(閑話3) ヒロインと、学園生活の回想①
断罪というなの婚約破棄が行われる前、リーシャ視点の学園生活です。ちょっと長くなりました。
私の名前はリーシャ・エンリュ。父親は子爵の位を頂いていて、主に土地区画関連と担う部署にいる。おっとりした両親と、可愛い天使のような弟がいる4人家族。
だがそれだけではない。リーシャは選ばれしシンデレラストーリーのヒロインだったりする。心優しいリーシャは、貴族の紳士淑女が通う学園へ進学し、そこでこの国の第二王子と出会い互いに恋をするのだ。しかし、第二王子には決められた婚約者がいて、その婚約者のいじめに耐えながらもリーシャは第二王子との愛を深め、そして結婚し王弟妃になるのだ。
というのを、前世の記憶と共に私は思いだした。輪廻転生という前世の世界の宗教の概念がないこちらの世界にどうして飛ばされたのかはわからないけれど、確かに私はリーシャとして存在することになった。
この世界は、前世の私が大好きだった少女漫画『王宮は愛の嵐に吹かれて』の舞台であり、王宮新聞みたいな情報誌で、第二王子もこの国の名前も、そっくりそのままだと確認済み。何より、私の顔が少女漫画のリーシャそのものなのだから認めるしかなかった。ふわふわの栗色の髪の毛、くりくりとした大きな瞳。愛らしい唇。……とまぁ、自分で自分を褒めるには気持ち悪いけれど。
しかし、思い出すのが学園入学直前というのはどうにかならなかったのだろうか。もう少し前々からわかっていたら、小説投稿サイトで主流の転生ものの醍醐味であるチートを開花させられたかもしれないのに。
「ううっ……勉強ついていけるかな」
前世では学生で、努力に努力を重ねてなんとか成績上位に食い込んでいたので、慣れない風習、格式ばった仕来りについていけるか不安でたまらない。
「別の学校に転入できないかなぁ」
それでも私がリーシャならば、どうあがいてもこの学園にしか進めないんだろうなぁと、半分あきらめていた。
それから半月後、私は予測していたとはいえさっそく物語の洗礼を受けることになる。
入学式の日、避けていたのに出会ってしまった第二王子ことリカルド様は、とても優しく美しく、私は一瞬で心を持っていかれてしまった。それならば、他の取り巻きと一緒に王子様かっこいい素敵とアイドルに憧れるようにうちわとか作っていればよかったのだけれど、物語の補正のせいなのでしょうか、リカルド様との遭遇率が高すぎてかなわなかった。今では目があうとリカルド様が挨拶をしてくれる。ときめいて、ただただ嬉しかった。高望みなどせず、恋に恋をしているだけで十分だった。
はずなのに。
「あーら、下賤のドブネズミには泥水がお似合いですわよ」
細腕のどこにそんな力があるのか、リカルド様の婚約者であられるこの世界での悪役令嬢ミラーナ・バルテス嬢がバケツに入れた泥水を私にかぶせて高笑いをした。もちろん、相手は侯爵令嬢、いくら学園内は身分関係なく平等という理念があっても、敵認定にはされたくない通りすがりの人々は、横目で見つつ過ぎ行くか、私を見てクスクスと笑っている。
「あらあら、下流のくせに殿下へ近づくから」
「いい気味ですわ。さすがはミラーナ様、しつけの仕方がお上手」
「あら、こんな生易しいことでしつけになるのかしら?」
そんなことをおっしゃるあなたたちも、私とそう変わらない爵位の令嬢ですよね。
思っても口には出さないけれど。
それからというもの、私とリカルド様の遭遇率も変わらず高く、その都度ミラーナ嬢が私を苛めてくる。髪を、服を、靴を汚し、ドSの極み!と言わんばかりに高笑いをして去っていく。けれど、そのあとに部屋へ戻ると家族や親せきから新しい洗髪料、制服、靴が届いて、私はだんだん磨かれていくような気がした。
「あ~やだ、みすぼらしい。口元がボロボロでかさついているなんて、淑女の風上にも置けませんわ。だから、特別に泥パックをしてさしあげましてよ?」
そういって、恍惚の笑みを浮かべながらミラーナ嬢は私の唇に泥を塗る。口の中に泥が入り、半分泣きそうになりながら顔を洗って部屋に帰ると、机の上には城下で流行りの「うるうるリップ」が置いてあった。上流貴族でもなかなか手に入らないらしいのに。嬉しくって、つい付けすぎてしまった。
それから、何故か手を出されない教科書で猛勉強をし、何とか勉学でも上位に食い込めた。主席はリカルド様、次席はミラーナ嬢。次に私。ドSのくせに美人でスタイルもよくて頭もいいってどんだけなのよ。
と、思い返してみるとミラーナ嬢は私にしか苛めてこない。そもそもミラーナ嬢が「この小娘を苛めていいのは私だけですわ」と言っているのと、ミラーナ嬢以外が私を苛めようとすると後から何をされるかわからない恐怖からか、私はミラーナ嬢にしか苛められない。それもそう、リカルド様との遭遇率を考えると、私は婚約者を奪おうとする泥棒猫みたいなものだ。そんなつもりは毛頭ないのに。
そんなある日の事、学園内で社交パーティが催された。学園内なら身分は関係ない。私の周りの女生徒たちも、パートナー(ミラーナ嬢)と踊った後のリカルド様と踊りたいと熱気が高まっていた。もしかして、この波に紛れたら、もしかしたら手を取ってもらえるかもしれない。
そう思って、私は一曲後に足を一歩動かした。その時。
『あらあら、下流が上流に声をかけるなど、無作法にもほどがありますわね』
ミラーナ嬢の声がした気がして、私は足を止めた。完全に出遅れて、周りの同じ階級くらいの女生徒がリカルド様に近づいていく。ああ、もう今からじゃあだめか。
そう諦めて壁の花になるべく後退すると、近くでくすくすと笑う声がした。
「下賤の者が無礼講だと殿下に群がっていること、浅ましいですわ」
「あの中に、学園内と社交場との区別がつけられる方がどれだけいますかしら?」
あのまま近づいていたら、私もこの人たちに笑われていたのだろう。正直誰に笑われてもどうでもいいのだけれど、でもミラーナ嬢に見つかってリカルド様の目の前で笑われるのは、とても嫌だった。
リカルド様の周りには、多くの女性がいて、傍にミラーナ嬢がいるのに、威嚇すらしないのは何故?
気になって凝視してしまったのか、不意にミラーナ嬢と目が合う。
『あら、貴女はこちらに来ないの?』
艶っぽい笑みに、口をつぐむ。行けば笑うでしょうに。
目で訴えるようにすると、ミラーナ嬢は少し目を丸くしてから、楽しそうに笑った。ドSっぽく。
それが何とも言えなくて、私はミラーナ嬢ばかり見ていたから周りに気づかなかった。不意に、ギュッと腕を掴まれて、私はその方向を見る。手の先には、不機嫌そうに睨みつける知らない男子学生。
「え、えっ!?」
「貴様っ!この俺が折角寂しそうなのを憐れんで話しかけてやっているのに!」
誰ですか貴方は!?
突然のことすぎて頭が付いていかない。声も出ない。その間も、腕に力を込められて痛い。
頭が真っ白で、助けを呼びたくても言葉が浮かんでこない。助けてって言って、助けてくれる人はいるんだろうか。普段、ミラーナ嬢に苛められても助けてもらえないのに。
「貴方、私の標的に何をなさるつもり? その汚らしい手を離しなさい」
パチ、と腕をつかむ手に閉じられた扇が当たる。男子学生は、叫び声をあげてどこかへ行ってしまった。
「あら、味気ない事」
私の焦点が、ゆっくりと定まっていく。美しい顔はつまらなさそうに歪み、そして、こちらを向いたころには小ばかにしたような表情に代わる。
「あらまぁ、いつもに増して、子たぬきのようですわね」
「………っあああっ!!!」
ミラーナ嬢は、いつもと変わらない。けれど、変に心配されるより心地よかった。
心地よすぎて、私は思わずミラーナ嬢に泣きついた。今更になって、怖さが甦る。こんなにも人がいて、何かされるわけないと思うのに、あのままだとどこかに連れ込まれたんじゃないかとか、同じ女性のミラーナ嬢とは違い、力では絶対敵わないと体が震える。
「ほんと、仕方ない子ね」
ポンポンと、子供をあやすように後頭部と背中を叩かれる。次期王弟妃候補の慈愛、なのだろうか。普段のドSとは思えないほどに、その手は暖かかった。