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青の犬  作者: 停滞
1/1

青の犬 前

十一月 十四日


 焦げるように真赤な炎が、宵の濃密な藍を背景に煌々と揺らめいている。

 揺らめく炎は何かの建物を包み込んでいた。その建物が何なのかは、燃焼が激しくて判然としない。子細な部分は炎の赤で隠れてしまって、建物の影だけが、何となく確認できる。

 鮮やかな火の粉がパラパラ舞って、黒い煙が立ち上っては闇夜に紛れる。

 火に包まれた建物を背にして、人々が慌しく動いたり、口を動かしたりして、辺りの騒々しさが伝わってくる。

 この建物の所有者にとって、この火事は悲劇的な惨状だろうし、もしもこの建物の中に取り残されている人がいたとすれば、ちらちらと揺れるこの炎はその人にとって絶大な苦痛を与えるものなのだろう。

 けれど、これらの出来事を画面越しに眺めている僕からすれば、不謹慎かもしれないけれど、画面の中で燃え続けるこの炎は、ただ穏やかな暖かさの印象だけを、僕に与えるものだった。




「はー。すっげー燃えてますなー」

 隣の席の青海が言った。

 首筋をふっと冷気を帯びた風が撫でる。

 うちの学校は設備があまり良くないから、冬の時期は快適さに欠ける。教室内は、暖房のある窓側だと、上着を着ていると汗が滲むくらいに熱くなる。暖房から最も遠い廊下側の席は、戸の隙間から熱せられら空気が逃げて、代わりにひんやりとしたものが入って来るからいつも寒い。それが窓側の列の最後尾だと、尚更。

 今は授業と授業の合間の休憩時間。教室の中では、友人と雑談をする者、早弁をする者、机に突っ伏している者、それぞれが思い思いに過ごしている。

 窓側の列の最後尾の席、つまり僕の席の隣の青海が、スマホで何かを見ていた。

 それは動画だった。画面の向こうでは何かの建物が燃えていて、野次馬なのか、何なのか、とにかく人が沢山いて、慌しくしている。

「何見てんの?」

 僕が青海に聞いた。

「これ? 火事だよ、火事」

「それは見ればわかるけど……」

「ほら、最近うちの市であったじゃん、火事。これ、それの動画」

「あー……」

 そう言われてみれば、あった様な気がする。地方のニュース番組で取り上げられていたのを数日前に見たような記憶がぼんやりとあるような、ないような。

「何でそんなの見てんの?」

「いやー、なんとなく? 火事とか怖えーなーとか思って」

「ふーん……よくそんな動画あったな」

「そう? 珍しくもなんともないじゃん。こういう動画って。ほら、最近は皆スマホ持ってるから。何かしら事件があると、大抵誰かが動画撮ってるものだよ、こういうのって」

「へー」

 青海が動画を再び再生する。僕は青海のスマホの画面をなんとなく覗き込む。

 相変わらず建物は燃えていた。人々は右往左往している。何か叫んでいるようだが、ミュートになっているから何を言っているかは分からない。

 ――と、

 画面の端の方で、何かが瞬いた、様な気がした。画面右下の隅だ。

 それは光の玉だった。横に二つ並んでいる。大きさはかなり小さく、画面の中では点のように見える。人々の群がりから少し離れた場所の、地面にかなり近い位置にそれはあった。

 暗がりの中で白く光る二つの点は、犬や狐くらいの体格を有する動物の眼光だとする推測が最もしっくりくる。だが、双眸の持ち主の姿は、暗闇に紛れて良く見えない。おぼろげに輪郭のようなものが見えている様な気もする。何せ光自体が小さいから、よく分からない。

 その二つの眼光は燃え盛る大火でも、騒がしい人の群れでもなく、こちらに向けられていた。

 恐らくはスマホ、もしくはスマホを手にしているこの動画の撮影者を見ているのだろう。

 が、それにしては焦点、と言うか、視線の向きが、妙にずれている気がする。

 二つの光る点はまるで、僕の瞳を見つめている様な。

 両者は画面によって隔てられている筈なのに――――

「おーい、赤松―」

「っ、」

 青海の声で、意識が現実に引き戻される。いつの間にか、動画の再生は終了していた。

「どうした? ぼーっとして」

「いいや、なんでもないんだ」

 今の気味の悪い体験をどうやって青海に伝えればいいか分からないし、伝えるようなことでもない。

 ちょうどいいところで、予鈴が鳴った。

「うげー、もう休み時間終わりかよー。赤松―次の授業ってなんだっけ?」

「四限目は……古典だな」

「うわー古典かよ。さっきの物理でガッツリ寝ちゃった。……寝れるかなぁ」


 授業中、緩やかな速度で進行する授業の中で、手を動かして板書は取りつつも、頭の中では、脳のどこかにこびりついてしまった、二つの光る点に見つめられていたような嫌な感覚に意識を奪われていた。

 ふと、出口のない思考から意識が浮上して、何となく窓の外を見てみる。

 窓の向こうでは薄曇りの空を背にして、柔らかそうな雪がゆったりと降っていた。寒そうだ。この街のどこかで建物を包み混んでいた、あの炎のような熱気は微塵も感じられない程に。

 青海は机に突っ伏して、教科書を頭に被せて寝ていた。




夜。人によっては深夜と感じるかも知れない時間帯。自室で明日の授業の予習を終わらせて、今日の学校の授業の復習をしようと古典のノートを開いたところで集中の切れを感じた。

なんとなく、脇に置いてある、充電コードの繋がれたスマホを手に取る。

息抜きに、ちょっとだけ何か動画を見ようと思って、アプリを開く。アプリの画面が表示される。ピックアップされている動画にめぼしいものはなかった。検索ボックスをタップする。

文字を入力しようとしたときに、昼間学校で見たあの動画――動物の眼光のような二つの小さな光の点が、頭を過った。

なんとなく、本当になんとなく、『○○市 火事』と打ち込む。検索をかける。

幾つもの、火を纏った建物や、煙に覆われた建物のサムネイルが表示される。

その中の一つに、あの光景を収めているものがあった。夜の中に、燃えている。

スマホのカバーをスタンドのようにして、広げられた古典のノートの上に置く。再生ボタンをタップする。

画面の中で昼間と全く同じ動画が流れ始めた。火の粉を散らして、煙を吐いて、建物は燃えている。橙に煌めく炎が宵闇に映える。人々は騒いでいる。今もミュートにしているから内容は分らない。

画面の右下を見る。二つの白い光の点は見当たらない。

じっと見つめ続ける。瞬きをする。いつの間にか画面の右下に、二つの白い光の点は現れていた。

 光の点の周辺をよく観察する。おぼろげではあるが、犬のような形をした、仄かに青っぽい影があって、二つの白い光の点は犬の影の頭部、丁度眼窩に収まる様な位置で瞬いている。やはり、動物の瞳のようだ。

 輝く双眸と視線が交わる。やはり動物はこちらを見ていた。火事でもなく、人の群れでもなく。現場は騒々しいはずなのに、吠えたてることもせずに佇立して、こちらを見ている。

 違和感がある。動物の視線の向きの違和感。動画の撮影者を見ているのなら、撮影者が掲げているスマホを見ているのであれば、視線の角度が微妙にずれている。

 そして、僕の視線との角度が合い過ぎている――――。

 駄目だ。これは駄目だ。僕はくだらないことを考えてる。こんなのはただの偶然だ。

 最初にたまたま感じてしまった気色悪さに引っ張られて変な空想に呑まれてしまっている。

 僕を見ている、だなんてことは、あるわけがない。動物はスマホによって動画を撮られているという事を知らない。たとえ動物が賢くて、スマホと動画の知識を有していたとしても、その動画を僕が見るという事は、絶対に知りえない。

 なんだか変な事を考えてしまった。オカルトとか、心霊とか、そういう類のくだらない話。

 いつの間にか、動画は再生し終えていた。

 気分転換をしようとしたつもりが、昼間に感じた気味の悪さを思い出すだけになってしまった。失敗した。時間を無駄にしてしまった。

 このままではどうしても勉強を再開する気にはなれない。僕は何か楽しい気分になれるような動画を探し始めた。




十一月 二十二日


 車体が、波打つようにぐわりと揺れた。今日は雪が降ったから、路面の状態が良くないらしい。さっきからバスの運転手も運転に難渋している。ブレーキが荒いから、その度に車内の吊革や人間が揺れる。

 窓から射し込む西日が、ちょうど目を射るような角度から射し込む。その夕陽を忌避するがゆえに、椅子に座っている僕は首を直角に近いほど下に向けて目を瞑ってた。おかげで車の酔いが酷い。

 瞑目してバスに揺られる間、僕は火事の動画に映り込んだ、犬のような動物の事を考えていた。いや、考えていたわけではない。むしろ努めて別の物事への思索を巡らせようとしていた。が、その思索の間隙を縫っては、あの青っぽい犬のような影のイメージは脳内を占拠した。折角ここ数日はあの気味の悪い感覚を忘れていたというのに。全ては青海のせいだ。

 今日の休み時間、青海が再び動画を見ていた。火事の動画だ。僕らの住む○○市で起った火災だ。しかし、それは前にも青海が見ていたものとは違う別のもの、二件目の火事の惨状を収めた動画だった。一昨日の日が沈んで間もない時刻、再び○○市で火事が起こったらしい。燃えたのは僕や青海の家や僕らの学校からかなり離れた場所、一軒目に燃えた民家からやや近くの別の民家の納屋だ。一件目と比べて対象は小規模であるが、それでも小火騒ぎなどでは収まらず全焼した。

 二つの小さな白い光の点。二件目の火事の映像にも、それは映っていた。

 一件目の動画と同様に、群衆から少し離れた所にあって、眼光は騒ぎの方向ではなく、こちらに向かって放たれている。その光を眼球として有する動物の影は、仄かに青く、一見眼よりもややくっきりとした輪郭を持って映り込んでいた。

 仄かな青。白い光の二点。犬のような影が、画面を隔てた僕をじっと見据えている――。

僕が下車する場所の名称がアナウンスされる。自分の身体が動く前に誰かが降車のボタンを押した。僕は姿勢を崩すことなくじっと座り続ける。

 荒いブレーキでバスが停まる。ドアが開く。冷えた外気が車内に押し寄せて、服の上から僕の足を撫でた。僕は定期券を運転手に押し付けるように見せて、バスを降りた。

 ここ一帯は一応○○市の中心市街地だ。だが、あまり活気のある市ではないから、少し背の高い建物が多いだけで、特筆するような賑わいはない。通りは人がいないわけではないが、進行を妨げる程いるわけでもない。通行人は疎らで、行こうと思えば楽に躱して抜かせる。

 バイト先へ向かうは、ここから少し歩かなければならない。今から通常の歩行速度でバイト先に向かうと、かなり早くに到着してしまう。別にそれならそれで時間の潰しようはあるが、急ぐ必要は全くないからだらだら歩く。寒い。冬の外気に直に触れる顔の表皮は痛みさえ感じている。窮屈だからと一つだけ開けていた外套のボタンを首元まで留める。

 前方のかなり離れた所に、ぼんやりと人だかりが見えた。喧騒が、距離と冷たい大気に阻まれ、ぼやけて僕の耳朶に届く。人だかり。喧騒。今の僕にはあまりよい印象を与えない。ある種の予感が否応なく湧き上がる。

 人だかりは僕が普段バイト先へ向かう経路の上に発生している。時間はある。別の道、回り道をしてもよい。よいのだが。僕は平生通りに真っ直ぐ歩いた。

 人の群れに近づくにつれて、喧騒を構成している一人一人の言葉も聞き取れるようになってくる。――大変だ。――は呼んだのか。――逃げ遅れた人は。内容がとても不穏だ。人々の中にはスマホを両手で掲げている者もいる。もちろん、その掲げ方はカメラを構えるような動作に似ている。

 騒然とした場の中に、僕も通行人の一人として加わる。人々の顔は、視線は、車道を挟んで対岸にある通りへ向けられていた。少し立ち止まって、僕もそちらを見やる。

 やはり、燃えていた。向かいの通りにある喫茶店。入ってみた事はない。火は、赤煉瓦を模した外壁の所々にちらちらと見えているだけで、建物全体を飲み込むほどには育っていない。どこか、建物の隙間から、濃密な黒の煙がもうもうと噴出して、空に昇る。

 ふっと風が吹いた。火事が起きている向かいの通りから、こちらの方向へ。その風は焦げ臭い臭気を伴って、冬の風なのに温もりがあった。

 火事。最近の短い期間に○○市で起った火事は、恐らくこれで三件目だ。物騒な事だ。放火魔でもいるのだろうか。ああ、怖い怖い。

 これ以上ここにいても何かがあるわけではない。ただ喧しくて足が疲れるだけだから、立ち去る。

 ――と。背後に何か気配を感じた。特に深く考えず、顧みる。

 視界に飛び込む、瞬く白い二点の光。

 いたのは犬のような動物だった。白のような、青い雰囲気の体毛に身を包んでいる。真っ黒な瞳から放たれた眼光が、僕の視線と重なる。

 その双眸は意思を持って僕を捉えている。たまたま視線の先が僕だったという感じではない。

 僕と犬のような動物の間を、幾人の人々が通って遮った。数秒経って人々の流れが過ぎた後には、犬の姿は消えていた。どこかへ立ち去ったらしい。

 こんなところに野良犬?

 違和感がある。あまり活気が無いとはいえ、ここは○○市の中心市街地だ。こんなところに野良犬がいるものか?




 夜、バイトを終えて自宅に帰り、食事や入浴などの諸々の用を済ませた後。僕は自室で明日の授業の予習をする前に、今日の夕方に遭遇した火事の動画が上がっていないかを調べた。動画は上げられていた。再生する。

 動画はちょうど、僕が実際に見た時と同程度の、建物の燃焼具合の状態から始まった。動画の再生から間もなく、恐らくあの犬のような動物であろうと思われる影が動画内に現われた。ただし、建物が燃えている向かいの通りに。

 動物はやはりこちらに視線を向けている。


 ここまでの読了ありがとうございます。

 誤字・脱字があったらごめんさない。

 

 このお話には続きがありますので、よければそちらもご覧になってください。

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