プロローグ
「高校時代に戻りたい」
三十歳を過ぎてからそう思うことが増えた。
特に楽しかった思い出がある訳でもない。今と同様に女性にはモテないし、スクールカーストは中流より少し下だ。
友達は少しいた。親友なんて強い繋がりではなかったが、それでも学校生活が楽しいと感じられるくらいには仲が良かった。あいつは今何をしているのだろうか。
今はもう、友達と呼べる人間はいなくなった。今あるのは仕事上の利害関係だけ。営業職として――商品を売るためだけの関係だ。
ただただ過ぎていく日々。結婚なんて、家族を持つなんて、夢のまた夢。灰色の将来。
少しずれそうになったイヤホンを直し、タブレットPCの画面に目を落とした。
そこには、キラキラとした学園生活を送る女の子達。悩みなど一切ないような幸せな世界。
ここが都内のコーヒーショップだという事も忘れてしまいそうになる。もう何度も見返したアニメだ。二年前に完結しており、世間では終わったコンテンツとなっていた。
でも、僕はこの作品が好きだった。イベントにも足を運んだ。
恋愛も進路の苦しみない。ましてや大きな事件なんて絶対に起きない。いわゆる『日常系』と呼ばれる作品。
ゆるくて優しい物語が、仕事で荒みきった心を癒してくれる。タバコを吸わない僕にとって休憩中の一服の清涼剤だった。アニメの世界の素敵な日常とは全然違うが、僕にとって、この時間はかけがえの無い日常の一部だった。
冷め切ったコーヒーを飲みきり、アニメの再生を止める。ちょうどAパートが終わった部分。続きは明日。毎日噛み締めるように大事に見返している。
レシートをつかみレジに向かった。そろそろ顧客との約束の時間だ。今日は実績を挙げることが出来るだろうか。考えただけでも胃がキリキリと反応する。
「午後も仕事頑張るか」と思ったその瞬間。
僕の意識は途切れた。
読んでいただきありがとうございます。誤字脱字ありましたらご連絡ください。
8/21加筆修正