(閑話3)ヒロインと、学園生活の回想②
「こんなところで泣いているなどみっともなくてよ」
そう言って、ミラーナ嬢はダンスホールの傍にある控室へ連れて行ってくれた。手を引かれ、ソファに案内されると大人しくそこに座る。遠くにダンスホールの舞踏曲が聞こえる部屋は、静かだけれど居心地は悪くなかった。やがて、前から紅茶の甘い匂いが鼻をくすぐる。私の大好きなロイヤルミルクティーだ。
簡易なテーブルごしに、静かな所作でミラーナ嬢が茶菓子の用意をしている。その様子は、完璧な侯爵令嬢で、普段苛められている私でも、どこかうっとりしそうになった。
目の前に置かれているという事は、飲んでもいいのかな。ぎこちなくミラーナ嬢の方を見ると、どうぞと言わんばかりに扇を振られた。暖かな茶器を手に取り、私は小さく口にする。口に広がる程よく甘い味、鼻に広がる高級そうな茶葉の香り、なにこれ最高級茶葉でも使っているの?私が自分で入れるのとは格段に違う紅茶を、一気に飲み込む。
「美味しい」
ぷはー、もう一杯、と言いそうになるのを抑え、私は皿にカップを置く。そこではたと気が付いた、目の前にいるのは気心の知れた友人ではなく、一番油断しちゃいけないミラーナ嬢だという事。でも、あんなドS女王さまがこんな包み込む天使の羽のような紅茶を入れるなんて、ギャップがひどいと思うんだけど。
「はしたなくてよ」
はん、と言わんばかりに小ばかにしたような表情を浮かべるミラーナ嬢に、私はきっと渋い顔になっているろ思う。私以外の生徒には、聖母のごとく慈愛の笑みを持って接しているのに、私だけドS。友達にも、どうして私にだけミラーナ嬢は風当たりがきついのか不思議に思われている。それは私の方が知りたい。
現に、私のカップにおかわりを入れてくれている光景は、絵画の一種に見えて神々しい。遠目に見て、リカルド様とミラーナ嬢はとてもお似合いで、私が割り込む隙はない。割り込むつもりも毛頭ないけれど。
「!!!!!」
思わず空想の世界でリカルド王子とミラーナ姫を思い描こうとして、私は目の前のドレスに青ざめる。絵画のように美しいミラーナ嬢。けれど、そのお召し物はふくよかな胸のあたりが化粧と水分でひどくドロドロしている。いつそれに気が付いて、私に倍返ししてくるんだろう。もしこのドレスが泥まみれにされたら、私は当分社交の場に出席は出来ない。
隠そうやり過ごそうと思っても、視線は自然とドレスの汚れに行ってしまい、当然のことながらミラーナ嬢も気づいてしまう。
「ふてぶてしいこと、殿方に怯えて泣いていたと思って恩を売ろうとしたのに、もう私のドレスをみて羨ましがるなんて。やはり鋼のような図太い心ですのねぇ」
興ざめしましたわ。
そう言って、ミラーナ嬢は控室を出て行った。いや、どう見ても羨ましがるような表情は浮かべてないはず。壁に備え付けてある鏡を見ても、化粧が涙でドロドロしていて、顔色が悪い。ミラーナ嬢の感覚が心配になりそう。でもって化粧を落としたい。
紅茶のお湯が余ってないかなと部屋を見渡すと、おあつらえ向きに小さなボウルと水差しが置いてある。ボウルに注ぎ込むと、ちょうどいい感じの温度のお湯だった。
「すごい至れり尽くせり」
暖かく安心する甘い紅茶に茶菓子、暖かいお湯とふわふわの高級タオル。少し奥を見ると、わざとらしいくらいに置かれた化粧道具。ドロドロに汚したドレスだって何も非難されなかった。こちらから弁償しますと言っても、きっと「下流貴族に買える品物など、袖を通したくありませんわね」と言われるだけだろう。そして何より、私を慰めてくれる手が暖かかった。お姉さんがいたらこんな感じなのだろうか。
そう考えると、私はもしかしてドMなんじゃないかと思えてくる。あの顔で、「ちょっと購買でパンを買ってきなさいリーシャ」とか言われたら従いたくなりそう。事実、ミラーナ嬢の取り巻きは、一斉に「ミラーナお姉さま」と呼んでいるらしい。
またもや空想に浸っていると、扉が軽く叩かれる。もしかしてミラーナ嬢が戻ってきたのだろうか。私だけしかいないと知っているのに、入ってくればいいのに。声もかけられず、扉を叩かれるので私は扉を開けた。
「おかえりなさいませミラーナ様………」
扉を開けると、リカルド様がそこに立っていた。
「エンリュ嬢、その……具合は大事ないか?」
「は、はい……ミラーナ様がこちらに案内してくださったので」
「そっか、ミラーナが一緒ならよかった」
そうおっしゃると、リカルド様はふわりと笑う。私がミラーナ嬢に苛められているのに、一緒でよかった?でも、確かに良かった。友人だと私の周りをうろうろしては「大丈夫?」「怖くないよ」と心配してくれて、私は無理やり笑みを浮かべないといけないところだった。
ミラーナ嬢は違った。何も聞かない。そして何も変わらない。涙を流す私に遠慮することなく毒を吐く。こんな時くらい優しく慰めてくれてもいいじゃないと思ったけど、あまりにミラーナ嬢が普段通りだから、私も普段通りでいられたと、思う。
「えっと、入っていいかな」
「ど、どうぞ…?」
私の控室じゃないからどうしていいかわからず、けれど一国の王子を拒絶できなかった。リカルド様とこんな近くにいられるなんて、この先ないかもしれないから。
リカルド様を通して、扉を閉めようとする手が止まった。
『あーら、殿方と密室に二人きりだなんて、はしたないですわねぇ』
頭の中で、ミラーナ嬢の高笑いが響く。ミラーナ嬢が戻ってこられるまで二人きりなだけで、けっしてやましいことはない。締め切って誰にも見られないようにする方が、怪しまれる。それに、大丈夫と思っていても、男性と2人きりでいるのは少し怖い。私は、少しだけ扉を開けたままソファに向かった。
「うん、それでいいよ」
少し開いた扉を見て、リカルド様は微笑まれた。
「ミラーナ様は、今お召替えされておられます。時期に戻られると思いますので」
事務的にお伝えすると、リカルド様は少し目を丸くされて、ああ、と頷いた。
それから、緊張する私を心配してか、リカルド様が様々な話題を振ってくださった。貴族間の事の他に市井の事も。けれど、市井の話題には、無意識なのかミラーナ嬢の名前がついてくる。きっとミラーナ嬢の伝聞なのだろう。そしてリカルド様の記憶力もすさまじく、市井の流行を色々覚えておられた。
リカルド様とのお話はとても楽しく、文字通り時間を忘れさせてくださった。しかし、一向にミラーナ嬢が戻ってくる気配はない。気が付くと、もう舞踏会も終盤のようだった。
「そろそろ終わりのようだな」
ふと会場の方角を見てリカルド様が呟く。
ああ、初めての舞踏会なのに、誰とも踊れなかったな。
ダンスがうまいわけではないけれど、一度は踊ってみたかった。私も会場の方角を見ていると、足元に誰かが跪いた気がした。
「よろしければ、一曲踊っていただけませんか」
声の方を見ると、リカルド様が跪いて片手を差し伸べている。突然の事に頭が真っ白になった。えっと、こんなイベント小説であったっけ。この方は婚約者のいる男性。手を取っちゃいけない。見られでもしたらどうなるか。
でも、誘惑にあらがうことは出来なかった。
遠くから流れる曲に合わせ、私とリカルド様はくるくると舞い踊る。リカルド様のリードはとても上手で、せいぜい及第点の私すら上手に踊れると勘違いするくらいだ。現実だけど夢のようで、私はただただ目の前のリカルド様に見惚れていた。漫画で見たキラキラ王子様。前世も今世も、恋に落ちてしまった。見てるだけで満足だった。けれど、手のひらに、腰に触れる手の熱が、私をわがままにさせる。
そう、私はどうしようもなく、リカルド様を好きになってしまったのだ。