5.二十年の時を越えて
微動だにせず墓を見上げるように立っていたハルフォーフ将軍の像が突然動いた。
私は懐かしくて泣きそうになっていたけれど、あまりの驚きのために涙が引っ込んでしまった。ありえないことが起こった恐怖で、私は目を見開いたまま後ろに下がろうとしが、木の根につまずいて倒れそうになる。
「危ない!」
大きなハルフォーフ将軍の像が、私の手を掴んで倒れないように支えてくれた。彩色された金属かと思った大きな手は、人の手のように暖かかった。
「ハルフォーフ将軍、閣下?」
まさか若い姿で甦った? 私がハルフォーフ将軍に逢いたいと願ったから、神様が叶えてくれたの?
「いえ、将軍は兄です。私ではありません」
そう言うハルフォーフ将軍にそっくりの人物を、私はじっくりと見つめた。澄んだ緑の目がせわしなく動いていて、彼は像でも幽霊でもなく、生きている人間で間違いなさそうだった。
「ハルフォーフ将軍閣下の弟さんなのですか? 閣下にとても良く似ていますね」
「そんなこと初めて言われました。体格はほぼ一緒なのですが、兄は優しそうな顔をしていて、私は父に似て顔が怖いですからね」
目の前の人物は驚いたようにそう言った。
父に似ている? まさか……
「もしかして、父と間違えていますか?」
「は、はい。以前ハルフォーフ将軍閣下に助けていただいたことがあって、それで、今日はお墓参りの来たのですが、閣下の像が設置されていると思ったら、動き出したのでとても驚いていたところなんです」
私がそう言うと、ハルフォーフ将軍のそっくりさんが楽しそうに笑った。
怖い顔なのに少し可愛い笑顔は、あの時のハルフォーフ将軍と同じ。私は彼の笑顔から目が離せなくなる。
「ありがとうございます。父を忘れずにいてくれて。それにしても、まさか父の像と間違われるとは思いませんでした」
豪快に笑う男性。その笑顔はやはりハルフォーフ将軍にとても似ている。
「お兄様の名はディルク様?」
あの可愛かったディルクが青碧の闘神と呼ばれる将軍となっていることは知っている。そして、彼の弟ということは……
「はい。兄の名はディルク。我が国の偉大な英雄です。今は初恋の女性と結婚して、少々色ぼけしているかもしれませんが」
「まさか、貴方はツェーザル様?」
目の前の男性は、あの可愛かったツェーザルと似ても似つかないほど厳つい。
「そうです。私はツェーザル。どうぞ、お見知りおきを」
幼いディルクがしたように、ツェーザルは片膝をついて私の手を取り唇を近づけた。
このように淑女として扱われたのはリタとなって初めての経験だった。恥ずかしくて、そして、嬉しい。私の顔が上気するのがわかる。
一歳のツェーザルはエディトによく抱っこを求めてきた。騎士である母親よりエディトの方が柔らかくて寝心地が良かったのか、抱き上げるとすぐにすやすやと眠ってしまう。その寝顔はまさに天使。あまりの可愛いさに、家に連れ帰りたいとの欲望を抑えるのに苦労したぐらいだった。
国に帰って別れの時に、ツェーザルを抱き上げると指を捕まれ口に含まれ甘噛された。あの頃は身悶えするぐらいにかわいかったツェーザルだったのに、二十年の年月を経て、厳つい男性に変わってしまった。
あまりの変化に、私はツェーザルをじっと見つめてしまっていた。
「どうかされましたか?」
固まってしまった私を心配したように、ツェーザルは私の顔を覗き込む。
「な、何でもないです。私はソルヴェーグ子爵が娘、リタと申します。よろしくお願いします」
赤い顔を見られてしまうのが恥ずかしくて、私は俯いたまま挨拶をした。
「ツェーザル様は、本当にお父様のハルフォーフ将軍閣下と良く似ていますね」
ツェーザルの姿形だけではなく、立ち振舞もハルフォーフ将軍を彷彿させる。
「よく言われます。優しそうな兄よりも私の方が将軍に相応しいのではないかと言う人までいるんですけどね。もし私が将軍になっていたら、この国は潰れていたかもしれません。私には父を超えることができなかった。あの兄だからこそ、この国を救えたのです。兄は国のために様々なものを捨て、多くのものを背負って生きている。兄は紛う方なき英雄です。しかし、兄は父の意に背いたために顔向けができないと思っていて、ここに来ることはありませんから、私が兄の結婚を父に報告していたのです」
力に溺れることも力から逃げ出すことも許されない、そう言って前ハルフォーフ将軍夫妻は、将軍となる幼いディルクに覚悟を教えようとしていた。
敗戦濃厚だった国を勝利に導くことは、どれほど困難だったのだろうか。あの小さくて優しいディルクは、どれほど苦しんで闘神となったのだろう。父を尊敬していたディルクが、父に顔向けできないと思い詰めるようなことすることは本当に辛かったはずだ。
「私たちがこうして無事で生活できているのは、ディルク様のおかげですね」
前ハルフォーフ将軍の墓を見上げながら、ディルクの行いを認めてあげてほしいと願わずにはいられなかった。
「そうなんですけどね。偉大な兄だとはわかっているのですが、最近の兄は義姉に夢中でして、かなり鬱陶しいのですよ。家の中が砂糖まみれになったような甘い雰囲気で、少々いたたまれないのです」
「お幸せそうで何よりです」
「まあね」
両肩を少し上げてそう言うツェーザルは、やはり兄のディルクの幸せが嬉しそうだった。
「お嬢様?」
侍女にそう声をかけられ振り向いた先には、見知らぬ男性と話し込んでいる私を心配して近寄ってきていた侍女と護衛がいた。
「ごめんなさい。もう帰らないと。ツェーザル様、それではごきげんよう」
私はツェーザルに別れの挨拶をして、護衛と侍女を連れて馬車止めまで急いだ。




