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前編



00



 魔女集会になど出るのではなかった。


 森の魔女がそう思ったのは、盲目の魔女に言われた言葉が理由だった。


 盲目の魔女は目が見えない代わりに、他の誰よりも遠く先を視ることができる。杖をついた彼女が森の魔女に告げた言葉は、


――あなた、いつかまごころに死ぬわ。


 だった。


 魔女は長命で、不老不死に近い寿命を持つ。

 智と世界と魔の探究者である魔女が死ぬ時は、殺されるか、全てに飽きて自死を選ぶかのどちらかだ。

 

 それが、まごころなどというよくわからないモノに死ぬ、とは……。


 頬杖付きながらハイハイと聞き流していたが、死ぬだ殺されるだと聞かされていい気分がするものではない。

 釈然としない気分で集会から森へと帰った魔女は、日々を過ごしているうちに盲目の魔女に言われた言葉を忘れてしまっていた。



 そして長い年月が流れ――二百年が過ぎた頃。


 森の魔女は、一人の、人間の子を拾った。

 五歳くらいの、男の子だった。





01



 最初は襤褸雑巾かと思った。

 泥だらけで、ところどころほつれていたから。


 薄汚いゴミが転がっているな、わたしの森なのに。

 目障りだから埋めるか燃やすかしようか、と思ったところで、その襤褸雑巾が呻き声をあげた。


「ボロゾーキンは呻いたりしないわよ、ねぇ……」


 ため息交じりにそれを爪先で転がすと、痩せこけた顔があった。

 人間の、子どもだ。


 見なかったことにしてしまおうか。


 一瞬そう思ったが、子どもが目を開けた。

 

 二人の目が合う。 

いや、子どもは弱り果てて、何も見えていないのかも知れない。


だが弱々しく震える手を伸ばしてくる。

その手が魔女の服の裾を掴んだ。


 払っても良かった。

 無視しても良かった。

 放っておけば獣の餌になる。

 それだけだ。


「ったく。仕方ないったらありゃしないねぇ、もう!」


 だけど、目が合ってしまった。


 だから森の魔女は、子どもを拾うことにした。

 まったく、仕方のないことだった。




02


 弱っていた子どもを世話すること数日、持ち前の生命力か、それとも与えた薬が良かったのか、とにかく子どもは無事に回復した。


 汚れ切った体を洗ってあげて、髪を梳かし、ちゃんとした服を着せてやればそれなりに見栄えのする子だ。


 元気になった子どもは、威勢よく叫んだ。


「ありがとうまじょさま、おれをたすけてくれて」


「ただの気まぐれよ。そんなことより元気になったら森を出くのよ。近くの村までなら送ってあげるから」


「えー……」


「えー、じゃありません」


「むー……」


「むー、じゃありません。良い? 人間と魔女、似ているけど、私たちは全く別の生き物なの。人は人の中で生きるのが自然なことだわよ」


「でもおれ、行くところないし」


「親はどうしたのよ」


「病で死んだ」


 さらりと告げる少年に、魔女は言葉を失う。

 親が死んだということに対して、彼は何の感情も持っていないようだった。


「それでしんせきンところに引き取られた。でもコキ使われて。めしもろくにくわせてもらえなくて。雨風しのげるだけよかったけど」


 全く、聞けば聞くほど酷い話だった。

 小間使いと彼はいうが、奴隷の方が少しは扱いがマシかも知れない。奴隷は金で購う財産で、だから大切にされる。


 日も昇らぬ頃から深夜まで休みも無く働き詰めで、育ち盛りというのに僅かばかりのパンとスープ。

 そして最後は人買いに売られた。

 彼は別の街に売られに行く馬車から飛び出し、追っ手を撒くために森に入り込んで、そして力尽きて倒れたところを魔女に拾われたのだった。


「ああ、通りで……」


 ここは魔女の住まう森。

 この辺りの村の人々は祟りを恐れて森に分け入ることは滅多にないというのに、数日前森の入口辺りをうろついていた集団がいたのだ。

 珍しいこともあるものだ、と他人事の様に思っていたが、この子が理由だったか。


「安心しな。人買いたちは諦めて帰っていったよ」


 そう告げると、少年はほっとした表情を見せた。

 その笑顔を見て、魔女は少しだけ安心した。笑える、というならこの子はきっと、まだ大丈夫だ。


 だけど、行くところがない、となれば……。

 放り出すのも目覚めが悪い。


「仕方ないね。拾ったなら最後まで面倒見るのが筋ってものよね」


 魔女は盛大なため息をつくと、少年に向かってこう宣言する。


「行くところが無いって言うなら、アンタ、暫くうちで面倒見てやるわよ」


「ふぇ、ほ、ほんとうですかまじょさま!?」


「飯くらいたらふく食わせてあげるから、チャキチャキ働くの――え、待って。このくらいで崇めるの待って」


 椅子から降りて祈りの言葉を唱える少年に、魔女はたじろいだ。

 

 こうして二人の生活が始まった。




  03



「まじょさま、うまくいかねぇ」


「アンタまた焦がしたの? なんでもかんでも火を強くすりゃいい訳じゃないの。いい、こういうのは丁寧にゆっくりするのがコツよ」



「まじょさま……」


「なぁに、怖い夢でも見たの? おいで、一緒に寝ましょう?」




「まじょさま、これは?」


「それは毒草。でも煎じてこっちと混ぜれば薬になるわ」



「まじょさま、湖で魚獲ってきた」


「よくやったわ。井戸水汲んで入れておいて。泥を吐かせておくのよ」



「魔女さま、これ間違えたかな」


「魔法陣の……あら、この部分が間違ってるわ」



「…………はぁッ!」


 ボヨンッ!


「……あんた魔法の才能ないねぇ。でも魂の出力は高いから、身体強化系極めようか」



「……てやぁ!!」


 ズバン!!


「あんたよく、そんなナマクラでこんな大木、叩き切れるわね……」



「師匠、鉄猪獲って来たぜ」


「すごいわね! こいつの肝、魔法薬の材料になるの。不足してたから助かるわ! ありがとう!」




「師匠!」


「おーい、師匠?」


「朝食が出来ましたよ、師匠」


「師匠。また夜更かしして」


「師匠。この本の記述についてなんですが」


「師匠、お茶を淹れました」


「寝ぐせついてますよ師匠」


「師匠」


「師匠?」


「……師匠」


「師匠!」




 ………………

 …………

 ……




04




「馬子にも衣裳って、このことだねぇ」


「見違えましたかね、師匠」


 鉄猪の鞣革のズボンに、日除けの套衣。

 無骨で頑丈さだけが取り柄の剣と、水と食料を詰めたバッグを背負う。

 

 そして魔女の祈りの籠った魔除けの護符。


「あんなにチビだったのに、今ではもう背が同じくらいね」


「成長期っていうんでしょ。……次に会う時は、師匠よりも背が高くなってますよきっと」


 二人で暮らした森の小さな屋敷の前で、二人は探り合うように言葉を重ねた。


 この日、彼はこの森を出る。

 何度も揉めて、喧嘩して、そして決めたことだった。


「帰って来なくていい。人は、人と共に生きるべきだから。……何度も言ったじゃないの」


「見分を広めて、いつか帰って来ると何度も言いました」


「強情者」


「誰かさんのお陰で」


「あーあ、拾ったばかりの頃は、こんなに小っちゃくて可愛らしくて素直だったのに」


 魔女がそう言うと、彼は言葉に詰まった。

 おねしょをしたシーツを洗ってもらったという、最大の弱みを握られているからだ。


「……それが、もうこんなに大きくなっちゃって」


「……師匠は変わらないな」


「わたしは魔女だからね」


 それきり、二人の間に沈黙が落ちる。

 

 十年の歳月が、少年を青年へと変えた。

 だが魔女は変わらない。変わることは無い。


「もし――帰ってくるというならば、一度だけ許可をするわ」


「し、師匠!?」


 人の元に戻ったのならば、そのまま人の中で暮らしていくべきだと主張する魔女が、その言を曲げた。驚いて彼は、育ててくれた親を見る。


「ただし、一つだけ条件がある。……佳い人に巡り合って、子を得なさい。その子に魔除けをしてあげるわ。だか、」


 だから、と最後まで魔女は口にすることができなかった。

 彼が伸ばした腕に、すっぽりと抱きしめられてしまったから。


「――――」


 そして彼が耳元で囁く言葉に、声を失う。

 咄嗟に彼の胸を押し返す。……たくましい、男の胸板だった。


「ば、なにを、ばかな、ことを」


「ばかな事じゃない」


 真っ直ぐに、彼は魔女のことを見て宣言した。


「必ずここに、帰ってくる」


 そう言い放つと、彼は踵を返して歩き出した。

 靄に朝日が差し込む中を、十年を過ごした森を、振り返りたい衝動を捻じ伏せて、真っ直ぐに、外へと。


 その逞しくなった後姿を、魔女は黙って見送った。

 耳に残る、彼の言葉――


 貴女以上に佳い人などいない。

 貴女を迎えに帰ってくる。


「ばかな、こと」


 顔の火照りを隠すように、魔女は頬を抑えた。


 そしてまた、魔女は一人になった。


 彼のいない森と屋敷は、恐ろしく静かだ。

 随分と久しぶりに花待鳥の鳴き声を聞いた気がする。


「騒々しいのがいなくなったからね……」


 誰のことですか、それは。

 そう返してくれる声の主は、いない。


 春というのに、寒々しい日のことだった。






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