(閑話1) 王太子は、叶わぬ恋に落ちる。(後編)
王太子クラウド視点の独白。2話あたり。
王命という名目で俺はミラーナの婚約者の地位を得たのだが、どうも上手くいかない。
ミラーナはリカルドを愛していたわけではないと聞いたが、つれなさすぎて心が折れそうだ。
時々町に降りて民衆に溶け込んでいるらしく、それならばと俺も髪を染め質素な服を身に纏い追いかければ、嫌な顔をされた。
鏡を見ても、どこにでもいる庶民じゃないかと思っていると、カインにため息をつかれた。言いたい事があるなら黙ってないで言ってくれ。
ミラーナ曰く『逃亡計画』は、バルテス家以外の者から伝達される。
その度に連れ戻されては、不思議そうにしているのだが、そろそろ外堀は埋められていると気付こうか?いや、そんな姿も愛おしいと思うほど、俺はどうかしている。
思い返せば、第1回目の逃亡計画の話だ。
ミラーナは民衆を味方につけて、なんと王城を攻撃させて引き付け逃げようとした。門を破壊され、俺の指揮のもと鎮圧させたのだが、ミラーナは首謀者を名乗り俺の前に現れた。
バルテス家が謀叛を企てたなどと誤解されては厄介だ。俺は内々に処理をしようとミラーナを自室…と言っても執務室に招いた。
状況に表情を曇らせたミラーナを安心させるべく、俺はミラーナを抱き締めようとした。そう、抱き締めたかっただけなのに、勢い余って、執務室の机にミラーナを押し倒してしまった。好きな女に、潤んだ瞳に上目遣いで見られて、揺らがぬ男がいるか?扇情的な姿に、つい見とれていたら、ミラーナに叫ばれ、あれよあれよと引き離された。
その事は宰相の知るところとなり、父上に「少しは自重しろ」と言われた。出来る気はしないけど。
そして、通算5回目が今日だ。ミラーナは城下から町馬車に乗るつもりだったらしい。
寸前で見つけ、抱き寄せる。柔らかな感触を腕に抱くと、身体中に安らぎを感じた。焦る声すら、聖歌のようだ。
「いいね、そのまま高原デートにいこうかミナ?」
いつもの口調を封じ、リカルドに似せた口調に変え、俺はミラーナに囁いた。
「それとも湖デートにしようか。 はしゃぎすぎて濡れないように気を付けないとな……でないと俺の理性が持つ自信がない」
それは本音だ。もしまたミラーナの扇情的な姿をみたらどうなるか自分でも予測出来ない。
今まではミラーナの傍にいる権利を得るためにだけ突き進めた。だが今は、いつでもミラーナを得る権利を持ってしまった。一度外れた箍は、修復出来ないところまで壊れている。
ミラーナが、俺に向けて殴りかかってきた。気がすむなら幾度殴られても構わないが、反射的に拳を捕らえてしまう。しまった。
すると、なんとミラーナは腰を低くし、俺を投げた。
なんてことだ。本当のミラーナは、こんなにも面白い女性だったなんて。
だが、護衛術にも長けた俺は、あっさり受け流す。投げつけられてやればよかったか?
「手厳しいな。 だが、そこがいい。 いつか俺しか見えなくなると思うと、ゾクゾクするよ」
毎日のように構って欲しい。俺の前で、様々な表情を見せて欲しい。その翡翠色の目に俺が映っているだけで、どれだけ幸せか気付いているか?
「変態はお帰り下さいませ」
「いいね。 簡単には手に入らない高嶺の花を手折れるなら、このやり取りも悪くない」
「騎士の皆さん、変態がおりますわよー」
騎士ごときが俺を捕らえられるはずはないだろうに。5人くらいなら楽勝だが、そんなに俺の剣技が見たいのなら、いつでも見せてやるのに。俺の全てを意のままに出来る権利を持っているのに、ミラーナはそれにすら気付かない。
今回もあっさり帰るかと思いきや、ミラーナは話がしたいと言い出した。
とたん、俺の気持ちが浮上する。だめだ、頬が緩みそうだ。案の定、ミラーナは冷たい視線を投げてきた。切ない。
しかし、せっかくの機会だ。俺は城下でもお気に入りの店にミラーナを連れて入った。こうして顔をあわせてお茶をたしなむだけで、癒される。無意識にじっと見つめていたのか、ミラーナは目尻を上げて俺に向き合った。
やばい、可愛い。俺の嫁が可愛すぎて堪らない。
「先に言っておきます。 もし貴方さまと結婚したら、私は即座に愛人を作る事でしょう。 認めて下さいます?」
可愛い唇から放たれた言葉に、戦慄が走る。
結婚したら、それこそ昼夜問わず傍にいて、12年分の思いを受け取ってもらうつもりでいるのに、愛人なんて許せない。百歩譲っても俺以上でなくては……いや、それでも足掻く。俺は今までそうしてきた。
だが、それほどまで俺はミラーナに嫌われているのだろうか。まぁ、俺について回る通称なら仕方ないが、ミラーナは内面を見れる女だ。惑わされる事はないと知っている。
「それは却下だ。 誤解しているようだが、俺は政略結婚と思っていない」
そもそも政略結婚たりえない唯一だったからな。
ミラーナが自身を磨いたように、俺も自身を磨いてきた。
しかし、信じていない風に、ミラーナは目を細めた。
「私は、貴方を愛しておりません。 そもそも私の好きなタイプと貴方は真逆ですもの。 気疲れで、神経をすり減らすような生活は嫌ですわ」
ああ、自ら望んだ道とはいえ、真逆だと知っている。対面すれば、笑ってしまうくらい『王太子クラウド』は俺の性格とはかけ離れてしまった。簡単には崩される事はないが、張りぼてには違いない。カインが側近にいるから、俺は見限られないよう立っていられる。カインに見限られると、ミラーナにも見限られるだろう。
はっ、と意識の底から浮上する。ミラーナとお茶をしているのに勿体ない。意識を戻すと、ミラーナの表情に心が冷えた。
まるで、遠く愛しい誰かを見ているようなそれ。
「誰を思っている」
自分でも分かるくらい、冷えた声を放ってしまった。しかし、ミラーナは悪びれもなく俺を見つめ返す。
「………好いた方ですわ」
思考が固まる。ミラーナに好いた者がいるなど、カインからも宰相からも聞いていない。宰相はともかく、カインがミラーナに関してこのような話題を俺に伏せるはずがない。好いた者がいたなら、あっさり暴露して俺を諦めさせようとするはずだ。あれは、そういう男だ。
だからこそ、信頼出来る。ミラーナが俺に嫁げば、手放して医者にでも何でも自由にさせてやりたいが。
「リカルドか?」
「違いますわ」
対極の存在、ミラーナの好みに近いだろう弟の名前を上げても却下された。ならば、本当に俺の知らない相手なのだろうか。じりじりと、胸が痛む。
「政略結婚と割りきれないのなら、互いに不幸になるだけです。 私は、貴方の思うような人間ではありません」
そう言って、ミラーナは俺に頭を下げた。
何度も政略結婚ではないて伝えても伝わらない。こっちは12年もミラーナを見てきているのだ。
ミラーナが外面の『女帝ミラーナ』ではないと、とうに知っている。本当のミラーナが、お人好しで優しくて儚げで、けれどどんな逆境にも立ち上がり厳しくあれるプライド高い女だと、知っているのに。俺だけは、何があってもミラーナの味方だと、言ってきたはずなのに。
「ミラーナ」
これ以上、どうすればいい?手放すのが一番かもしれないが、手放せないほど深みに落ちていた。
もし手放すなら、その時点で俺も消える。
すると、救いの声が落ちた。優しくミラーナを呼ぶ声。俺を知り、支えてくれている存在。
「カインお兄さま」
「助けに来たよ、私の姫」
カインはミラーナを優しく見つめたあと、俺を見る。ああ、やはり八方塞がりなのが分かっているのだろうな。
「クラウド」
「…………カイン」
俺を呼ぶ声に、はっ、とさせられる。向かう切っ先。それを受けて流して、俺は間近のカインの表情を伺う。じりじりと鍔が競り合い、光を散らす。
それは全て意識上の事だが、俺はだいぶ気持ちを浮上出来た気がした。カインは俺を甘やかさず、慰めもしない。それは『王太子クラウド』を崩す一角となると分かっているからだ。だから、あえて攻撃を仕掛け、自覚させる。それに俺は何度救われただろうか。
「二度はない」
「俺は…っ」
「王命であろうと、ここまで妹を蒼白にさせる男に、バルテス家は嫁にはやらない」
ああ、知ってる。俺ではミラーナを苦しめるばかりだと、見に染みている。でも、仕方ないじゃないか。どうしても、忘れられないのだから。
幼い日、ミラーナという至高の存在を知ってから、他の令嬢に見向きも出来なくなっていた。
俺の婚約者も、俺がミラーナしか見ていないと知って、身を引いてくれた。感謝を込めて、最良の良縁を用意して、すでに結婚している。
いつもは冷静沈着なカインの表情が、ひどく歪んで見える。仕方ない、ミラーナを苦しめる事しか出来ないのは俺だ。
その数日後、ミラーナはまたも逃亡計画を実行したと聞いた。
これ以上引き留めると苦しめるしかないと、俺は追うことを止めた。目の前からいなくなって幸せになれたなら、出来る限りの祝福をしよう。できるかわからないけれど。
そう思ってしまうほど、俺はミラーナが、全てが分からなくなってしまっていた。
いかがでしたでしょうか?
先日更新した分でミラーナを追い詰めてしまったクラウドは、実際初恋をこじらせにこじらせたヘタレ男子でした。多少ヤンデレ風味。
ずっとミラーナ視点でしか書いていなかったので、いい加減クラウドの気持ちに気づいてあげてよって思ってました。
ミラーナもミラーナで、下手に前世の記憶があるものですから、リカルドとリーシャの間を取り持つ、隣国に流される、という選択肢しか選んでいなかったので、クラウドの事はスルーせざるを得なかったといいますか…。
ここまで読んでいただいて、1~2話をもう一度読み返していただけると、クラウドのいっぱいいっぱいさが見えてくると思います。12年物の恋…重すぎる!(笑)
それでもミラーナを苦しめたのは変わりない!と言われても仕方ないのですが、少しでも「王太子あんたって子は…」と思っていただけたら幸いです。