け出させるために医者としての無意識な声だったのだろうか。
どちらにせよ団長の声は耳に心地よく、温かみがあった。
言葉がまるで暗示のように腦にスーと入ってきた。
「く、ふっ、ッ、……は、……」
急激に疲労が襲ってきて、急激に遠のく意識に身を任せ、気絶するように眠りについた。
■
「ん、……ん」
シロは腹痛で目が覚めた。
皆と少し遅れて症状が出たらしい。
吐き気を感じてトイレに駆け込む。
「……うえええぇぇ、げええぇ」
トイレで吐いた。
「気分はどうだ? 昨日の事は気にしなくていい、記憶喪失の弊害だろう」
さんざん吐いて、腹痛と吐き気が落ち着いた後、団長が検診してくれる。
皆を見る必要があるときに、俺まで負担を掛けて情けないと思った。
「団長は原因が分かるんですか?」
食中毒じゃなくて、パニックのほうの原因が分かるのだろうか。
「……落ち着いたら話す。とりあえず、シロ自身も含めて診るのは避けろ」
団長が言う。
「……はい。わかりました」
団長は何か知っている。
気になるが、俺も食中毒になってしまってしまいてんてこ舞いだ。
わがままを言わずの頷いた。
そして、食中毒の症状が完全に抜けきるまで、トイレと友達になり、調子のいい時は雑用に徹した。
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「いてっ」
机に頭をぶつけて痛みで眠気が一瞬吹き飛ぶ。半分夢の世界に足を引っ張っていたらしい。酒がよほど回っていたことが伺える。
「シロ馬鹿じゃーん!」
「なにやってんすかー」
頭をぶつけた俺に対して団員たちが野次を飛ばしてきた。
やっと我がホームに平穏が戻ってきた。
俺も含め、皆が訴えた腹痛の正体はカンピロバクターだった。
降りた島で生鳥の刺身を食べたことが原因だと推測される。
現在、盗賊一味の中では皆の完治の祝いにと宴が行われていた。
シロは、団長にずっと気になっていたことを聞くなら今日だと思った。
やっと気になっていたことが聞ける。
宴が解散となった後、俺は団長室へと出向いた。
「団長、あの日の事を教えてもらえますか?」
俺から団長に話を振った。
「ああ、いいだろう。おまえは記憶喪失前、色が見えなかったんだ。だから、できることが限られていた」
それから団長はこう続けた。
今までは医者のすることは一切しなかったのに、見た時には注射器を団員に差そうとして手が止まっていたから声を掛けたそうだ。
記憶では、俺も診察や処置していたはずなのに、確かにモヤがかかったようにぼやけて曖昧だ。
団長が言うにはこの記憶は偽造だということだ。
パニックになったのは、医療行為が色が見えない関係で行ってなかったのに、記憶が混乱していたせいではないかという予想だという。
(色が見えていなかった?)
そのことに違和感しかなかったが、嘘を言う必要性はないだろう。
それから団長は、俺がどういう仕事をしていたかとか、『色について』のエピソードを話してくれた。
聞けば聞くほど衝撃過ぎて現実身がなかった。なぜなら一言、記憶と違うからだ。
団長から語られる話が本当に自分の話だとしたら、情けなさ過ぎて虚しかった。
「へー。俺、船乗りが天気を読めなければ医療集団で医療が出来なかったんですね。
それが本当だとしたら、よくそんな人間を船に乗せてますね。あなたはずいぶん寛容な方だ。
それとも、もしかしてお気に入りだったりして」
ショックからか、話を聞いて返した言葉はかなり皮肉めいたものになってしまった。
「……確かめてみるか?」
そう言いながら、団長は俺に身を乗せてきて、肩と腰に手を回される。
その手つきはなかなかに色っぽい。
「おまえのいう通りだ。オレはおまえを気に入っている。だから今からオレの欲を満たせ」
そう言いつづ続けざまにそのまま服に手をかけた。
(ま、まさか! そのままほんとうに身ぐるみ剥がされて……?)
「……!!」
自分で挑発したのに、団長の行動に何も反応できない。
団長に服をすべて脱がされたところで、恥ずかしいと思うがシラフでは俺から誘惑するだとか、うまく動くことは到底不可能だと思われた。
団長は俺の身体を抱きしめたが、次の瞬間持ち上げられバン!! と床に叩きつけられた。
「そういう展開になると思ったか? 頭を冷やせ、飲みすぎだ」
そう言い、団長がバタンとドアを強く絞められた音だけが部屋に響いた。
何が起こったか、驚きすぎてしばらく動けなかった。
冷静になってきた頭が床に崩れた自分のみっともない姿を想像し、俺は酔いかストレスか、変なスイッチが入っていたことを自覚した。
無様に全裸で倒れていても仕方がないと、服を着て部屋から出た。