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2.前世の初恋

 産業局の局長であるシェーンベルク侯爵は別の馬車で隣国へ向かっている。この二頭立ての馬車に乗っているのは、エディトと将軍夫人、そして、幼い兄弟だけだった。


 ディルクとツェーザルの幼い兄弟は本当に可愛い。エディトは辛い旅も癒やされる思いだったが、何度も紛争を繰り返している国への旅は危険が伴う。このような幼い子どもたちを危険な旅に同行することに疑問を感じていた。

「奥様、この旅は危険だと思うのです。このような幼い子どもたちを連れて行って、本当によろしいのですか?」

 エディトはハルフォーフ将軍夫人に尋ねてみる。まだ国を出ていない。今なら子どもたちを王都へ戻せるだろう。

「エディトさん、息子たちはご迷惑でしょうか?」

 心配そうに夫人が問うた。ディルクはにこにこしながら窓の外を見ていて、ツェーザルはクッションにもたれるようにしてすやすやと眠っている。

「いいえ、本当にいい子たちで、迷惑なんてとんでもない。ただ、危ない目に遭ったら可哀想だと思ったのです」

 一人っ子のエディトは、あまり子どもと触れ合う機会がなかった。髪も頬も柔らかい天使のような二人は、見ているだけで癒やされる。できることならばずっと一緒に旅をしたいと思うが、小さい子どもを危険にさらしたくないとの思いも強い。


「この子たちは将来国の平和を担わなくてはならないの。それと同時にブランデスの全ての騎士という大きな力を手に入れることになる。私はこの子たちに自分が振るうことになる力を見せておきたい。将来、力に溺れてしまわないように。力を使った結果を体に教え込みたい。力に溺れてはいけない。力から逃げることも許されない。この子たちが生きるのはそういう世界だから」

「申し訳ありません。私が口出しするようなことではありませんでした」

 微笑む将軍夫人の顔に確固たる決意を見て、エディトは謝ることしかできなかった。


「ぼくは、とうさまやかあさまのようにつよくなって、おおきくなったら、ぼくだけのおひめさまをたすけるんだよ。ぼくをまっているおひめさまがいるんだって」

 重くなった雰囲気を察したのか、窓から目線を外して車内を見たディルクは、嬉しそうにそう言いいながら、腰に差した短剣を少し抜いてみせた。刃はちゃんと磨かれている。強き者は弱き者のために力を振るう。それが騎士団の誇りであり、ハルフォーフ将軍夫人が身をもって息子たちに教えたいことだった。

「そのお姫様が羨ましいわ。ディルクは物語のように素敵な騎士様になるのでしょうね」

 柔らかく微笑むエディトに、ディルクも嬉しそうにしていた。



「だっこ」

 兄の笑い声に目を覚ましたツェーザルは、座席を降りてエディトに手を伸ばした。寝ぼけて母親と間違えたのかと思ったエディトだったが、ツェーザルの脇の下に手を差し入れて抱き上げる。彼を膝に乗せて背中を緩くかかえると、ツェーザルは気持ちよさそうに目を閉じて、再び寝入ってしまった。

「可愛い」

 エディトは思わず呟いていた。 




 五日の旅を経て隣国の王宮に着いた。


 関税に関する会談の場に、護衛であるハルフォーフ将軍の同席は認められなかった。将軍は隣国に抗議したが、会談の場に武力は相応しくないと押し切られ、別室で待機するしかなかった。その代り、隣国も武官を参加させないとの確約を得た。

 

 会談には隣国から宰相と数人の事務官が参加していた。ブランデスからはシェーンベルク侯爵父娘のみであった。

 産業局局長のシェーンベルク侯爵は細身で小柄な男性である。四十歳をいくつか超えているが、年相応の威厳もなく舐められているとエディトは感じていた。同席した十六歳のエディトも当然舐められている。

 高圧的な態度で会談を有利に進めようとする隣国の出席者たち。しかし、シェーンベルク侯爵は大国の経済を担う人物である。交渉には長けていて、自らは隙を見せることなく相手を論破していった。エディトも書類を繰りながら正確な数値を算出して援護を行う。その速さはシェーンベルク侯爵がこの会談に同席を願うのに十分な能力であった。

 

 いつしか、ブランデスに有利な条件で会談は締結した。

 エディトは初めて間近で父親の本気の交渉を見て、一層尊敬の念を深めていった。




 ブランデスにかなりの有利になる協定の締結に、隣国の軍部は納得しなかった。

「娘を人質にして、再度交渉の席に着かせよう。今度はこっちに有利になるような協定を結んでもらう」

「高々五十名の護衛だ。我々は二百名もあれば事足りるだろう。王都を出たところを襲うぞ」

 隣国の将軍は王弟である。宰相に相談なく挙兵を決めた。

 


「お父様はすごく格好良かったのよ。私も早くあのようになりたい」

「我が国に有利な協定を結べたのですね。さすが産業局の局長。エディトさんも活躍したと聞いていますよ。同席したかったわ。残念」

 目を輝けせながら父を語るエディトを、将軍夫人は微笑ましく見ていた。

「ぼくのとうさまもかっこういいんだよ」

 胸を張って自慢げに言うディルクの頭を、エディトが優しく撫でる。ツェーザルは相変わらずすやすやと眠っていた。

 交渉が上手くいったこともあって、馬車の雰囲気はかなり緩んだものになっていた。



 突然聞こえてくる馬のいななき。馬車が急停車した。そして、怒鳴り声が響き渡る。

 一瞬で顔を険しくした将軍夫人が剣を抜く。幼いディルクも母に倣い短剣を抜いた。

「エディトさん、落ち着いてね。絶対に守り抜くから」

「ぼくもまもるから」

 武人の母と子は、剣に誓いを立てる。

 ツェーザルは目覚めることなく天使のように可愛く眠っていた。エディトは素早くツェーザルを胸に抱く。一瞬目を開けたツェーザルだったが、エディトの腕の中が気持ちよかったのか、再び目を閉じた。


 剣戟の音が確実に近づいてきている。エディトはツェーザルが腕の中にいることを感謝した。自分以外の暖かさを感じることで、随分と落ち着いていられるような気がする。もし一人だけであったなあらば、この状況に緊張して大きな悲鳴を上げてしまっていた。


 夫人が剣の柄を両手で握り馬車のドアを突き刺した。悲鳴とともに何かが下に落ちる音がする。それと同時に反対側のドアが開いた。

 剣をドアから引き抜く動作が入り夫人の対応が遅れた。隣国の騎士がエディトの腕を掴み、馬車から引きずり降ろそうとする。

 ディルクの短剣が翻り、男の腹を突いた。しかし、鎧を貫くことはできない。隣国の騎士は剣をディルクに向けて振り下ろす。

 咄嗟に短剣で身を庇うディルク。しかし、圧倒的な力の差があるため、押されて腕を切られてしまった。

 切られた袖から見えるディルクの腕に赤い線が浮かんでおり、みるみる内に玉のような血がにじみ出てきた。

「子どもに何ということをするのですか!」

 ツェーザルを胸に庇いながら、エディトは敵を怒鳴りつけた。

「いいからこっちへ来い。殺したりしないから」

 隣国の騎士が再びエディトに手を伸ばす。

 反対側からも敵が乗り込んで来て、将軍夫人はそちらの敵と交戦して、エディトを助けることができない。



 その時、エディトを掴もうとしていた腕が飛んだ。

「遅くなって済まない。敵はあらかたやっつけた。もう心配はない」

 血で濡れた剣を片手に厳ついハルフォーフ将軍が現れた。

「とうさま、いたいよ!」

 それまで泣くのを我慢していたディルクが、父の顔を見て気が緩み、大粒の涙を流しながら大声で泣き始めた。

「ディルク、泣くな! お前は騎士だ。エディト嬢を守って怪我をしたんだろう? それは騎士にとって勲章だからな」

「閣下、そんな言い方はないでしょう! ディルクはまだ三歳なのですよ。泣いて当然です」

 ハルフォーフ将軍のきつい物言いに反抗するエディト。

 将軍夫人は素早くディルクを抱き上げ、腕の傷を清潔な布で拭ってきつめに縛った。

「大丈夫よ。少し傷痕は残るかもしれないけれど、手が動かなくなるような傷ではないわ」

 それを聞いてエディトは心底安心して座席にへたり込んだ。その衝撃で腕の中のツェーザルが目を覚まし、不思議そうな顔でエディトを見上げてくる。その天使のような顔を見て、エディトの気持ちは随分と落ち着いてきた。


「ディルク、よく頑張ったな。エディト嬢はこの国の将来に必要な人物で、我々が命に代えても守る価値がある」

 ハルフォーフ将軍が大きな手をディルクの頭に置くと、ディルクは必至で嗚咽を止めようと唇を噛んだ。

「エディト嬢、できれば我が息子を褒めてやってくれ。我が国の未来を守ったのだから。そして、我々が守る価値があると認めた貴女は胸を張るといい」


 ハルフォーフ将軍の笑顔が向けられた途端、エディトは電撃を受けたように体に衝撃が走った。

 命に代えても守る価値があると言われたことで、シェーンベルク侯爵の補佐としての自分の役割を認められたと感じ、エディトは泣くほどの喜びを感じていた。

 それは、エディトの初めての恋だった。

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