9.母と息子の闘い
「エディトの夫ロビンは、情夫に殺されたように工作してエディトを刺殺しました。私はその時のことをずっと夢で見てきたのです。怖くて、辛くて……」
初めて前世のことを人に聞いてもらえて、少し心が軽くなったような気がする。
「リタ嬢?」
ツェーザルは私の話が本当か確かめるように私を見つめている。
嘘をついていると馬鹿にされるかもしれない。錯乱したと思われる可能性もある。それでも、エディトの記憶のことをツェーザルに聞いてもらいたかった。
「二十年前、エディトはディルク様とツェーザル様に出会っているのですよ。隣国との関税についての会談に参加する前シェーンベルク侯爵に同行していましたので。護衛は前ハルフォーフ将軍夫妻と最強軍団。お二人も一緒だったのです」
ディルクとツェーザルは本当に可愛かった。隣国の騎士団に襲われるという恐怖の記憶のはずだけど、あの時の思い出は私を癒やしてくれる。
「二十年前ですか? 私はまだ一歳ほどだったはずですね」
「はい。ディルク様が三歳、ツェーザル様は一歳でした。ディルク様はエディトを助けるために左腕を隣国の騎士に斬られてしまいました。とても痛かったと思うのです。本当に申し訳なかったわ。それなのに、別れ際に大丈夫だと言ってくれて、騎士の別れの挨拶をしてくれたのよ。その様子がとても可愛かったの」
そう言った途端、ツェーザルの顔色が変わった。
「兄上の腕のどのあたりを斬られたか覚えていますか?」
ソファから身を乗り出すようにして、真剣な目で私を見つめるツェーザル。
「肘より下の部分よ。それほど深くないけれど傷痕が残るって」
身を乗り出したまま、ツェーザルは何かを考えているのか私から目線を外した。昔の記憶を思い出そうとしているのかもしれない。
「そんな馬鹿なことが……」
しばらく宙に目線を泳がせていたツェーザルが小さく呟いた。
馬鹿なことだと思うのは当然で、信じてもらえるとは思っていなかったけれど、それでも、ツェーザルの口からその言葉を聞くのは辛かった。
目を伏せると、膝に置いた私の手に冷たいものが落ちてきた。それが、自分の涙と気がつく。
「申し訳ありません。変なことを言ってしまいました」
私は笑ってごまかそうとしたけれど、やはり涙がこぼれた。
「ツェーザル! 女性を泣かせているとは、どういう了見なのです! 成敗してくれるわ」
部屋のドアは半分開けられていて、通りかかった前ハルフォーフ将軍夫人が私の泣き顔を見たらしい。
あれから二十年も経っているはずなのに、彼女は当時と差がないぐらいに若く見え、格好良く騎士服を着こなしていた。惜しむらくは彼女の表情が憤怒で歪んでいることだった。
部屋に飛び込んできた途端に剣を抜いた前ハルフォーフ将軍夫人がツェーザルに斬りかかった。
ツェーザルも剣を抜き、母親の剣を受け止める。金属同士のぶつかる音が思った以上の大きさで部屋に響いた。
私は驚きのあまり涙が止まり、呆然と二人を見つめるしかできなかった。
「母上、リタ嬢が驚いているではありませんか。剣を引いてください」
「しかし、お前が女性を泣かせたりするのが悪いのであって」
剣を押し合ったまま口喧嘩が始まりそうだったので、とりあえず止めることにした。
「違うのです。ツェーザル様は気分が悪くなった私をこの部屋に連れてきてくださっただけです。話しているうちに過去の辛い記憶を思い出してしまって、私が勝手に泣いてしまっただけですので、ツェーザル様のせいではありません。どうか、剣をお収めください」
前ハルフォーフ将軍夫人の私を見る眼差しは思った以上に優しかった。
「わかりました。リタさんに免じて剣を引きましょう」
私はほっとしてソファに深く座り直した。
「ところで、母上。兄上は腕に古傷がありますが、その傷を受けた時のことを覚えていますか?」
「ええ、もちろんよ。あれは二十年ほど前のことだったわ」
夫人はツェーザルの問いに不審そうな顔をしていたけれど、彼の隣に座って語り出した。
「私たちは前シェーンベルク侯爵とその令嬢エディトさんを護衛する任務に就いていた。隣国からの帰り道、護衛として同行していた隣国の騎士たちが、卑怯にも突然襲ってきた。その時、私とディルク、そして、ツェーザルがエディトさんの乗った馬車に同乗していたのよ。私がドアを開けようとした敵兵を倒している間に、反対側のドアが無理やり開けられて、エディトさんが連れ去られそうになったところをディルクが止めようとして、相手に斬られてしまった」
眉間に皺を寄せて考えながらツェーザルは母親の話を聞いていた。
「それでもエディトさんを守ることができたので、夫はディルクを褒めたわ。この国の未来を守ったって。ディルクは痛くて涙を流していたけれど、父親に褒められたのが嬉しそうだった」
確かにディルクは唇を噛んで涙を堪えていた。たった三歳なのに誇り高い騎士だと思った。
「そうそう、ツェーザルはエディトさんに抱っこしてくれと何度もせがんでいたわね。エディトさんは私と違ってお胸が豊かだったから、顔をうずめると気持ちよかったのでしょうけど」
確かに、ツェーザルは何度も抱っこと言って手を伸ばしてきた。そして、彼を抱き上げると天使のように笑い、胸に顔を押し当ててすやすやと眠るその姿は、本当に可愛かった。
「は、母上、何を言い出すのです! 慎みを持ってください」
「王都に帰り着いてお別れする時には、ツェーザルがエディトさんに抱き上げてもらうと、彼女の指を掴んで口に含んだのよ。私は貴方が将来女たらしのなるのではないかと心配したのだから。それなのに、どうしてこうなったのかしら」
ツェーザルが止めるのを無視してしゃべり続けた前ハルフォーフ将軍夫人は、ツェーザルの顔を覗き込むように見てため息をついた。ツェーザルの顔が真っ赤になった。
「母上、いい加減にしてください。私が一歳の時のことなど、話さなくても結構ですから」
「あら、貴方が訊いてきたのではなくて?」
母親に睨まれたツェーザルは、悔しそうに唇を噛んでいる。
「エディトさんは優しくて優秀な令嬢だったのに、若くして亡くなってしまって本当に気の毒でした。騎士団はせめて犯人を探そうとしたのだけれど、エディトさんの醜聞を暴かないで欲しいと、父親と夫から捜査を打ち切るようにとの申し出があって。私たちは彼女に情夫がいたなんて信じられないので、捜査を続けさせて欲しいと頼んだのだけど、聞き入れてもらえなかった」
エディトを信じてくれる人がいた。それは泣くほど嬉しいことだった。
「リタさん、悲しい話をしてごめんなさい」
再び涙を流し始めた私を心配してくれている前ハルフォーフ将軍夫人に、私は頭を横に振った。
「違うのです。少し驚いただけで」
「それならよかったわ。私は夜会に行きますので失礼するけど、リタさんはゆっくりしてくださいね」
そう言うと前ハルフォーフ将軍夫人は嵐のように去っていった。
「騒がしい母で申し訳ない」
ツェーザルが頭を下げるけれど、私は彼女に会えてとても嬉しかった。
「二十年前と変わらず格好良い女性で、本当に羨ましいです」
「母は私などよりよぼど御婦人たちに人気がありますからね。言っていて、涙が出そうになりますが」
「ツェーザル様は素敵ですよ。お父様とそっくりだし。二十年前とあまりに変わっていたのでびっくりしましたけれど」
私は大胆なことを言ってしまったと後悔したけれど、ツェーザルは嬉しそうに微笑んでくれた。
「リタ嬢の記憶と母の話が一致しましたので、信憑性が高いと思われます。一度騎士団においでいただけませんでしょうか? 優秀な軍医がいますので、貴女のことを相談したい。そして、ロビンの罪を暴きたいと思います」
「はい」
ツェーザルの言葉が嬉しくて、私は即座に返事していた。




