幸福おしゃべり
階段を昇り屋上へ向かう。アニメの世界だからなのか、この学校の方針なのか、このご時勢に屋上を開放しているなんて珍しい。
屋上には既に先客が大勢おり、ベンチも一杯だった。太陽は眩しく、風が心地が良い。
「先輩から屋上の話を聞いてたんだよねー」
『佐藤 芳佳』はそう言うと、持っていたシートを広げた。
五人が座るには少し狭い。男二人、女三人に別れながらも身を寄せ合って座る。
こんな風に大勢でお昼を食べるのはいつ以来だろうか。公園の隅っこで鳩と一緒にコンビニのパンを齧っていた日々を思い出す。抜け出したいと思っていた社畜の日々であったが、もう戻ることがない日常だと思うと、どこか寂しい気持ちが湧いてきた。
「どう…したの?お腹…いたいの?」
市井が心配そうに声をかけてきた。本当に優しい女の子だ。
実は一番好きなキャラクターだったりする。なので、どうしても意識してしまう。
見れば見るほどアニメと同じ容姿と声、仕草だ。そういう世界に転生してきたのだから、当たり前と言えばそうなのだが。
声が同じということは、ある意味で声優さんの顔がキャラの顔になっているだけと考える事もできた。僕は『市井ゆう』のファンであると同時に、役担当の声優さんのファンでもあった。握手会にも参加したこともある。
つまり、二つの好きが合わさった存在がそこにいる。
シャンプーの匂いと、アニメでは感じる事がなかった肉感に、30過ぎのおっさんだったことも忘れてドキドキしてしまった。
「いや、あのーー」
「市井さんが可愛いから緊張してんですよ!なあ松本!」
隣の男が会話に割って入ってきた。
「佐藤!何を言ってるんだ!」
僕は慌てて言い返す。男の名前は『佐藤 英気』だ。偶然にもこのグループには『佐藤』が二人いた。
市井を見ると、照れている姿を悟られないように顔を伏せながら、黙々と卵焼きを口に運んでいた。考えれば、アニメの中では女の子同士で喋っているシーンしかないため異性との絡みは新鮮で、見たことのないその反応はとても可愛かった。
「今私のこと呼んだー!?」
友達と話していた佐藤芳佳が会話に突然参加してきた。本当は自分でないことが分かっている顔だった。
明らかにツッコミを待っている。
「いや、こっちの佐藤だから!イケメンの佐藤の方だから!」
「さすが松本、よく分かってるな」
「え!?イケメンの佐藤なんてどこにもいないよー?」
どっと笑いが起きた。
場がさらに和み、他愛のない会話がさらに弾む。市井も楽しそうに会話をしている。
こんなに楽しい昼食は人生で初めてだった。
読んでいただきありがとうございます。
(改訂版となっている話数がありますが、変更はサブタイトルだけで内容の変更はありません。ご迷惑おかけしました)