第22話
最後の頁に個人情報が書き込める仕様の日記には、ご丁寧に彼女の実家の住所が書かれていた。
祐介は日用品を一まとめにしている部屋の隅のごちゃごちゃした箱からルーズリーフを取り出すと、
彼女の住んでいた部屋に引っ越して来た際に日記を見つけた事、中身を読んでしまった謝罪、取り扱いの一任と、もし日記を公にして事件性が警察に認められた際は自分は関与したくない事をしたためる。
記載されている住所にきちんと届く事を祈って、その日のうちに郵送してしまう事にした。
日記を送った事はどう転ぶか分からない。
遺品は遺族の手元にあるべきだという自分の判断は間違っていないと信じながらも、祐介は不安を拭う為にその足で神社で祈祷を受けた。
それでもやはり、自宅に帰る気にはなれずにその夜は佐倉の家に厄介に。
食事も付いてくる居心地の良い彼の家に暫くずるずると滞在して大学を行き来する事になる。
日記を郵送して3日後の夜。
夢に白いワンピースを着た見覚えのある女性が姿を現す。彼女が何も言わずに静かに微笑みを浮かべる夢を見た祐介は明け方に目を覚ました。
うっすらと瞼を開くと臨界に達した涙の膜がホロリと滴となり零れ落ちる。
胸の奥に虚しく広がる喪失感は、憑入状態だった彼女が剥離した事を表していた。
日記は無事に遺族の手に渡ったのだろう。
卵が先か、鶏が先か。この世にたった一人残してしまった母親に心残りがあったのか、それとも娘が亡くなった事が納得出来なかった母親の念が彼女をこの世に縛り付けていたのか。
少なくとも女手一つで育て上げた娘はパワハラに屈して自殺をした訳ではなかった事は日記を読んだ母親は解っただろう。
母親の手に日記が届き双方が安心した事を、ぽっかりと空いた胸の内が示している。
彼女のこの世との接点となっていた日記と母親への念は解けたのだ。
【彼女】の正体は『佐伯美沙子』。
白いワンピースのよく似合う華奢な人で、祐介の部屋の住民だった女性だ。
あれから2ヵ月。
「一昨年の7月、××区で女性を自殺と見せ掛け殺害したとされ同じ職場に勤めていた松岡容疑者ーー」
最近買ったばかりのテレビから流れていたニュースをブツリと消して、珈琲を飲みきると立ち上がった。大きな背伸びを一つ。
そのまま勢いよくカーテンを開けると太陽の陽射しが部屋の中をキラキラと明るくする。
真夏にぴったりの涼しげな麻のシャツと、ワンウォッシュのジーンズに着替えるとサンダルを履いて祐介は自宅を後にした。
階段を下りると掃除をしている104号室の老人と目が合ったので挨拶を交わす。
彼は「暑いから気を付けて出掛けなさいね」と微笑んだ。
駅前まで歩いて行くと交差点にまだ新しい花が供えてられていた。その横には花をじっと見つめる男の子が居るのが目に入る。
祐介は暫く考えた末、頭を掻くと近くの自販機で冷たいジュースを購入すると男の子と反対側にあたる花の横に供えた。
視線を上げると、駅前のロータリーにある時計が目に入る。
彼との待ち合わせの時間に間に合う電車の出発時間がギリギリだ。慌てて改札を潜り抜けるが、寸でのところで電車は行ってしまう。
祐介は真夏に走った事で吹き出した汗をパタパタと手で扇ぎ「ふぅ」と息を漏らす。
「誰か、私の眼鏡を知りませんか?···知りませんか?」
鼻から上がないスーツ姿の男がホームをうろうろと徘徊している。惨い姿のモノ達をよく見掛けるホームにはギリギリまで居たくなかったが仕方がない。
彼に少し遅れる知らせを一報すると、祐介はホームにあるベンチに腰掛け背中を丸める。
やっとの思いで目的の駅に辿り着くと、待ち合わせの時間を10分程オーバーしていた。当然だが彼からは既に到着の連絡が入っている。
改札を出ると連絡のあった場所の近くまで小走りで向かう。柱に寄りかかっていた彼は此方を見付けてへらりと笑った。
「祐介」
「悪い、佐倉。遅くなった」
「また余計な事に首を突っ込んでたんだろう」
「余計な事ってなんだよ」と佐倉の肩を小突くと二人は肩を並べて目的地に歩み始める。
人混みを掻き分けて進んでいる最中に佐倉は祐介に声を掛けた。
「それにしても祐介からの誘いなんて珍しいな」
「···実は今季の市立美術館の展示が城の歴史と刀なんだよね」
幽霊部員だった「歴史研究会」には、以前よりも顔を出す様にしているが、祐介が実は熱心な日本の城マニアだという事実は佐倉しか知らない。彼は祐介の目的に一つ頷き納得した。
太陽が照りつけ熱されたアスファルトを踏み締める。
美術館に続いている道に添って造られている切れ目のない長いガードレールが、この先も続いていく二人の縁を象徴している様で祐介は可笑しくなった。ひょんな事で出来た隣を歩く親友とは長い縁になりそうだ。
【第一章】完




