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サヤとアイ  作者: ヒウラ
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大変だった夜勤

医療の発達で数十年前では救えなかった命を助けることができるようになった。それがとてもよいことだと言いたげに医療ドラマも腕利きの医者を特集したドキュメンタリー番組でも取り上げられていた。今思えば、当時は医療モノがブームだったのだろう。ドラマでは有名な男性俳優や美しい女優がキャスティングされ、流れるような動きで患者に医療処置を施して救命していたし、(時には助けられない患者もいて、涙を誘うような演出や視聴者に疑問を投げかけるような終わり方をする放送もあった。)ドキュメンタリーでは医者が難しいとされる手術(大体は脳外科医や心臓血管外科医が執刀するものであった)を、神経を擦り減らしながら施術し、術後、にこやかにインタビューに答えた後、また彼らを求める次の患者の施術を行いに歩みを進めるというものが多かったような印象だ。当然、私も幼少の折に見たそういった放送を、医者のしていることはすごくいいことだと捉え、技術の進化が進んだ現代に生まれて『よかった』と安堵したのだった。今ではその無邪気な安寧の気持ちを打ち砕いてやりたいとさえ思う。過去の自分が、無知な『そちら側』の人間であったことが腹立たしく思い、只々幼き日の自分にも怒りを向けるのだった―――――――――。




「また、緊急入院…。夜勤帯ですぐ病棟にあがってくるとか、勘弁してほしい…」

「仕方ないよ、救急病棟も患者いっぱいって言ってたし、この時期、多いから。」

「あー、もう、本当に勘弁して。ナースはどんどん辞めてくってのに、患者は減らない!むしろ増える!救急に患者が次から次から運ばれてきて、十分に仮眠時間に寝れもしないっての。最悪、最悪…。今日こそは落ち着いた夜勤を過ごせるって思ってたのに」

「サヤ、疲れてるのはわかるけど、堪えて。近くの病室の患者さんに聞こえるかもしれないし。また愚痴は休みの日聞くから。その入院、私が受けるよ。今日リーダーだから。」

「はいはい。でもいつ休み合うのかな。勤務被りさえ珍しいってのに。いいよ、入院は私が取る。アイちゃんはリーダーで気苦労も多いでしょ。」

じゃあ、部屋の準備してくるから、と言い、充電中の医療用PHSをポケットに捻じ込み、自前の懐中電灯を片手にサヤはナースステーションを出ていき、真っ暗な廊下を静かに歩いて行った。姿が見えなくなるまでぼんやりと彼女の後ろ姿を見つめた後に、数年前の看護学生時代のことを思い出す。

 

彼女、後木サヤとは学生時代からの同級生で、三年間共に学んだ友人関係だった。仲良くなったきっかけは、一年生最初の実習で同じ班になったことだった。一年生の実習なんてただの病院見学のようなもので、ただ見て回り時に技師や看護師、医者などの説明を聞く簡単なものであったが、その内容に対して莫大な量の記録を求められるという地獄のような内容だった。(そして二年、三年と学年が上がるにつれて記録用紙の種類は増え、その最初の実習がとても可愛らしく、いかに難易度の低いものであったのかを痛感するようになった。)サヤは、文句は多いがやることはやる、そんな子だった。最初の実習で愚痴を言いながら教室で記録をしていたが、私より一足早くに、要領よく仕上げていた。早く終わらせる秘訣を聞くと、実習の休憩時間に記録を書けるところまで書いておく、直前まで見ていたこと、聞いていたことを思い返しやすいから、と。そうしておけば後から書くのはその半分だけ、夜はしっかり寝られるでしょ、と。他の生徒は、休憩時間は前日遅くまで記録をしていて疲労が溜まっていて、しっかり休みたいからと、そういったことはしていなかった。それから私も彼女の真似をして、余った時間に少し記録を書き進めるようにしてた。二人して一番忙しい三年生の総合実習では、周りが二徹、三徹と眠らない日々を過ごす中、疲弊はしていたものの毎日少なからず眠れて他と比べて元気な状態で最後の実習を終えることができたのだった。その他も、なにかと要領のいいサヤを参考にしていた。サヤも快く、そういったコツを教えてくれた。パッと見、ひねくれているようで素直なだけなのだ。

 仲の良かった私たちは、たまたまとはいえ学校の付属病院であるR病院の同部署で働くことになった。もう今年で三年目になる。私と彼女以外に後二人、外部進学の看護師がいたが、一人は試用期間中に適応障害になり、抗鬱剤を内服するようになり一年目の九月に退職、一人は他部署への異動を申し出て、二年目の六月に配置換えとなり、サヤと私、二人だけが残ったのだった。

(まさか同期が二人だけになっちゃうとは、思ってなかったな。)

 最初に辞めたリサちゃん、彼女は元々回復期病棟希望だった。しかし、希望が通らずにうちの部署に決定した。最初はひたむきに頑張っていたが、元々おっとりとしていて、急性期には向かないような子だった。なので、様々なギャップやピリピリした雰囲気、気の強い先輩ナースの指導(と言う名のいびりに近いものもあったらしい。後々伝え聞いた話であるが)に精神を病んでしまったのだ。最後の出勤でたまたま勤務が同じになって声をかけたが、「今までありがとう、わたしは、無理だったよ。がんばってね」とひどく憔悴した顔で微笑んだことが今も印象に残っていた。

 次に辞めた浅利さん。彼女は、今は精神科で勤めていると聞く。元々介護福祉士で、看護学校に通い直して就職した、所謂社会人組だった。歳は今二十九だったか。礼儀もしっかりしておりよく気が利く。指導内容の飲み込みもよく、一番先輩方に可愛がられていた。彼女の異動は、まさに晴天の霹靂で、皆驚いていた。「精神科で、人の心に寄り添うような看護をしたくなって。」と理由を言っていた。実の弟さんが最近仕事の関係で鬱を患ったこともあって、そちらで働きたいという思いは前からあったがより一層強くなったらしい。浅利さんを手放すのは惜しいが、叶わないのであれば他の病院に転職も考えているとチラつかせ、労働力が全体に足りていないR病院から出ていってしまうのであれば、彼女の希望を通して異動させよう、という運びとなったようだ。浅利さんは、「ここだけの話ね、元々ここの科、あまり好きではなくって。異動できてよかったわ。」とこっそり教えてくれた。

R病院はほとんど付属の看護学校、つまりアイやサヤの母校出身者が多かった。必然的に、病棟には自分たちの顔見知りの先輩方がおり、自分たちは心強かったが、外部者である浅利にとっては排他的に感じたらしい。そして実際、嫌味を言ってくる先輩もいたのだそうだ。

(リサちゃんも、きっとそういうことがあったんだろうな。)

そう思いながら、戻ってきたサヤの姿を見て、受け入れ準備が出来た旨を救急外来へ連絡すべく内線電話を手に取った。今日の夜勤帯のこの部署の責任者は自分だからだ。



「まっさか、救外からの申し送りでは軽症っぽかったのに、やばい既往があるとはなあ。」

「サヤ、ホントお疲れ様でした。」

「いーやー、いいよお。アイちゃんは悪くないよ。胃が痛かったっしょ。あんな急変するとは。憎いのは救急。いくら他科に患者送るのが忍びないからって、さも軽症のように言ってくんのが悪い!だから印象悪いんだよ。他科入院は。てかベッド空いてるなら取れよ!入院!」

時計が正午を過ぎた頃、ようやく業務が終了し、二人で病棟を出ることができた。他のスタッフも申し送りで夜勤帯の入院が盛大に急変を起こし、対応に追われ、記録もままならずに本来の終業を大幅に上回り残業している二人に同情を示すような表情で「お疲れ様でした」「よく乗り越えたね、若手だけで」と声をかけてくれたのだった。基本的に忙しい部署―――――――R病院ではまず救急患者を受け入れる救急外来、その患者が入院に際して様々な理由で一旦受け入れられる救急病棟(集中治療室とはまた別で、緊急度が高い患者が入るわけではなく、当該科のベッドが空いていなかったり場合や、夜勤帯の入院であったりを一時受け入れている。)、さらにある地元随一と評判の消化器外科の患者がとても多い。ベッドが空いていない時には、こうして他科に入院が振られてしまう。今回は救急病棟が満床で、サヤとアイの部署に患者が回ってきたのだった。よくよく事情を聞くと、救急病棟も人員不足と若い一年目の新人が夜勤に入っており、マンパワー不足でベットは空いているものの、数床稼働させていなかったのだった。こんな早い段階で夜勤に入れられて可哀想――――ぼんやりとアイは思ったが、一緒に入っている先輩ナースもたまったものじゃないだろうな、と少し同情した。今、三年目のアイの相方が同期のサヤだったからいいようなものの、それより下の年数のナースとペア(最近人員が不足しているため、本来三人で回すところを二人しか夜勤に組み込まれていない。流石に三年目以下が夜二人夜勤をするとリーダーの負担がとてつもなくなるので、それはないが)になったら、それこそストレス負荷でその日のうちに胃潰瘍になってしまいそうだ。


救急外来から来た患者は高齢で、食事量が減ってきて心配していたら熱が出て心配になり受診した、嚥下機能も低下しておりよくむせこんでいたとの家族との証言からおそらく誤嚥性肺炎だろうと診断が付き、事実胸部レントゲン結果や血液データからもそうだと断定されていた。既往歴に心不全と高血圧、高脂血症があるが服薬でコントロールできており、認知機能の低下もあるがごく軽度、と申し送られていた。しかし実際は大きく異なり、心不全は今年に入って一度発作で救急入院していたこともあった。認知機能の低下も著しく、入院を取ったサヤ相手に叫ぶ暴れるの大騒動、その興奮がきっかけかは分からないが、再び発作が出て、アイを応援に呼び、ドクターハリー、当直医を待つ間にモニター救急カート除細動器等準備、諸々その他急変時対応後ICUに転棟申し送り後にはすっかり早朝になっており、他患者回りをしなければならなかった。処理は後に後に追いやられ、全て終わらせて今に至る、というわけだ。二人とも本来与えられるべき仮眠の時間はただの一分も摂れていなかった。十六時間+α残業約三時間、およそ十九時間不眠で働いていたのだった。かつ目の前で死にかけの患者の救急対応。休憩がなくなってしまうこと、二人ともそれには慣れていた。働き始めの一年目からむしろよくあることだった。

「たまに、どうしようもなく、何でこんな仕事選んだんだろうって思うことがある」

「私なんかさあ、ダメ人間だし常に思ってるよ、そんなの。アイちゃんが愚痴言うの、珍しいな」

「そうかな?」

「学生時代から、ほとんど聞いたことなかったよ、私は。リーダーは責任重いしね。気疲れしたんだってきっと。帰って休んだ方がいいって。早く帰りな。」

「そうする。明日、私休みなんだ。次は明後日の日勤。ゆっくりするね。」

「――――そうだな。じゃあな」

そういって二人は解散した。アイは一人暮らし、サヤは実家暮らしで、アイは病院の用意した寮に住んでいたから、病院から住まいが近いのだった。滅多に人前で弱音は吐かず、昔から静かに一人で泣いたりしていたアイちゃんが珍しい、とすっかり頭の回転力が低下した頭でサヤは考えた。自分も早く帰って、風呂よりも飯よりもとにかく寝たい。その気持ちは夜勤明けの者全ての祈りだろうと確信している。同居している親が、あれやこれやと世話を焼いてくれるため、自分はただ帰って眠るだけでよい。その点、アイちゃんはすごい。一人暮らしで身の回りのことを全て自分でこなしているのだ。同い年で入学してから三年間勉強、そして三年間一緒に働いて、お互い今は二十四になった。自分ももう少し自立できたらと思ったけど、病院から近い実家からあえて飛び出す理由はなくて、ほんの少し家事を手伝っているくらいだった。母親も少々過保護気味で、「休んでおきなさい。倒れるわよ」と分担させる気もなかったので、実際疲れ切った身体を休養させるための時間に充てていた。心底実家でよかったなと思う。そう言えば、明日も自分が夜勤だったことをふと思い出す。嫌なことを思い出してしまった。でも寝たら一旦忘れられるだろう。よし寝ようと意気込み疲れ果てた身体で走った。いつもより数分早く着いた自宅の玄関に入り、急いで自室のある二階に繋がる階段を駆け上がった。落ち着く自分の部屋、八畳しかないので扉を開くと目の前にベッドがあり飛び込んだ。すぐ眠ってしまい結局その日起きたのは二十一時頃になり親に流石に呆れられてしまったのだった。



そして、アイちゃんが来ないと、騒ぎになるのは自分が夜勤明けにあたる、明後日の朝の話であった。


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