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TS転生が普通にあります。
三国志のイメージは独自解釈が多く、地雷必須なのでダメかも、と思う方はプラウザでバックしてください。
ほんとに、なんでもいいよ、という方のみ、お願いします。
「っイタタ。あっくん。もう少し丁寧に」
傷口に染み込む消毒の刺激に、葛原美羽は思わず呻いた。
そこは警察署にある医務室のベッドの上だ。横並びに弟である亮明が座り、ベッドの上で折り曲げた膝に消毒液の染み込んだ脱脂綿を当てている。
しかし、抗議の声は冷たい視線とともに無視された。
「十分してますよ。ケガするようなことをしでかしたほうが悪い! しかも放置するとかありえないんですけど」
じろりと弟に睨まれ、あまりの正論に美羽は口を閉じた。
怪我を負った事件が起こったのは今日の夕方のこと。
買い物の待ち合わせに急いでいた美羽の前を歩いていた女性の横にワゴン車が止まったかと思うと、男が数人出てきて、女性を拉致したのだ。
驚きと同時に、女性を救わなくてはととっさに美羽は間に割って入った。
美羽は小柄ながら、剣道の有段者だ。
しかし、多勢に無勢の上、その時竹刀を持っていなかったことも災いし、美羽は一緒に連れ去られてしまった。
幸い、美羽が待ち合わせをしていた場所に現れなかったことを不信に思った亮明が異変を察知して警察に連絡。
拉致車両が検問に引っかかり、二人は無事に保護された。
美羽の怪我は最初に女性を助けようとした時、男に突き飛ばされて負ったもので、その手当を保護してもらった警察署の医務室でさせてもらっていた。。
「まったく、美羽は考えがなさすぎなんです。犯人は複数の男だったんでしょ? どうして自分でなんとか出来ると思ったんですか?」
亮明は消毒を終えた傷口にガーゼを当てて、器用に包帯を巻いてくれる。
弟のため息に、美羽は口を尖らせた。
「でも、あの場合、一刻を争うと思ったのだ。女性が連れて行かれようとしていたのだぞ?」
実際、ワゴン車から飛び出してきた男たちの行動は素早く、美羽以外にその場に目撃者がいなかった。
とにかく、女性を救うという頭しか無く、突っ込んでから自分が武器もなにも持っていないことに気がついた。すると、いくら剣道の有段者であっても、複数人の男に敵うわけもなく、さした抵抗も出来ずに車に乗せられてしまった。
「だが、あっくんはさすがだな。その場にいたわけでもないのに、誘拐を見抜いただけじゃなくて、誘拐車両を特定するなんて」
実際大した洞察力だと美羽は感心する。
彼は美羽たちが連れ去られた現場を見たわけでもないのに、美羽が誘拐に巻き込まれた事だけでなく、誘拐車両を特定した挙句、進路を特定して警察に通報。
検問が敷かれて、それに引っかかった犯人たちはそのまま御用となったのだ。
「美羽を探していたら、鞄だけ落ちてたら、なにかあったとわかるでしょ? 複数の足跡と、タイヤ痕があったし。なにより美羽の携帯電話の電源が生きていましたから」
美羽はあまり詳しくないのだが、美羽の形態にはGPSという機能があり、その御蔭で犯人の動きが分かったということだった。
「すごいな。携帯電話と言うのは」
「本当はスマホ持ってほしいんですけどね。『Mine』のほうが便利だし。でも美羽は壊すでしょうし」
確かに、と美羽は内心で頷いた。
美羽は今時の子どもとしては異例なほど機械音痴だった。
携帯電話もせいぜい通話とメールだけしか利用しておらず、それだって、使えるようになるまで時間がかかった。
時折、友人が楽しそうにスマホをいじっている姿を見ていると、面白そうだとは思うが、自分が使いこなせるとは思えなかった。
「なんにせよ、身内に警察がいるのもよかったです。母さんに頼んだらすぐに検問張ってくれましたし、治療終わりましたよ」
弟の許可に、美羽はベッドにあげていた足を下ろしながら、母親を思い出す。
二人の母親は警察署長としていた。
弟はその伝手を使って、おおよその進行方向を予測して検問を張ってもらったらしい。
その御蔭で早期解決が出来たようなものだが、その話に美羽はふと不安になる。
「そういえば、私の為にお母さんは立場が悪くなったりしないだろうか?」
身内ごとで勝手に検問まで出させてしまったことに、罪悪感を感じていたら、弟は消毒液などを片付けながら、肩をすくめた。
「別にそこは問題ないんじゃないですか? 誘拐事件を解決したようなもので、警察の手柄になるって喜んでましたよ」
「それでも、余計な手を煩わせてしまったことには変わりないな」
美羽はしょんぼりと肩を落とした。
母親は今も誘拐事件の後処理で、署内のどこかを走り回っているはずだ。
「私はダメな娘だな」
思わずつぶやいた言葉に、亮明が微妙な視線を向けくる。
「あの、僕には迷惑をかけたと言う気持ちは……?」
「も、もちろんあるぞ! あっくんには感謝して……わぷっ!」
突然亮明に抱きしめられた。
「だったら、もう少し、心配かけない方向に動いてくださいよ」
時折、亮明はこうして美羽を抱きしめることがあった。
以前は美羽の方が大きかったから、しがみついてくるといったほうが正しかったのだが、いつの間にか身長を追い越されて、今の形になってしまった。
昔から、なぜか、亮明は美羽を過剰に心配する。
だが、たいてい美羽が悪いことが多く、心配しすぎだと言うことが出来なかった。
「いつだって、あんたは前しか見てない。置いていかれる方の身にもなってほしいです」
「……ごめん」
昔からむちゃをしがちだったせいか、亮明は美羽の身を過剰と思うほど心配するのだ。
謝りながら、ふと、かつてな自分なら、弟をこんな風に心配させずにいられただろうか、と思ってしまった。
美羽には生まれる前の記憶があった。
母のお腹にいた記憶ではない。美羽が美羽になる前、大昔の中国で武将をしていたというものだ。
昔の美羽は体格もよく、並み居る武将たちに一歩も引けとること無く、勇猛果敢に戦っていた。
それに比べて、と美羽は自分の手をじっと見つめた。
剣道をやっているので、肉刺が潰れた後などのある、お世辞にもきれいだとか、かわいいとはいえない手だ。
だが、それでも小さく、ひ弱な印象。その手に過去の映像がダブる。
あの時の自分であったなら、あんな男どもに負けはしなかった。
いや、もっと言えば、ーー過ぎ去った昔日、あの日にもう一度戻れたなら。
その時、ふっと視界が遮られた。
いつの間にかぶれた焦点をあわせると、遮ったのは弟の手だった。
「また、自分が『関羽』だったらって、考えてますか?」
弟の言葉に、美羽は押し黙った。
『関羽』。
今から二千年近く前の中国の戦国時代の有名な武将の名前だ。
そして、おそらくそれが美羽の前世の名前。
幼い頃から美羽は『関羽』の夢を見る。
それは断片的な記憶で、つながりがあるようでないようなもので、最初はそれがなんであるかわからなかった。
しかし、あるとき三国志の存在を知り、その登場人物の名前が驚くほど夢と一致することで、確信を深めた。
美羽自身『関羽』であったときの記憶をすべて持っているわけではない。
夢はたまにしか見ないし、見ても内容を忘れてしまうことが多かった。
それでも、関羽の夢を見たことだけははっきりとわかるのだ。
起きたときに感じる深い『後悔』の念。
『関羽』は三国志における蜀という国の武将だ。
三国志とは昔、中国にあった魏、呉、蜀と呼ばれた国を中心とした群雄割拠時代の歴史をまとめた書物である。
蜀は漢王朝の血を引くとされる『劉備』を開祖とする王朝であり、『関羽』は劉備に仕え、更には彼に義兄弟のち義理を躱すほど、深く信頼された武将だった。
非常に多くの武勇と、義理に溢れたとされる人格で今では神格化されるほどの武将だった。
だが、その一方自身の強さにおごり、人心を蔑ろにするところがあった。
その結果、味方の裏切りにあい、援軍要請も無視され、戦に負けて斬罪された。
だが、それだけであれば、自分の不徳の致すところ、ということで因果応報とだけ言えた。
しかし、『関羽』には人民と王朝の為に尽くそうと誓いあった『劉備』という主君があった。
劉備と関羽は義兄弟の契を交わし、同じ時、同じ場所で死のうと誓いあうほどの仲だ。
だが、『関羽』はその誓いを破ったばかりか、『関羽』の死を嘆き怒った『劉備』が弔い合戦を起こし、その戦がきっかけで死んだのだと知った時、美羽の中の『関羽』は深く嘆き、悲しんだ。
同時に蘇ったのはかつて、誓いを立てたときの思い出だった。
『関羽』も『劉備』ももともとは世情の不安定からくる世の乱れを憂いて、平和な世界の実現を目指して、挙兵した。
すべての始まり、『共に死ぬ』という願いと共に交わしたもう一つの義兄弟との誓い。
劉備の死はどれほど後悔しようと、今更過去は変えられない。
ならば、せめて誓いあったことだけは、今世も守っていこうと思った。
同時にかつての自分の失敗を繰り返さないよう、謙虚に生きていこうとも思った。
だが、美羽にはかつての自分ほどの力はない。
それが美羽にはもどかしく、同時に無茶をしてしまう要因になっていた。
弟の手が、美羽の手に重なる。
「どんな理由であっても、人を助けたいって言う美羽の志は立派だと思うし、あんたの為にやれることはやってやりたいと思っています」
弟は美羽の手を両手で包みながら、視線を落としている。
それを視線で追うようにしていると、ふいに睨まれた。
「でも、あんたは葛原美羽という人間であって関羽じゃない」
はっきり口にされると、心臓が痛みを発する。
わかっていた。どうしようもないほどの差。
男女という枠を越え、かつての自分は神格化されるほどの強さがあった。
当たり前にあったものを失う痛みに、美羽は思わず瞑目してしまう。
「……分かってる。『人助けは自分の身の安全を確保してから』あっくんの助言はちゃんと理解している」
しかし、疑わしそうな視線を向けられた。
「本当にわかっていますか? 自覚していないから、怪我をしたんじゃないんですか?」
それを言われると辛い。思わず苦笑いを浮かべると、弟は顔をしかめた。
「本当にわかってるよ。だが、やっぱりあっくんは変わっているな」
「なんですか、突然。それに美羽にだけは言われたくないんですけど」
「いや、変わってるよ。自分の前世が『関羽』だなんて、母ですら信じなかったのに」
本当に幼いころ、『関羽』としての記憶がどういうものなのか理解できず、美羽は前世の記憶によりもたらされる感情に振り回された。
そのため、非常に情緒不安定な扱いづらい子どもだったらしい。
母親はそんな美羽を持て余し、様々な病院に連れて行った。
その時のことは今思い出しても辛い。
親や他の大人に奇異の目で見られるのも辛かったが、自分を誰も理解してくれない孤独に心が壊れてしまいそうだった。
そんな中、この弟は違った。
美羽を理解した上で、現在の美羽の状況を説明し、大人に対する振る舞い方や、過去の記憶を他の人に話さない方がいいというアドバイスまでくれた。
その御蔭で、落ち着いた美羽はようやく『関羽』ではない美羽という存在を受け入れることが出来た。
「誰かに自分の事を信じてもらえることがあれほどありがたいものだとは思わなかった。今でも感謝しているよ」
「別に。少なくとも積極的に嘘だと決めつける証拠がないから肯定しているだけかもしれませんよ」
「それでも、こんな話を笑わないでいてくれるだけで十分だ」
触れられた手を握り返すと、弟が突然顔をそむけた。
頬が赤くなっているのを見て、美羽は微笑ましくなる。。
その様子をかわいいなあ、と思いながら、美羽はふと思いついた事を口にする。
「あっくんはまるであれだな。兄者にとっての孔明だ」
孔明とは、蜀の軍師で有名な智者だ。
数々の奇策を弄し、三国時代きっての名軍師だと言われている。
すると、何故か憮然とした表情が帰ってきた。
「それって水魚の交わりの事を言ってます?」
水魚の交わりとは魚には水が必要なように、無くてはならないもののたとえだ。
かつての主君が自分と軍師の間柄をそう称していた。
「君がいるから私は私でいられる。どんな無茶でもやってのけられる気がするよ」
「それって、僕のせいで無茶をするって、責任転嫁に聞こえるんですけど」
「気のせいだよ」
笑ってごまかすが、弟は珍しく困惑を移した顔をしている。
なにが引っかかっているのか、わからずいたら、亮明の手が美羽の頬に触れた。
「あのさ、本当に水魚の交わりって、意味わかって言ってますか?」
「ん? だから、なくてはならないものの例えで……」
「魚って、古代中国では、繁殖力の強さの象徴と言われてるんですよ」
「ほお、そうなのか。あっくんはものしりだな。……て、なんだか近くないか?」
いつの間にか眼前にまで亮明の顔が迫っていた。
思わず距離を開けようとして、後ろに倒れてしまう。
起き上がろうとしたが、亮明が阻止するかのように顔の横に手をついてきた。
「あの、あっくん?」
妙な体勢のまま、亮明は妙に神妙な顔で、美羽の顔を覗き込んでくる。
状況の分からない美羽は亮明を見返すことしかできなかった。